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ゲームはパチンコ化しちゃったわけだが

身近なヤバいネタ書こう。コンテンツ創造科学なんていうのがあるんだ、東京本郷辺りの某偉そうな国立の組織に。そこにいる人や、やってくる人を見て色々考えるわけだよ、所属する身として。しみじみ、将来の日本のコンテンツ産業のほとんどはパチンコ化するのだろうな、とね。半ば絶望的な確信を深めていく今日この頃だ。

俺はパチンコをやったことがないので印象論になることをあらかじめ詫びておくが、画期的なパチンコ台から新しい表現が生まれメディアが開拓されたというような話は、寡聞にして知らない。初めてパチンコが発明された時から基本的には変わっていないだろう。パチンコは、決して表現としての場などではなく、いかにユーザから金を巻き上げるかという技術のみを徹底的に追求してきた娯楽であるように思われる。そして、どのゲーム会社のプロデューサの話を聞いても、今後のゲームが目指す世界はパチンコと全く同じ世界のようである。どうやって射幸心を煽るか。いかに効率よくユーザから金を吸い取るか。さらには、いかにユーザに社会と適当な折り合いをつけ「させ」るかまで考えている。もう、手取り足取り面倒みてやるからさっさと金を出せ、てな状態ですな。

プロデューサはそれでいいのだという反論もあるだろう。人々を満足させるコンテンツが創られるためには、強い創造欲と、それを維持し続けるための環境、つまりは飯が食えるだけの金が必要だ。プロデューサは金を考えてればいいんだという意見は、まあ成り立つかもしれない。短期的にはすごく正しい。

でも、10年先、20年先という期間を考えた場合、そんな縮小再生産を繰り返すようになってしまった世界で、作り手側の強い創造へのモチベーションを維持することは可能だろうか。新しい作品もメディアも生まれることのない閉じた世界で、作り手の創造欲を飼い殺すような表現の場というのは、本当に日本のコンテンツ産業にとって長期的にプラスとなりえるのだろうか。意欲ある若い世代は、そんな閉鎖的な環境に未来を見い出さないだろう。ゲームというメディアが輝いていた時代を知っている世代として、そういう世界はあまり望ましくないと俺は思う。

もっと一歩引いた視点で、10年、20年先までを俯瞰している人達は、日本に大勢いるはずだ。上記のような構造くらい、切込隊長や山形浩生はよーく分かってるし、白田秀彰先生だって分かってる。だからさ、いい加減分かれよ。愚民を誑かしながら金を吸い上げることばかり夢見てたら、足元すくわれるぞ。そんなんでどうやって「コンテンツ立国」するんだ。

閉鎖的な状況を打破するには2つの選択肢があると思う。1つは、俯瞰して長期的な方策を考えること。白田先生たちが取り組んでいるのはこっちだ。もう1つは、今までの構造をぶち壊す斬新な技術や表現を開発すること。Winnyがやってしまったのはこれだ。新しいものが反社会的に見えるのは仕方が無い。だが、新しいものに何一つ注力せずアガリだけを欲しがる連中は唾棄すべき寄生虫であろう。反社会的で斬新な何かと社会との折り合いをつけるという調停の部分で暗躍することこそ、あの本郷や駒場の組織の文系の人間がもっとも得意とするところではなかったのか。だから文系はダメなんだ、と皆に揶揄されるのが悔しければ発奮しやがれ。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 01:32:46


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