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ある記事の削除で考えた、2010年代のオッサンの主戦場

ダ・ヴィンチニュースのある記事が削除されているのを見つけたので、その顛末を追いかけてみた (現時点ではまだGoogleのキャッシュで読むことは出来るが、いつ消えるかは分からない)。

さて、消えているのは『「本はもはや欠陥品だ」─マンガ・小説復権の鍵はアプリにあり!』という記事で、「オンラインサービスと本のプロモーションを考える会 第2回クロストーク」というイベントの紹介記事である。なんで消えたのかというと、この記事に対してクロストーク出演者の石橋編集長が猛抗議をした、というか、ほぼ罵声というレベルの批判をしたことに依る(ようである)。

「紙の本には欠陥があり、今後はコンテンツを愛する人のコレクターズアイテムになっていく」という趣旨の後半を落とした記事タイトルと本文は確かに片手落ちではあるかもしれない。ただ、石橋氏は「事実と異なる無茶苦茶な記事」と述べているが、それは言い過ぎである。だって「欠陥がある」とは言ったんでしょう?

現在出版社が出資するマンガサイトの編集長である石橋氏はさらに、この記事を書いたまつもとあつし氏を「メディアの意味も分からないアホなライター」とまで形容する。

俺はまつもとあつし氏とは多少の縁がある、というか、大学院時代の同輩(だか先輩だか後輩だか歳の上下は忘れてしまったが、とにかく一時期本郷で一緒に過ごしていた)なので、まつもと氏への贔屓目は多少入っているかもしれない。しかし、元同輩の記者が罵られたから、イベント告知以外放置していたブログをわざわざ再稼働させてまで記事を書く気になったというわけではない。これは、やや片手落ちのまつもと氏の書き振り(なり編集部の見出しの付け方なり)が悪いとか、怒りに任せた石橋氏の暴言が悪いとか、そういう話を超える問題だと思ったからである。

当該記事でのまつもと氏の主張はシンプルで、「紙の本はデジタルに吸われるね」という状況認識は出版業界人もできているしネットへの対応もガンガンしてますよという、まあよくあるストーリーである。そんな記事に対してなんで石橋氏が烈火のごとく怒っているのかを私なりに要約すると、先細りしている紙媒体の雑誌などは全部ネットに移してしまって、本を揺藍するための場としてネットプラットフォームを使おうという登壇者達の発想を、まつもと氏の記事がカバーしていないからであろう。

元同輩の贔屓目としてという部分を差っ引いても、まつもと氏は「メディアの意味も分からないアホなライター」ではないと思う。また石橋氏との面識はないが、彼の他のTweetを読んでいてもその有能さはうかがえるし、出版畑の旧弊な人間が嫌々ながらにネット事業をやっているなどということでは断じてなく、本とネットの将来を見据えて着実に目標をクリアしていく優秀なマネージャであるように見える。「出版社の編集者は紙の本に拘りすぎて現実が見えていない」や「雑誌というメディアはいずれ消滅すると言う現実に向かい合うべき」など、出版社資本のマンガサイトを率いるリーダーとしてはギリギリと思える発言もされている。

そして、この辺の考え方自体は、まつもと氏の発想とそう遠いところにあるわけではないはずである。なのになぜ衝突してしまったのか。

ここから先は想像に過ぎない。だから以下の話は妄想の翼を逞しくしての話であるということは前置きしておこう。

恐らくこの衝突劇の背後にあるのは、出版社や放送局などといった既存の巨大メディア企業がネットから取り残されつつあるという現在の状況にも関わらず、そういったメディア企業の中ではネットからこぼれ落ちる危機感が十二分に承知されているとは言えないというところ、そしてそういうメディア企業は組織として100%の力でネット対応ができてないという、若手中堅層の葛藤やもどかしさなのではないか。こうしたメディア企業では、同じ組織の中でありながらネットを使う層と使わない層との乖離があまりに大きくなってしまっていて、正直日常の雑談すら満足に通じなくなりつつある。そして、そういうネットを使わない人達が社の方針を明らかにヤバい方向けている(というのが俺の体感込みでの想像である)。しかしそれでも一つの組織として内部では折り合いを付けておかねばならない。そういう状況が、今中間管理職になっている30代・40代という層の大きな課題になっているはずだ。

そしてフリーのまつもと氏は、組織の中にいる人間の葛藤という部分をそれほど気にする必要が無く、一方で石橋氏はそういう組織内行政と日々戦っている故に土足で踏み込まれた気がしているという、そこの温度感の違いが当該記事の削除騒ぎの背景ではないかというのが俺の見立てである。合っているかどうかは分からない。ただ、ネットがインフラ化してもはや空気と化している世代とそれ以前との間には、マリアナ海溝レベルのギャップがあることについては、もはやわざわざ言うまでもないくらい日々体感できる現象ではあろう。

両者にとってあまり幸運な展開とはならなかった本件を肯定的に評価しようとすうるならば、ネットがどんどんインフラ化していく過程をどう俯瞰するかということを考える上で、ヒントにはなったんではなかろうか。うん、多分ね、これって「世代の問題の場外乱闘」みたいなもんだと思うんですよ。

(6)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2016-02-16 20:26:41

「情報モラル教育」の正体をよく考える

悩ましく胡散臭い「情報モラル教育」

「情報モラル教育」というのは、小学生やら中学生やら高校生やらに、インターネットや携帯(なんでこういう風に二分するのかは不可解だが)の社会的に適切な使い方を教えて、青少年がネット上で犯罪を起こしたり巻き込まれたりしないようにしましょうってことなんだと説明すると、何となく「そうかなぁ」と納得する人も多いかもしれない。

しかし、青少年ネット規制法という悪法を一番初めに取り上げてしまった因果で、情報モラル教育だの情報リテラシー教育だのというのに関わってみた一年だったが、どうも「情報モラル教育」というのを口にする人達は、「インターネットは匿名だから犯罪が多い」だとか、「携帯電話を使うといじめが流行る」だとか、何だか胡散臭いことを言う人達がいっぱいいることが分かった。

彼らにとっての「情報モラル教育」ってのは、インターネットや携帯電話を自由に使わせないことであったり、どこかの大企業が管理している商売気たっぷりのサイトだけを見せようとすることであったりする。その場合の「情報モラル教育」ってのはつまり、「『インターネットの利用』という装飾を用いて、一部の人のエゴやイデオロギーを押し付けたり、上手に商売したりすること」に他ならない。

そういう押し付けと「情報モラル教育」がどう違うのかという問いに、歯切れの良い答えを出せる人は、この1年で出合ったことが無い。俺が出合った真面目な人、信頼できる人達は、みんな悩んでいた。

「情報モラル教育」と「モラル教育」の違い

そもそもの前提として、インターネットはただの技術の寄せ集めに過ぎない。まあしかし、「技術は完全に中立だ!」というつもりはない。インターネットというIPの網にしても、あるいはそれを利用するメールなりウェブなりのアプリケーションにしても、あるいはウェブなりメールなりといったアプリケーションを利用するコミュニケーション(つまりは「2ちゃんねる」なり“mixi”なりのことだ)にしても、それらの仕組みが人間の善意なり害意なりを増幅させるということは確かにあるだろう。

では、「技術に善悪はあるのか」という中々結論の出せない高尚な議論を小中学生にもさせることが「情報モラル教育」なんだろうか。

俺は違うと思う。ネットいじめだのなんだのとマスコミが取り上げるような事件のベースにあるのは、子供同士の悪意のぶつかりあいだ。子供同士の悪意や害意というものは、技術そのものの善悪云々という抽象的な問題とは異なり、抜き差しならない日常生活として、彼らを取り巻いている。ネットがなくなっても、いじめがなくなりはしないのだ。

だから、技術に良し悪しがあるといったことを教える前に、まず「人間は、他人に強烈な悪意を向けることもあるが、社会で生きるならその悪意を制御しなければならない」ということを真っ先に教えるべきだと俺は考える。これが、本来の「モラル教育」、つまり「道徳教育」として何よりも先にやっておくべきことだ。

「情報モラル教育」というなんだかよく分からない言葉は、本来人間が持っている悪意や害意について教えるという、公教育や地域社会や親などが果たすべき、基本的な道徳教育の責任を、「インターネット」という仕組みに、転嫁してしまいがちだ。つまり、「インターネットという自由で匿名の空間があるから犯罪が起きる論」だ。それは大嘘で、他人への悪意や害意をドカンと発露させる人間は大勢いるし、アナタ自身がそうしたくなることもあるだろう。そこにたまたまインターネットがあり、掲示板があり、ブログがあった。モノの順番としては、そういうことだ。

だが、その順番は混乱しており、「情報モラル教育」というよく分からない言葉は、

  1. ① 人間の持つ悪意や害意を教えるということ
  2. ② 技術を通して表面化する悪意や害意を教えるということ
という2つの側面をごっちゃにしてしまっている。

「技術」を教えれば解決するのか

上記の①が「モラル教育」として広く行われるべきなのは、まあ異論の無いところだと思う。では、「情報モラル教育」というのは、まず①のような「モラル教育」を行った上で、そこにプラスしてインターネットやら何やらの技術的な部分を教えることなんだろうか。

でも残念ながら、技術を通して発露する悪意や害意は、触りだけの技術を学ばせることによって解決するわけではないのだ。文系のみならず理系の先生にも、ほとんど触りだけしか教えられないというのが実態だから、その程度を知ったところで、2ちゃんねるで時々ほとばしっている人間の悪意や害意から来る攻撃を抑止できるわけでもないし(っていうか、社会的な悪意は技術的にはあまり防御できない)、そもそもその悪意が消えて無くなるるわけでもない。せいぜい、悪意の発現パターンを知ることができるだけだ。でもその発現パターンは、様々な要因で日々刻々と変化し、新たな発露パターンが次々生まれていく。だから、対策は場当たり的にならざるを得ない。

例えば以下のようなことを子供達に教えようとしても、教える側の違和感はぬぐえないし、異論も噴出する。

  • 「インターネットで住所氏名を書いてはいけません」
    • →じゃあ通販とか銀行のサイトとかどうするんだ?
  • 「ブログなどで個人名を特定できるようにしてはいけません」
    • →俺は個人名特定されまくりだがその方がメリットあると思うよ?
  • 「怪しいサイトで本名を書いてはいけません」
    • →怪しいかどうかは誰が決めるの? 国? 親? 先生? 俺はこのサイトで名前を晒すのは平気だが、スパム投げまくりのショッピングサイトで本名やメールアドレス書くのには抵抗あるよ?

まあ、「気安く住所氏名などを晒すな」ってのは今の日本においては蓋然的には正しい教え方だけど、10年ちょっと遡れば、みんなニューズグループやMLで顔も本名も晒してどつき合いのようなコミュニケーションをしてたのだし、現在だって日本以外の地域ではどうだか分からない。少なくとも、長く教え続けられる真理では無いだろう。

「犯罪自慢をしてはいけません」なんてのも確かにその通りだけど、っていうか犯罪するなってことだけど、でも2ちゃんねるの管理人ひろゆき氏は、長いこと 「実録!交通違反の揉み消し方」 なんてタイトルでそういうサイトをやってたんだぜ? Download板やVIP板は、著作権違反をある種自慢しているような部分もあるし。犯罪自慢をしてバッシングされるってのも、必ずではないんだよね。

この手の教育とやらが、「べからず集」、「○○してはいけません」の繰り返しになることの問題は、そういう場当たり性以外にもある。

例えば「掲示板でいじめをしてはいけません」、「メールで悪口を書いてはいけません」、「プロフに自分の顔写真載せてはいけません」その他諸々。でもさ、いじめにしても、悪口にしても、自分の裸をプロフィールに載せるのも、良し悪しはともかくとして、子供達はやりたくてやっているんだよね。ネット上でのいじめを止めさせても、誰かをいじめたいという黒い感情が消えるわけじゃないし、裸の写真を取り締まっても、注目を浴びたいという欲求が消えるわけでもない。ここには、子供達のプリミティブな欲望と、社会のルールとの間に大いに齟齬がある。そして、この齟齬を矯正してしまう強制力こそが、近代の国民国家における教育というものでもあろう。

ここまでをまとめよう。「技術を通して表面化する悪意や害意を教える」というのは、場当たり的になりがちだし、しかもその教えは子供のプリミティブな欲望に反していることが多いので、押さえ込むための強い力が必要になる。

よくやってしまう良くない教え方

そこで、だ。国家レベルで効果のある「情報モラル教育」は、どういう形態を取ることになるんだろうか。一番確実で手っ取り早いのは、子供達が反社会的な行動を取った時ペナルティがあることを示して脅すことだ。近代国家の教育は一種の洗脳であって、恐怖というのは洗脳のための有効な手法だということを踏まえて考えると、インターネットが、巨大で精緻な監視機構なのだと子供に教え込むのがもっとも手っ取り早いことが分かる。

つまり、悪事をした場合は、通信キャリア、ISP、アプリケーションなどの各レイヤでのログですぐ分かるんだぞ、そして警察はそれらを統合的に手に入れることができるんだぞ、ということで、さらに言えば、インターネットは警察が管理できるんだぞと脅しつけることが一番手っ取り早く子供を「教育」することができる。「犯罪予告をすると捕まりますよ」と脅すのは、そういう意味だ。

これはしかし、インターネットの「自律・分散・協調」という理想を学んできた技術者にしたら、屈辱的な話ではないか?

単に監視されているという恐怖で子供を脅してしまうのならば、中国やイスラム国家のように、政府がインターネットを監視し言論統制をしている環境と何も変わらない。これがインターネット時代の「情報モラル教育」としてあるべき姿だとは、とても考えられない。いや、考えたくない。そんなのは真っ平だ。たとえ、少なからぬ代議士がそうやりたがっているとしてもだ。

やるべきことは、やっぱりこういうことだ

インターネットを真に活用しようと思うためには、それが自由のためのアーキテクチャであるということを教えなければならない。つまり、「無責任な発言が自由にできるからインターネットが素晴らしい」のではなく、「自由な発言を許すことも許さないことも、どちらでも好きなように設計できる通信環境であるから守るべき価値がある」ということを教えなければならない。どんなにハードルが高くても、これを教えなければならない。これを踏まえた上でようやく、そういう場を維持するための「モラル」として何が必要なのかを考えることができる。インターネットとして何を守るべきなのかを分からないまま、見失ったまま、「情報モラル教育」をしてはいけないんだ。

それは、今のインターネットの寿命を縮める行為なんだ。

「犯罪予告をすると捕まるよ」と「犯罪予告をするとネットが窮屈になるよ」とは、少しだけ違う。この少しの違いにきっと光明があるんだと信じたい。

もうちょっとわかりやすく。

俺は、子供を脅すこと自体は、教育のメソッドとしてとても重要だと考えている。でも、「インターネットは怖いんだよぉ、だから気をつけようねぇ」っていうのは間違いだ。「この世には怖い人もいるから、インターネットでは気をつけようね」ってのは、嘘じゃない。この少しの違いが、致命的に重要なんだと思うんだよね。 (2009/05/14 12:31追記)

(130)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-15 12:02:46

オタクを取り囲むもの

青少年ネット規制法案に関連してすっごく大勢の人から賛同をいただき、とても心強く思っています。正直この法案絡みのウェブ拍手については、ブログの記事として返信できる上限の数を大幅に超えてしまっている感じなので、その辺はお許しください。

さて、色々なリアクションがある以上当然否定的な意見もあるわけで、それもありがたく消化してはいるのだけれど、その中でちょっとがっかりしているのが藤代氏の記事だ。ざっくり言えば、「アンタはオタクだの萌えだのといった属性を掲げながら法案反対の論理を組んでいるが、それは止めた方がいいよ」ってことだろう。

藤代氏は、警察系の研究会へ参加しているところなどを考慮するに、どちらかと言えばネット規制容認派というか、穏便派なのだろうと思う。だから、今回の俺のように大きく騒ぐことを決めた反対派の人間を批判するのは分かる。そこはどうでもいいんだ。

俺が気に入らないのはそのロジックと根拠だ。高市法案についての反対意見を「ナイーブでイノセンスな反対運動なのはロリ絵師だから」というようなロジックで批判してくる時、そこにはどうしようもない偏見が入っているんじゃなかろうか。

最近は街中でエアガン乱射するような公共の福祉に反しているDQNなオタクもいるそうだけれど、俺は納税しているし年金払ってるし遵法意識も高いつもりのオタクでありネットユーザーである。そして俺のみならず、社会的に全うであるよう不断の努力を払い、慎ましやかに生きているオタク達の方が圧倒的に多いのだ。

俺の描くものを嫌いだとかキモいなどと受け取る人がいるのは、嬉しさの対極ではあるが当然甘受する。「フィギュアなんてキモい」という意見も、言論の自由が保障される国だから、大変結構な意見の1つだと思う。でも、「『萌え』とか『オタク』っぽいものは法案反対の運動から抜け」という主張は、受け入れられない。

社会の中でひっそり生きてきたオタクが、オタクとして生きていくことを妨害されそうになった時、それも単に「今までと同じようにひっそり絵が描きたいなぁ」程度のしょっぼい立場を守りたいというモチベーションから、全然やりたくもない 政治的な努力を払わねばならないこと、そのために実名も顔も晒しているということ、それが俺の現在の状態だ。それは必然的で社会的で、嬉しく無いけど政治的で、でも極めて健全な民主主義国家での運動であって、そこにはケチをつけられる覚えも無ければ根拠も無い。第一このサイトは、俺が自分で金を払ってサーバを借りて、自分でCMSを組んで、個人で運用しているものだ。純粋に俺個人の見解を述べるものに過ぎない。

「オタクを見たら犯罪者と思え」、「オタクだから気持ち悪い」などというのは紛れも無い偏見であろう。そして、犯罪者ではないオタク達当事者が、そういう一般の偏見を振り払おうと努力することが、何故社会的に妥当な運動ではないと考えられるのか。大塚英志や岡田斗司夫から森川嘉一郎まで延々続いてきたそうした努力を嘲笑する根拠は一体何だろうか。

それは、そういう人達の価値観が、「オタク」なり「萌え」なりを気に入らないという、どうしようもない理由じゃないのかね? どうして、オタクが被害を蒙るだろう法案への反対運動から、オタク的なものを抜かなければならないのかね? 俺は別に「小学生にエログロマンガ読ませたい!」なんて主張をしているわけじゃないんだよ。どうして「『萌え』を社会的に妥当な文脈の中に位置づけようという努力があっても良い」などとは発想できないのだろう? もちろん、そのための手法として拙いという意見なら、ありがたく受け入れるけどさ。

そもそもこの高市早苗議員の法案については、一部のブログや新聞報道で簡単な概要だけ伝えられていたものの、詳細については誰も載せていなかった。高市法案の個別具体的な内容についてネット上で大騒ぎを始めたのは俺でありMIAUであったわけだ。だから大声を上げる必要があった。そして、大声で大勢に伝える以上、問題点は分かりやすく単純に整理し、そのための根拠も誰もが理解できるものにする必要がある。

そういう「分かりやすくするための整理」や、メディアへのコンタクトを積極的にやらなかった人が、後になってからその整理の様を「イノセント」やら「ナイーブ」などと批判するのは、言わば「後出しジャンケン」だろう。反対するなら反対するで、誰よりも早くこの法案のダメさをわっかりやすく伝えていれば良かったじゃないか。

児童ポルノ法の改正案にしても、青少年ネット規制法案にしても、あるいは、ダウンロード違法化問題にしたって、法を改正したり作ったりするための根拠には実態を伴わない漠然とした偏見、「ネットが悪い」、「オタクはキモい」などが用いられていると俺は感じる。今問われているものは、そういう偏見を掃っていこうというちょっとポジティブな覚悟だと思うんだな、俺は。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-04-26 12:31:59

リアルメディアが青少年ネット規制法案のヤバさを報じない訳

まだこれも噂でありウラは取れてない情報だが、高市早苗議員は連休明けに法案を国会提出するつもりだという。あのオバサン、本気だぜ。余り時間も無いので、正統的に論理で攻めていくだけではなく色々と搦め手を考える必要があるだろう。

たくさん頂戴したウェブ拍手など(ありがとう!)でも、「一体どういう経緯なんだ?」とか「何でこんなのが出てきてるの?」とか「いきなり無茶な!」といった意見が結構あったので、この法案の経緯と彼女の背後を、ものすごく大雑把にだが、記してみることにする。

そもそもこの法案は、『青少年有害社会環境対策基本法案』(Wikipedia)の亡霊である。やや昔のことなので、今騒いでいる青少年ネット規制法案が直撃するであろう10代の人たちなんかは、この法案の存在を知らないかもしれない。この法案は、「青少年の健全な育成を阻害する社会環境から青少年を保護する」という名目で、テレビ、ラジオ、書籍、ネットその他、メディアを問わず「有害」とされるものを規制することを目指したものだ。

この法案が出てきた時、テレビや新聞、書籍などといったメディアを扱っている団体、例えば日本民間放送連盟や日本書籍出版協会が、猛烈な反対をした。民放連は、表現の自由を侵害すると大上段に構えたし、書籍出版協会も、検閲だとして強い調子で非難している。他にも、日本新聞協会、映倫管理委員会、日本雑誌協会、マスコミ倫理懇談会などなど、有力なメディア団体はこぞって反発した。2ちゃんねるでも、延々と法案反対のコピペが貼られ続けた。

結局この法案は、2度国会提出を試み、2度とも葬られた。だから今回の青少年ネット規制法案は、3度目の正直というわけだ。そして今回は、民放連や書籍出版協会などといった、強いロビーイングを行える主体がないインターネットのみを狙い打ちにしてきている。テレビや新聞などの既存の大手メディアにとって、インターネットは目の上のたんこぶだ。今回、インターネットという“なにやら俗悪っぽいもの”のために、テレビなどのメディアが反対の狼煙を上げてくれる可能性は、無いと考えるのが妥当であろう。

さらにイヤな情報がある。高市早苗議員は、新聞の「特殊指定」の廃止に反対してきた人だ。新聞の特殊指定というのは、まあつまり、日本全国どこでも同じ値段で新聞が買えるようにするための規制の1つだ(Wikipedia)。書籍や音楽CD、新聞などの再販制度・特殊指定の見直しは、時々取り上げられるものの、業界団体の猛烈な反発にあって、毎度毎度潰されてきた。そして、高市早苗議員は、特殊指定が無くなったら新聞の価格が上がるとか、国民の知る権利が侵害されるなどと称して、この価格維持制度を守る先鋒として奮闘してきた過去を持っている。だから、新聞業界にとっては涙が出るほどありがたい存在なのである(参考:livedoorニュース)。さて、そんなありがたい高市議員様が推し進めていらっしゃる青少年ネット規制法案に、新聞や、その新聞と深く結びついているテレビキー局が、積極的な反対を表明する理由は、どこかにあるだろうか? そう、既存のマスメディアの多くは、この法案の問題点を、多分黙殺するだろうね(ただ俺は、既存のマスメディアにも、志のある記者さんが大勢いることを知っている。彼らの良心に期待しているよ)。

まあつまりだ。この法案を推進している人たちは、長い年月をかけて外堀を埋めて来ているし、本気でこの法案を成立させるつもりなんだね。ということは、反対する側もちゃんと本気になる必要がある、ってことだ。現在のウェブメディアも、もう決して小さな勢力ではないしね。できるだけのことをしてみようと思う。

今回は特に意図的に、Googleだけで調べ、Wikiepdiaの記事を参考にして文章を書いてみた。30分くらいでこれだけのことが調べられるインターネットって、すごいと思うよ。一応俺は結構長いこと先生業もやっているから、学生がどっかのサイトからのコピペでレポート課題を誤魔化そうとする様なんてのは、散々見てきている。でも、コピペで誤魔化せるようなレポートってのは、その課題の出し方にも問題があると俺は思っている。Wikipediaに載っているようなのは公知の情報なんだから、そんなもので誤魔化せるのは問題の方がおかしいわけで、そうした公知の情報を用いて新たに何がくみ上げられるかが、本当に問われるところになるだろう。公知の内容について無駄な手間隙をかけずに簡単にコピペができて、その上で新しい論理をくみ上げていくことができる世界って、俺はとても幸せな形だと思うね。18歳未満がそういうことすら満足にできない環境に押し込まれるのは、悲しいことだ。

(1851)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-04-06 18:22:10

日本の子供たちからインターネットが消える日

18歳未満の人たちがインターネット上の「有害情報」に触れないようにする対策を講じる法律案ってのが、3月の中頃から末頃にかけて、姿を現してきた。朝日新聞の記事では少し紹介されているが、それ以外の大手マスコミには全然出てない。っていうか、ペーパーメディアの人間は全然ヤバさを認識してない。あるいは、分かっててトボけている。この法律案、ものすごくヤバい

この件については、個人・MIAU的にはある程度動いていたものの、全く表沙汰にしなかった。沈黙していた理由は、早くから表立って行動してしまうと、情報をリークしてくれた人を潰してしまう可能性があったからだが、ここ数日で他のルートからも、法律の骨子、条文、概要の3点セットが回ってきたので、もう堂々と話して大騒ぎすることに決めた。 もう、スゲームカつくんだよこの法案! この法案は、推進者の性格も加味して考えると、児童ポルノ法よりヤバい。つーか、この国は中国になりたいのか?

まず状況を整理しよう。本当は全部丸ごとコピペしたいところなんだが、そいつはもうちょっと待ってほしいので、とりあえず俺の要約と説明で耐えてくれ。

  1. 自民党の高市早苗議員が、『青少年の健全な育成のためのインターネットによる青少年有害情報の閲覧の防止等に関する法律案』という法案を詰めていて、これはかなり完成形になっている。池田信夫氏によれば、ブレーンとして警察官僚がついて条文を固めたらしいし、確かに法案の中にはそれをうかがわせる傍証もある(12条のネットカフェ規制とか)。
  2. 一方民主党の高井美穂議員を事務局等とするプロジェクトチームは、『子供が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案』というのを取りまとめている(ちなみに先の高市議員と高井議員は、国会議員の電話番号なんかが載っている「国会議員要覧」で見ると、仲良くお隣同士だ)。
  3. これらの法案の目的は、「性に関する価値観の形成に著しく悪影響を及ぼす」とか「著しい心理的外傷を与える恐れがある」とかそういうインターネット上の「有害」な情報について、青少年が見られなくなるよう全部フィルタリングすること。
  4. これらの法案が、今期国会の混乱のドサクサに紛れて提出され、あっさり自民党案が通っちゃい兼ねない空気になっている(と自民党議員は言っている)。

で、これらの法案の何がヤバくてムカつくのかという具体的な中身についてだが、民主党法案はかなりラフな体裁になっているのと、内容自体は不思議なくらいに自民党案とソックリなので、完成形が見えている自民党案に基づいて話しておこう。

  1. 内閣府に設置される少人数の青少年健全育成推進委員会(最大数5人)っていう組織が、インターネット上の全てのコンテンツについて、青少年に有害か無害かについての判断基準を作成します。ちなみにその基準への異議申し立ては、多分無理。(法案19条から31条) 「行政訴訟できるから問題無いんだ、誤魔化すなボケ」という批判は誤りだ。この法案では、ISPやキャリアなら行政訴訟できるが、サイト管理者などの個人は委員会の行政行為にケチをつける方法が無い。そしてそのシステムでも憲法上問題が無いとされている。だからぼかして書いたんだよ。(2008/04/15 17:56追記)

  2. 個人も含む全てのウェブサイトの管理者は、上記の有害コンテンツの基準に合致した場合、サイトを丸ごと未成年が入れない会員制にするか、フィルタリングソフトへ自らのサイトをフィルタ対象として申請することなどが、求められます。(3条1項)
  3. 全てのISP、ASP事業者などには、有害コンテンツの削除やサービスの停止が求められ、従わない場合の罰則も設けられます。結果としてウェブコンテンツの削除は行われることになります。(3条)
  4. 全てのPC・携帯電話について、国の基準に基づいたフィルタリングソフトウェアをプレインストール、あるいは、フィルタリングサービスに強制加入することが、PCメーカー(努力義務)及びキャリア(提供義務)に求められます。(5条、8条)

これらが、ネタじゃなくて大マジ。俺、手元の法律案見ながら書いてるもの。アリエネーよ。なんか心底寒くなってこない?

俺なりに問題点を3つくらいに整理すると、

  1. 表現の自由の問題

    自治体レベルならいざ知らず、内閣府で委員会を設けて基準を示す上、間接的とは言え削除が行われるのは、検閲だろう!

    ……と叫びたくなるわけだが、だがしかし高市議員が老獪なのは、ちゃんと逃げ道を用意しているところ。それはつまり、内閣府の委員会自体は、単に基準を示しているだけで、実際のコンテンツの削除やらサービス停止やらフィルタアウトやらを行うのは、民間の事業者だっていう構図だ。で、コンテンツを封じたのは民間の事業者なので、文句はそっちへ言ってね、そのために調停機関は作るから、となっている。国は直接手を下してない、だから検閲ではない、どうだ文句あるか、という筋道。池田氏はこの調停機関の存在を評価されてるけど、俺は全然評価できないな。

    って書いたら、池田氏から「いかなる規制にも絶対反対」「『紛争処理機関も認めない』」とか要約されちゃったよ。おいおい、あなたは味方を背後から撃つのが趣味なのか? 俺としてもMIAUとしても、ナイーブな自由主義や無政府主義の肯定なんか、したことないだろう。検閲じゃないという逃げ道に、あの国分さんのIAJapanが中心となるだろうADR機関には、反対なんだよ(2008/04/05 16:34追記)

  2. 実効性や技術上の問題

    例えば、性的・暴力的な言葉があるという理由でWikipedia全体をフィルタするのって、本当に青少年の利益になっているのかね? という疑問は当然沸き起こるわけだけど、これにも反論は用意されている。「青少年の健全な育成のために、多少の弊害は止むを得ない」。だから多少ってどこまでなんだよ。

    あるいは、PCメーカや携帯キャリアのコスト上昇分に見合うだけの効果、「青少年を守る」という社会的な利益が得られるのかどうかの検証を経たのか、というような、極めて合理的な反論もありえるだろう。ところがだ、これも反論はあるんだな。「コスト云々と称して健全育成のための努力をしないことは社会的・倫理的に許されない」。

    また、LinuxのようなオープンなOSを用いたPCが作れなくなるんじゃないかとか、個人のウェブサイトを封じるような行為は、日本からのイノベーションや、自由な情報発信を殺すんじゃないか、というような、疑問もありえるだろう。でも、反論はきっとこんな感じ。「Linux? ナニソレ? まあ、作りたいなら法律守ってがんばれば?」

  3. 教育など他の面からの視点が無い

    実はこの法案には、「インターネットの適切な利用に関する教育の推進等」という条文があるんだが(15条~18条)、そこで述べられている教育ってのは、「ガキにフィルタリングソフトウェアを使わせるために、学校とか自治体とか国とかはいっぱい努力しろ」という、とても清清しい内容である。違うだろ! フィルタリングソフトウェアを使わなくても問題なく情報社会で生きていけるような技術なり、倫理なりを身に着けること、そういう教育へ注力する方がずっと大事だろうが! そんな教育のメソッドが無いっていうなら、それこそ国がカネを出して確立するべきところだろう。

つまり、この法案で何がしたいのかというと、

  • 18歳未満には国によってコントロールされた情報しか見せない
  • 日本でインターネットに関係する全ての人間は、そのための犠牲を払え

ってこと。これじゃあ、中国のグレートファイアーウォールを嘲笑できませんよ。この法案が成立した暁には、日本の18歳未満がつなぐ「ソレ」は、もう“the Internet”じゃない。

で、自民党議員の目から見ていると、ガソリンだの日銀総裁だのグダグダ揉めている国会の混乱に乗じて、提出する気満点なんだってさ。民主党案ははっきり言ってズタボロの出来なので、対案として自民党案が出てきたら、「青少年は守らんとねー」、「やっぱり自民党案はしっかりしてるなー」って流れになるだろうし、下手するとそんな議論にもならずにススッと通ってしまうかもしれない。もうね、久しぶりに、心の底から腹が立った。

俺はね、政治的な活動って、大嫌いなんだよ。絵描いてる方が好きだし、実は高校の頃は音大目指してたくらい音楽も好きなんだ。上手い飯食うのも作るのも好きだし、一応まだ学生でもあるから、調べものしてたり、あとコード書いたりするのとか、そういう方が何倍も好きだし、お金にもなる。MIAU のような活動、別に一銭にもなっとらんのだ。

でもさ、児童ポルノ法の改正案もムカついたけど、この法案には反吐が出る。分かったよ、政治活動って、こういうのが原動力になってやることだったんだね。だから、がんばって騒ぐことにする。

(6808)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-11-25 04:58:26

パブコメから分かるドワンゴの本質

先日、MIAUでも送付を呼びかけていた文化庁のパブリックコメントが公開された。MIAUの人達と雑談していたら、面白いものを見つけた。ニコニコ動画運営会社の親玉である株式会社ドワンゴの、ダウンロード違法化問題についての見解である。

少し長いが、PDFは読み辛いと思うので、全文引用する。

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/pdf/rokuon_iken_7_2_ihousite.pdf

 違法録音録画物、違法サイトからの私的録音録画を第30条の範囲から除外すべきであると考えます。

 平成18年の音楽配信売上は535億円(前年同期比156%、日本レコード協会調査)であり、配信技術の進展やカタログの充実、 サービスの多様化等に伴うユーザー利便性の更なる向上により、今後もより一層の成長が期待されます。しかし、インターネット等 においては違法な利用による大量の音楽コンテンツが流通し、コンテンツプロバイダならびにコンテンツホルダに深刻な被害を与え ています。特に、音楽配信売上の9割を占めるモバイル向け音楽配信分野においては、一昨年頃から、違法音楽配信サイトが急増 し、その利用の蔓延により正規の音楽配信市場の成長が大きく阻害され、モバイル向け音楽配信のビジネスモデルの維持、 発展が困難な状況に至っており、私ども配信業界においても、事業の根底を揺るがす大きな問題となっております。拡大する音楽コ ンテンツの違法な流通を防ぎ、音楽産業の健全な発展を図るためには、違法音楽配信サイトからのダウンロードを著作権法第30 条の範囲から除外し、当該サイトの利用を違法とするとともに、民間レベルでの広報・啓発活動及び学校における著作権教育を一 層充実させ、ネットワーク環境に適合したITモラルの浸透を図ることが必要であると考えております。

 なお、無許諾のアップロードを違法とすることで対応が可能との意見もありますが、コンテンツプロバイダならびにコンテンツホルダ の被害は、実質的にダウンロードされることにより生じるものであることから、被害実態を勘案した場合、違法サイトからのダウン ロードを合法とすることは適当でないと考えられ、また自動公衆送信においてはリクエストによって違法送信が行われ、そのリクエス トをするのはダウンロード側であることから、ダウンロードを違法とすることによって違法送信を減少させる効果が期待できると考え ます。

 更に、海外で日本向けのサイトが多く公開されている事実を踏まえると、アップロード側だけへの対処だけでは違法送信を撲滅す ることが容易でなく、ダウンロードを違法とする実益があると考えます。

 また、「ダウンロードまでを違法とするのは行き過ぎであり、インターネット利用を萎縮させる懸念をある」との意見もありますが、違 法サイトと知って(「情を知って」)録音録画する場合に限定するなど、適用外の範囲に一定の条件を課すことにより、「知らずに罪を 犯すリスク」をユーザーに負わすことのない制度設計が可能ですので、問題はないものと判断いたします。なお、私どもコンテンツプ ロバイダならびにレコード会社等のコンテンツホルダーも適正サイトを識別するためのマークを制定し、広くユーザーに周知を図る 予定であることを付け加えさせていただきます。

このパブコメのまとめには、『ニコニコ動画死守連盟』や、『神奈川秦野ニコニコ動画死守連盟』といった団体も名乗りを上げていて、彼らは当然の如くダウンロード違法化に反対している中、運営の親会社はぶっちぎりの賛成であるという構図が、とても面白い。筆頭株主であるAVEXの意向が強いのかもしれないが、まあ運営会社はこう考えているということだ。

で、長ったらしいから、今北産業(3行で分かるよう)にドワンゴの主張をまとめよう。

  1. インターネットのせいで違法コピーがはびこってる
  2. 処罰はダウンロード側でやる方が効果的
  3. 処罰については十分注意するから大丈夫

もうMIAUのシンポジウムで斉藤先生や小倉弁護士が述べてくれたり、あるいは俺が普段巻いているクダとかで議論が尽きているところだと思うんだが、一応、各点に反論しておく。

まず1点目。インターネットを初めとしたデジタルな情報通信技術の根本的な目的は、「伝達」ではない。これはよく誤解されるところであるが、情報通信技術の本質は、「複製の容易化」である。情報通信技術を用いた「伝達」とは、遠隔地へ情報をコピーすることであって、送ることではない。送信元にも同じ情報が残るのだからね。これは、手紙などの物理媒体による通信と根本的に異なる点だ。手紙は物理的に移動するが、FAXや電子メールは、「送信」とは言うものの、手元にも情報は残り続ける。インターネットとは、世界的なレベルで情報の複製を容易化するツールなのだ。これは技術的な本質だ。

さて、よくあるコンテンツビジネスというのは、誰にでもできる情報の複製を著作権法という法律で制限することによって、お金を儲けるという形になっている。レコードやCDを売るコンテンツビジネスは、このタイプだ。映画もそう、書籍もそう、エロゲーも同人誌もそうだ。他人にコピーされてしまうと、金が入ってこない。このビジネスモデルは、複製が完全に制限できることを望んでいる。だからこのモデルに従う限り、複製の容易化を本質的な目的とするインターネットとコンテンツビジネスがバッティングするのは、そもそも当たり前なのだ。じゃあコンテンツビジネスとインターネットは全て相性が悪いのかというと、そういうわけでもない。例えば地上波テレビの場合は、コンテンツを見るのに金を払う必要は無い。何故なら民法テレビのコンテンツは全てが広告であるから、広告を流し広めることのためにお金を払う人がいれば良い訳だ。このビジネスモデルは、実は複製の容易化を目的とするインターネットと相性が悪いわけではない。広告を流し広めるということを考える場合、複製のコストが下がった方が嬉しいからだ。

つまり、違法コピーがどうのこうのってのは、根本的にはビジネスモデルの問題なのである。コンテンツビジネス云々というのなら、「安く売れる情報をすごい高値で売る」という、現在のビジネスモデルを変えるよう努力するべきだ。iTMSや米Amazonの音楽販売は、「安く売れる情報は安く売る」という方法へシフトして、成功しているじゃないか。行政や立法が、私企業を利するために法律を変えようというように動いたりするのは、お門違いというものだ。

次に2点目。これは小倉弁護士が的確につっこんでくれてる。処罰をダウンロード側でやるとしたら、じゃあ具体的にはどうやるつもりなのか。我々が「違法」とされるコンテンツをダウンロードしたとして、どうやってそれを知るつもりなのか。サーバ側で通信のログを押収しても、パケットは中継されているかもしれないから、httpのログに残る通信先が本当に最終的なダウンロード先なのかを知ることは出来ない。ということは、ある日いきなり警察が令状と共に自宅を訪問してPCを押収し中身を調べる、っていう手順が必要だ。それを、本気でやるの? どれだけ金がかかるの? できるわけないよね? ということはザル法を作りたいのかな? 違法が常態となる法律なんて、要らないね。

最後に3点目。じゃあ、例えば、動画サイトなどをサーチエンジンの検索対象としてインデキシングすることはどうする? 動画ファイルを自然言語検索できるようにする技術を試みてる人がいたとして、その人が、現在「違法」な動画がいっぱいあることは周知の事実であるニコニコ動画をインデキシング対象にしたら、どう判断されるだろう? なんとも言いがたいよね。ということは、日本ではそういう技術は今後生まれないようになる、ってことだ。そうした抑止効果、技術者の発想や開発の自由を奪おうとする態度だけで、技術者の視点としてはもう万死に値する。ローレンス・レッシグが述べるように、法律は、ものすごく広範囲に渡って人々の行動を規制してしまう、とても危ないツールなんだ。「気配りするから大丈夫」なんてのは寝言どころではなく、今後数十年間に渡って日本からは技術革新が生まれないようにしますと宣言するに等しい発言だ。

そしてこのパブリックコメントの最大の笑いどころは、ドワンゴが自身を「コンテンツプロバイダ」と述べているところであろう。あなた方がやっているのは、コンテンツの横流しであって、コンテンツの制作じゃないでしょ? こういうコメントを出す彼らが目指している理想とするビジネスの形は、自身を「適法」な「コンテンツプロバイダ」と政府に認めてもらった上で、合法的にクリエイタからの作品を横流しして、その上前をハネて甘い汁を吸おう、と、まあ、そういう姿なのだろう。それって、ニコニコ動画に群れてタダで動画を見続けて「フリーライダー」と謗られる厨房より、ずっと悪質なフリーライドだと俺は思うね。

(162)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-01-07 20:29:02

MIAUはじめました

先日、MIAU(インターネット先進ユーザーの会)という団体を立ち上げた。詳細はサイトを見たり適当にぐぐってくれ。とりあえずは、ダウンロード違法化問題を取り扱っているけれど、個人的には、末端の絵師やら研究者やらの視点から色々言ってみたいつもり。

なぜ著作権なのかといえば、ネット上でコンテンツを扱う上で、著作権が凶悪極まりないツールになってしまっているからだ。著作権者は、自分の著作物がどのように扱われるかについて、好き勝手に決められる権利があることになっている。考えようによっては、これは全うな主張のようでもあり、しかしながら、とんでもないワガママでもある。

例えば、自分が買ったCDであっても、その音楽をCDプレーヤー以外で再生してはいかんし、ましてやてPCから携帯電話にコピーするなんて言語道断、携帯で聞きたければ別途金を払って買え、というような要求を出したりしたら、ワガママ極まりないと感じるのが自然な人情だ。しかしこれは適法な要求だ。

さらにタチが悪いのは、そういうワガママな人に結構権力がある場合、そういう人の意向に従って、コンテンツを再生する「機械」までが作り変えられてしまうという問題がある。現に、俺の携帯電話には、(色々とトリックを使わないと)音楽を移せないようになっていたりする。

もし、こういうワガママな人の声がでかくて、例えば「イヤフォンやヘッドフォンでCD聞くの禁止、必ずスピーカー使え」とか言い出したとしよう。そして、もしヘッドフォン端子の無いCDプレーヤーしか発売されなくなったとしよう。そうしたら、この世からは「ヘッドフォンで音楽を聴く自由」が、実質的に消えてしまうだろう。知識と技術があれば、ヘッドフォン端子を自分で作ることくらいできるけど、でも、ほとんどのユーザはヘッドフォンを使えなくなるだろう。そして10年経てば、それが当たり前の世の中になる。この世界では、携帯CDプレーヤーは絶対に発売されない。きっと、外で音楽を聞く文化も、カセットテープ以後は滅んでしまうかもしれない。iPodは誕生していないだろう。

何てバカな比喩を、と嘲うかもしれない。でも、ビデオデッキが生まれた時は本当に同じようなことが行われた。1976年、米国の映画会社ユニバーサル社は、家庭用ビデオデッキを作ったソニーを訴えた。8年くらいかかった裁判は、最終的には5対4の僅差で無事ソニーが勝って、ビデオデッキは違法な存在にならずに済んだ。だからみんな忘れている。でも、もしビデオが違法となっていたりしたら、家庭のテレビデッキで、映画を繰り返し見たりするような生活スタイルは、絶対に訪れなかっただろう。そして皮肉なことに、もしそうなっていたら、ユニバーサル社自身も傾いていた可能性がある。今日の映画産業は、その収入の半分以上を、あれほど嫌っていたビデオやDVDの販売に依存しているからだ(もちろん、1976年当時の家庭用ビデオソフトの売上は、ゼロだったわけだ)。斯様に、目先の金に目が眩んでしまうと、大企業の優秀な経営陣であっても、たかだか10年そこそこの未来すら見通すのは難しい。

著作権や、その他通信や表現に関する諸々の改悪をゴリ押ししていけば、日本のコンテンツ業界は泥舟に乗ったままゆっくり沈没し、恥ずかしげもなく“くーるナントカ”と称する国際競争力も無くしていくだろう。商業主義満開な大衆迎合で当たり障りの無い大作アニメが、巨大な大手プロダクションから年に数本送り出され、それらはガリガリに強化された著作権法の下で大金を稼ぐ。受け手は、おとなしく金払ってヒナのように口を開けて、偉大なコンテンツ製作会社様から作り出されるエサを待っている。そういうコンテンツ産業の形って、俺は嫌いなんだよね。

みゃうたん:MIAUイメージキャラクター

昨今の著作権法を強化しようとする動きは、そういう社会へ向かいたがってる人たちの意向だ。俺は、そういうところには組してないし、多分今後も組しないと思う。だから、俺は何かしてみたかったわけ。

で、MIAU の擬人化をやってみた。命名:みゃうたん。一応他の設立メンバーにもほどほど好評。なのでオフィシャルである。猫娘というか、まあ、ネコマタなんだこの子は。

さて、当然こういう何だか魔法少女っぽいキャラクターには、ツッコミ担当の小動物が要るわけです。猫キャラだから、ツッコミキャラはねずみをベースにすると好いかなぁ。じゃあ、こんなんどうだろう。

ミキまる

あれ? なんかヤバい気がするのは俺だけか? で、でも、もう『蒸気船ウィリー』は著作権切れてるし、大丈夫なはず……。あ、そうだ、色が黒いのがよくないんだ、そんな薄汚れた色はいけないな。『おねがいマイメロディ』のフラッ○君みたいに、青くすりゃいいんでね?

青いミキまる

む、なんか22世紀の未来から来た猫型ロボットに似てね? うーん。

とか考えているうちに、mhattaに“ミキまる”と命名された。なので、色はともかくも、その方向性で行ってみよう。

みきまる各色

各色ご用意してみたので、みんなヤバくなさそうな色をはてなやウェブ拍手経由で教えてくだされ!

ま、まあ、そんな感じで、MIAUでも、なんかこういうキャラ使って遊んでも行きたいなと思っています。無闇に堅苦しいのは嫌いだからね。

(158)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

のまネコ問題で考える二次創作の創造性

先日、2ちゃんねらーの立場から「のまネコ」問題について経済産業省でプレゼンするという暴挙をやった。というわけで、そん時のプレゼンを、他のサイトで散々取り上げられているようなことはばっさり省いて、文章にまとめてみた(もちろんこんな口語体バリバリでプレゼンやっちゃおらんぜよ)。まずは、のまネコ問題に至るまでの経過から振り返ってみよう。

Dragostea Din Tei ジャケット画像 ( This image is copyrighted. )2003年、モルドバ出身のO-Zoneは、シングル『Dragostea Din Tei』をリリースした。しかし、まず欧州各国でヒットしたのはこの曲ではなく、Haiducii版PVより ( This image is copyrighted. )Haiducii という女性シンガーを用いた無許諾カバー版であった。無許諾のカバー版がイタリアで大ヒットしたことをきっかけにして、O-Zoneのオリジナル版も知られるところとなり、フランスやドイツで、オリジナル版、カバー版共にヒットを記録する。O-Zone と Haiducii 双方は、お互いをパクリだと非難しあったが、O-Zone のリリースの方が早いためオリジナルは彼らであろうと思われる。

ちんこ踏みパロディPVより ( This image is copyrighted. )その後、男性器丸出しの下ネタパロディPVや、踊り狂うイカれた外人など、この楽曲を用いた怪しい動画がインターネット上に多数出回った。もちろんこういった作品を作った彼らは、O-Zoneの楽曲の使用許諾など取ってはいない。しかし、こうして欧州で発生した無許諾の二次創作を2chやブログが面白がって取り上げたことが、日本上陸のきっかけとなった。何しろ、ちんこ丸出しパロディPVが、オフィシャルなものだと誤解されていたくらいである。わた氏がこういった作品に影響を受けたのは間違いない。

わた氏作のFlashより ( This image is copyrighted. )2004年10月頃、わた氏のFlashが大ブレイクする。モナーやモララー、おにぎりなどのAAキャラが多数出演するこのFlash動画は、オリジナルの歌詞に強引に日本語をあてはめてストーリーを作り上げた空耳歌詞で、もちろんこの楽曲の使用許諾は取っていない。こういう作品は「黒フラ」と呼ばれる。しかし、この著作権的に黒に近いグレーな動画作品によって、O-Zoneの曲は2chで広く話題になる。

踊り狂う Gary Brolsma 氏 ( This image is copyrighted. )一方アメリカでも、この曲に合わせて踊っている自らの動画を公開した“numanuma dance”で大ブレイクした。もちろんこれも勝手にやっているわけである。踊っているGary Brolsma氏はさまざまなメディアから取材を受け、アニメ版のパロディFlashが作られるほどの大人気人物となってしまった。

2005年、O-Zoneの楽曲の日本での販売を考えていたAVEX社は、わた氏のこの動画作品がプロモーションに使えると考え、CDへの収録を打診した。そして収録の際に、「モナー」や「モララー」の口を描き変えたり、「おにぎり」たちを白いネコに置き換えたりといった、微妙な修正がなされた。

このわずかな修正をもってして、「モナー」ではなく「のまネコ」の作品であるとオリジナリティを主張し、AVEX社及びその関連会社が著作権者表示を行ったり、商標出願を行うなどしたことが2chで大問題となったわけだ。しかし、楽曲自体は「のまネコ」を用いたプロモーションのお陰か、70万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

以上をまとめると、のまネコ問題を考える上での面白いポイントは、大体こんな感じになる。

  1. 著作権法上は違法っぽいカバー作品が、イタリアを皮切りとする欧州ヒットのきっかけだった
  2. 著作権法上は違法っぽい海外の二次創作作品の流入によって、楽曲が日本へ紹介された
  3. 著作権者に無許諾の音楽と、著作権を主張できそうにないキャラクターを用いた動画が日本でのヒットのきっかけだった
  4. 無許諾で音楽を使用していた作品を、著作権ビジネスをやっている音楽会社ですら面白がった
  5. AVEXのDQNぶりはとても一部上場企業とは思えない
  6. ひろゆきのガキっぽい嫌がらせ最高

すなわち、既存の著作権法を厳密に適応するとしたら叩き潰すしかない範囲での創作活動が、十分に人を惹きつける作品になり得るということを、図らずもこの事件は証明してしまったのである。著作権の厳密な適用は、創造的な作品が生まれそれを周知していく過程において、必ずしも有用ではない可能性が高いわけだ。そして、著作権法上の権利を侵害されたからといって、必ずしも作品が売れなくなるわけでもない、ということも示している。

でも、こののまネコ問題が長引くことによって、2ch住人などで行われている著作権的にグレーな二次創作を、企業側が嫌がってしまう可能性は、残念ながら高まったと思う。どんなに良い二次創作活動を発表しても、企業側がその作家達を商業レベルに引き上げるといったことを、やらなくなるかもしれない。なぜなら企業は、二次創作物やそれに関連する人間を商業ラインに乗せたことによって2chに叩かれる可能性を危惧するからだ。企業側には、何が2chに叩かれるものであるかを認識できるだけの、リテラシーが全くないんだ。

松浦氏のmixi撤退時の文章を拝読するに、今回の事件でのAVEX側の認識は恐らく、「俺様達がオマエラの便所の落書きの中から面白いもん見つけて広めてやったのに、一体何で怒ってんの?」である。AVEX側の対応が遅れた理由は、当初2ch側の主張を全く理解出来なかったからだと思う。それほどに、2ch側の倫理と、商業中心に考えている人たちのそれとは、すれ違っている。となると今後企業側は「めんどくせぇなー、ウゼェから黒フラとか二次創作してるやつらなんか潰してしまえ」となるかもしれない。俺はそれが怖い。

また、現在のところキャラクターに著作権はないにも関わらず、この問題を論じるほとんどの人間がキャラクターの著作権を前提に話を進めているというのも、俺の気になったところだ。キャラクターというのは「アイディア」であり、創作的に表現した作品ではないため、厳密には現行の著作権法で保護される対象ではない。しかし多くの人間が、キャラクターの著作権を前提に議論を進めていることは、のまネコ問題を取り扱うサイトや2chなどを見れば分かる。でもね、下手にキャラクターに著作権を認めてしまうのは危険だぞ? ちょっとでも似てたらぶっ潰せるのだからね。その辺の危険性まではあまり踏み込まず声高に著作権を騒ぐのは、ちょっと避けといた方がいいと思う。そもそも、著作権法が厳密に適用されてしまう世界だったら、この曲は恐らくヒットしなかったのだからね。

だからまあ、AVEXについては、法律がどうのこうのというより、創造性への意識や企業倫理がかなりズレていたという点で、批判すべきだと考えるわけだ。確かに、ちんこPV作った人やわた氏は無許諾で楽曲を使ったけど、法的にはほぼ真っ黒だと知ってたし、面白いモノを見て欲しい一心だったから、「人のものは俺のもの」精神はなかった。一方AVEXは、モナーを「インスパイヤ」しちゃったけど、違法とも言えなそうなのでジャイアニズム発揮しちゃった。今叩かれているのはこのジャイアニズム精神なわけです。

こういう話を聞いて納得してくれる霞ヶ関のエラい人も、いるようですよ。

蛇足:「みなさかなー」には、一瞬自分の名前呼ばれたのかとびっくりしますた。

※ 本記事はCCライセンスで公開されていますが、引用されている画像の著作権はそれぞれの著作権者に帰属し、CCは適用されません。ご注意ください。

(62)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-10-05 22:38:30

立場表明

情報通信技術が提供できるもの、それは人間の頭の中にしか存在できなかった論理的な構造を仮想的に具現化したものであると考えられる。

別に小難しいことではない。たとえば、画像ファイルをウェブに載せるということを考えてみようよ。自分の描いた絵を常に世界へ向けて公開しておけるって、ものすごいことじゃないですか。ウェブを作ったティム・リーだって、他人の論文がいつでも読みたかったから、そのためのシステムを作ったというだけだ。この欲望は、なかなかリアルワールドで実現させることは難しい。24時間開いている美術館。いつでも専門書が探せる図書館。しかも自宅から徒歩 0 分。そんなものは物理的には存在できない。仮想だから、実体が伴わないから、実現できた欲望だ。

情報通信技術が、なぜ素人に小難しく見えるのかといえば、それは全てが仮想的で論理的な概念の積み上げによって構成されているからだ。マウスのクリックやキーの入力といった人間の物理的な動作が、どのような「イベント」となるか、それは、OS やアプリケーションが勝手に決めることだ。同じ場所でマウスをクリックしても、それはファイルの選択であるかもしれないし、ハイパーリンクをたどるのかもしれないし、画面上に点を描くのかもしれないし、ウインドウを閉じるのかもしれない。そういった取り決めごとは、PC の操作に慣れてくると何も意識しなくなる。でも我々は、ものすごく多数の、誰かが作った論理的な概念に従い、その操作の約束事に基づいて、行動している。すごく便利でありながら、誰かの設計思想に規制されている。

そう、これがローレンス・レッシグのいう、「アーキテクチャ」というヤツだ。「アーキテクチャ」というのは、ひとたび気づいてしまうと、なんだかあまり気持ちのいい存在ではない。自分の自由行動であるかのように思えていた行動も、実は「何か」によってさり気なく行動の限界が設定されていたことを気づいてしまうからだ。

でも、「アーキテクチャ」をいきなり捨てたり変えたりするのは無茶なんだ。キーボードを捨てられますか? 俺はもう紙に鉛筆と消しゴムで文章を書くなんて想像もしたくない。あまり洗練されてるとも思わないけど、いまさら http を捨てるなんて論外だ。Windowsは捨てようと思えば捨てられるかもしれないが、俺はきっとウインドウマネージャに KDE を選んじまうだろうな。「アーキテクチャ」は強く個人の行動を支配する。

しかし、別の考え方もできる。紙とペンという「アーキテクチャ」に対し、キーボードという提案がなされ、俺はそれを歓迎し受け入れた。キーボードという「アーキテクチャ」は、紙の上では可能だった俺の行動の自由や表現力をそれなりに奪っているけれど、しかしその代わりに色々な機能や利便性を提案してくれているし、またこれを利用して、今まで絶対にできなかったことができるじゃないか。キーボードを使わなきゃ、締切4時間前から1万字近い文章を綺麗な字ででっち上げるなんて不可能だ。

重要なのは、ある「アーキテクチャ」での行動の自由度はどれくらいあって、また、その「アーキテクチャ」をどこまで改変していくことが可能なのか、というところだろう。お仕着せのモノが持つ気持ち悪さを抱えながら、でも己の良心に従って、ちょいとばかしの抵抗をしながら生きていくのが、情報通信技術産業に携わる者の生き様というやつなのではないかなぁ、とか思うのだ。

最近困ったなぁと感じてるのは、この程度のことを口頭で説明しても、なかなか理解してもらえないという事実。何が分かりにくいのかワカラン! と切れたいとこだが、ああなんてこったい、SFC でも、WORD の使い方とか教えるんですかぁ。それじゃ情報技術の分かる管理職の育成とかじゃなくて、ただの消費者じゃないですか。参ったなぁ。どうすれば少しマシになるのか、そんなことを考えている人間は、技術者の中には大勢いるのだけれど、文章としてまとめる気のある人はあまりいないんだ。そして、世にはびこる情報社会論は、文系の学者の視点、つまりは情報技術を利用する人間のものばっかりになる。これがさらに絶望感を煽る。

お仕着せのアーキテクチャが気持ち悪くても、それは技術者ならある程度打破していける。例えば、キーボードの配列が気持ち悪ければ、物理的 or 論理的にマッピング変えちまえばいい。携帯電話のように10キーで全てのアルファベットが入力したいなら、そういうアプリケーションを組んでもいい。そういったことを考えるのも、実際に組むのも、(ヒマがあればだが)楽しい。でも文系の学者には、そういったことはまず理解できない。一方の技術者は、文系の学者と議論して説き伏せるほどの、文章構成力が無い。そして、大半の人間には、何が問題なのかも分からない。というわけで、情報社会に関する「学際的」な議論は、全然かみ合わずに空転するか、枝葉末節に終止しがちなんだ。

がんばろーっと。

(51)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 01:30:17

電車男の決定的なキモさ

電車男』って胡散臭いよね。書籍化の上に映画化ですかーご成功はお祈りしときますー。20台半ばの女性がピンクのスカートにツインテールというありえない格好をしてる不自然さみたいな、語りつくされている疑問点はおいといて、他人が指摘してないと思われるポイントを述べてみよう。今更な話題なのは、今更考えたからだ。そりゃー去年話題になった頃にまとめサイトには目を通したけど、キモかったからスルーしたんだよね。

まず気に入らないのは、オタクがちょっと努力して脱オタクして適宜ブランド物なども消費しつつ普通に恋愛する、という物語の骨子だ。オタク暦=年齢マイナス6年くらいのオタクたる俺としては、こういう展開は許し難い。あのさぁ、オマエラは彼女に縞パンはいて欲しかったりとかしないのか?(縞パンてのはこういうパンツだ、念のため) ああ、今なんかの間違いでここを読んでる人たちが音を立てて引いていったのは分かる。普通の人にはキモかろう。それくらいは分かる。だがそれでも妄想しちゃう業の深さがオタクだろう。こんなオタクの恋愛じゃ一般人には理解されない。だからって、背伸びしてエルメスを出したりあっさりオタク趣味を捨てたり。そういう、初っ端から最後まで、多勢に迎合する主体性のなさが俺には不快だ。

バブル期に大流行した『一杯のかけそば』は、貧乏を乗り越えて出世という幅広い世代に大うけの典型的な立身出世の文脈だった。21世紀の『電車男』は、オタクとヒキコモリを乗り越え“ネット”を捨て“普通”に女とセックス。これが、現在の主体性なきオタクどもの理想なのか? いや、そうじゃないな。これは、「主体性のない若いヒキコモリのオタクどもも“普通”になりがたっているんだ」と信じたい人たちの欲望なんだ。わかってねーな年寄りめ、オタクってのはやりたくてやってんだよ。で、そういうしょうもないのをどうやって一般社会と折り合いをつけていくかってところでオタクは悩んだり諦めたりしてるんだろーが。

話を一般化しよう。つまり、電車男の根底には、「オタクとかネットとかやってるキモいヤツらも、ちょっとがんばれば“普通”の恋愛ができるんだよ」という付和雷同で思考停止な大衆的傲慢さがある。そして、この傲慢さは、一部のウブな2ちゃんねらーや、糞ほどに生産されているオタクコンテンツを口開けて受け止め続けるだけの無為な消費者や、ホームページ=インターネットだと思っている人たちや、オタクとかネットとかが不気味で仕方が無い年寄り世代には、非常に受け入れやすい主張だった。そういうことだ。

切込隊長のブログのコメント欄に、社会へ戻りたがってるオタク達の理想像を描いたものだとヌかしていた馬鹿がいたが、あまりに一面的で掘り下げが足りません。こういうのにばかり好かれる山本センパイはほんとに大変だと思います、素で。

もう1つ、より客観的な電車男についての違和感も書いておこう。

あのまとめサイトがなんであんなに気持ち悪いのかといえば、そこには2ちゃんねるなら当然あるはずの、否定意見や煽りが全く存在しないからだ。全員が電車男を大マンセー。うわぁ、気持ち悪い。ここは隣国(しかも北の方)のサイトか? 煽りなどの否定的な文脈を全部捨ててしまい、自分にとって都合のいい部分だけを抜き出した、大勢が一人の弱者を導きその努力を称える成長物語。「大勢が一人を」ってところがとてつもなく気持ち悪い。2ちゃんねるってのは、自分の意見が如何に普遍的じゃないかを確認できる場所だろう? 自分の意見や経験をあっさり否定する人と簡単にコミュニケートできる。これこそが2ちゃんねるの最大の魅力だろうに。それを完全に消している。

さらに、このマンセーぶりから思いついたことがある。『電車男』って、全部自作自演なんじゃないかという意見はあちこちに見つけることができるが、俺もそう思う、と言ってみよう。だってさ、もしあの本の中身の全部が自作自演(か、まとめサイトの人間とその身内による壮大な釣り)なら、新潮社はまとめサイトの人と契約するだけで、なんらの訴訟リスクもなく、堂々と出版できるじゃない。現状は、「著作権法に違反してはいるけれど、書き込んだ人が訴えてこないので何とかなってます」だと一般には認識されてるけど、それって間違いなんじゃないの? 『電車男』というのは、大多数が書き込んでるようなフリをした新しい小説の表現形態なんじゃないのかな。そう考えれば、新潮社が堂々と出版したのも納得が出来る。現行の著作権法では収まりきらない新しい創作の事例として、著作権法のあり方を批判してきた俺たちとしては、事例として使えなくなってしまうけどな。あーあ。

トップ主導のくせにボトムアップであるかのように装って、メディア展開してコンテンツを売る世界って、俺としてはものすごく願い下げ。まして頭の中にあるのが金儲けのことだけときちゃ。あーあ。考えることや調べることをサボるとロクなことはない。というわけで当時ちゃんとしたリサーチと洞察をサボったことは、とても後悔している。

(75)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-10-30 18:04:09
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