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ノースリーブ赤セーラー姉妹

ノースリーブ赤セーラー姉妹

春めいていながらも、なんとなくクリスマスっぽい感じもするノースリーブ赤セーラー姉妹。

(58)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:21

ベッキーの髪の陰は何故ピンクなのか

図0:陰を入れる前のベッキー
図0:陰を入れる前のベッキー
『ぱにぽにだっしゅ』ヤバい、超ヤバい。このアニメについてはあまぞんのレビューで絶賛しておいたけど、もう1つ俺的に評価しておきたい点がある。それは、主人公ベッキー・宮本の金髪の陰の部分をピンクで塗っているというところだ。金髪の陰をピンクで塗ることの何がどうすごいのか、ベキ子の髪をいじりながら説明してみよう。


図1:明度を下げるのみ
図1:明度を下げるのみ
じゃあそもそも、陰(シェード)の色ってのは、普通どうやって決まるんだろうか、というところから考えてみよう。

真っ先に思いつくのは、単純に髪の地の色の明度を下げればいいんじゃないかというところだ。明度を下げて陰色を塗ってみたのが図1だ。

よく見て欲しい。陰の部分が緑っぽく(あるいは青っぽく)見えると思う。そのままの色相で明度を下げただけなのに、色味(色相)が変化している。なぜだろう。答えは、「錯覚」だ。


図2:色陰現象とその補正
図2:色陰現象とその補正

この錯覚は、色陰現象と呼ばれる。彩度の高い色の隣に彩度の低い色があると、彩度の低い色の方は補色に近づいて(補色との加法混色に)見えるのだ。


図3:明度を下げ色相を赤方向に
図3:明度を下げ色相を赤方向に
そのため俺たち絵描きは普通、明度自体はそれほど下げずに、“補色に引きずられる色とは逆の色(色相環の反対側にある色)寄り”に、陰の色を設定する。そうすると、例えば図3のような色合いになる。これくらいが、金髪の陰として無難なところだろう。
以上が、一般的な陰色の決定のメソッドだ。もちろん、絵師はこんなめんどくさいことをいちいち考えているわけはなく、経験と勘でやっているのだけれど、言語化すればこんな感じだろう。


さて明度を下げただけの図1と、明度をそれほど下げずに色相をずらした図3の画像は、実は、グレイスケール化すると、全く同一になる。というか、そうなるように色を選んでみた。

図4:図1及び図3の輝度成分は同一
図4:図1及び図3の輝度成分は同一
図1:明度を下げるのみ
図1
図3:明度を下げ色相を赤方向に
図3


どういうことかというと、どちらの画像も、輝度成分、つまり「人間の目が感じる明るさ」は、計算上等しい、ということを意味している。
図5:グレースケール化した色相環
図5:グレースケール化した色相環
しかし図1図3を並べてみると、とても明るさが等しいとは思えない。どうも図1の方が暗く見える。なぜか。それは、先ほども述べたように、左の画像は色陰現象によって青味がかった色合いに見えるため、髪全体の見かけ上の輝度が下がっているのだ。青はとても暗い色である。その青に引きずられるせいで、全体が暗く見えるのだ。
実は、色には「色自体の持つ明るさ」がある。図5を見て欲しい。これは、図2で用いた色相環をグレースケール化したものだ。赤(rgb:ff0000)と緑(rgb:00ff00)を加法混色した黄色(rgb:ffff00)が最も明るく、青(rgb:0000ff)が最も暗い色であることが分かるだろう。
人間の目は光の三原色のうちの緑を突出して強く認識する。同じ強さで赤の成分があっても緑の半分以下の明るさとして認知するし、青は緑の1割くらいでしかない。なぜそうなのかといえば、人間の目がそう感知するからとしか言いようがないのだが、テレビのNTSCにしろ画像ファイルのJPEGにしろ、輝度(人の目が感じる明るさの情報)を利用するシステムは、この人間の目の特徴に依拠している。
ここまでをまとめよう。
  • 彩度の高い部分の陰の色は、地の色相と同じではマズい
  • 陰の部分は、色陰現象を打ち消し、全体の色調を整える色相へズラさねばならない
  • 色そのものの明るさを把握すると、単に明度のみによってではなく、色相の変化によっても輝度を下げることができる
もっと分かりやすく一言でまとめるとこうなる。
  • 陰の部分は、単に地の色の明度を下げただけの色で塗ってはいけない


さて、本命アニメ版の色指定を参考にして、というか、TV画面キャプチャしてレベル補正してスポイトで色拾って陰色を置いてみたのが図6である。目を引くカラーリングだ。
図6:アニメ版のベッキーは色相を赤方向にずらすのみ
図6:アニメ版のベッキーは色相を赤方向にずらすのみ
図7:図6の輝度成分
図7:図6の輝度成分
図4:図1及び図3の輝度成分
図4:図1及び図3の輝度成分


この陰色、実は明度は全く下げずに、色相を赤方向へずらしただけなのである。そのため、この画像の輝度成分(図7)を見てみると、図4に比べて明るいことが分かる。こういう塗り方は、多分7、8年くらい前に、「ハイエンド系」とか呼ばれてた人達の塗りを極端にしたものだと思われる。例えば、ハラダヤの原田さんとか、一見不可思議な色で陰を塗っていたように思う。


参考までに色相を全くいじらずに同じ輝度成分を持つよう陰部分の明度だけを下げてみると、図8となる。輝度差がないため、陰部分との色の違いが分かりにくく、図1よりいっそうぱっとしない。そしてやっぱり色陰現象によって緑色がかって見える。
図8:色相そのままで図6と同じ輝度を持つ
図8:色相そのままで図6と同じ輝度を持つ
図1:明度を下げるのみ
図1


それでは、図6図8を比較してみよう。この2つは同じ輝度であるのだから、人間の目は同じ明るさを感じるはずだ。しかし、図6の方に強い色味を感じていると思う。ということはこれも錯覚だ。どういう理由なのだろうか。
図6:アニメ版のベッキーは色相を赤方向にずらすのみ
図6:アニメ版のベッキー
図8:色相そのままで図6と同じ輝度を持つ
図8:色相そのままで図6と同じ輝度を持つ


図9:色相対比で中心は赤っぽい
図9:色相対比で中心は赤っぽい
図10:色相対比で中心は黄っぽい
図10:色相対比で中心は黄っぽい
この錯視は、多分色相対比で説明できると思う。色相対比とは、周囲の色相の影響を受けて色相が変化して見える錯覚のことである。図9の中心の丸は赤っぽく見え、図10のは黄色(あるいは白)っぽく見えるが、実際には両方とも同じ、ベッキーの髪の陰に使われている色だ。


図11:陰色の色相
図11:陰色の色相
そういえば、さっきからベッキーの陰色を「ピンク」と言っていたが、実はこの陰色の色相は、全然ピンク(マゼンダ系)ではない。単色で見れば、薄いオレンジ、それも朱色というような色である。それが黄色との色相対比によって、色相環の赤系の方向へ引きずられるため、ピンクっぽく見えるのである。さらに、色相対比によって低い輝度の色へシフトして見えているから、髪の毛全体の見かけ上の暗さも増しているのだ。図8が色陰現象で暗く見える度合いより、図6の色相対比の効果の方が強い。すげえ、すげえよこの配色!!


利点を整理しよう。ベッキーの髪は、薄い黄色とオレンジを利用して塗られているが、錯視を活かして髪を実際よりずっと濃い色に見せかけている。しかし、実際に輝度が低いわけではない。だから、ベッキーの顔がアップになって画面が髪だらけになっても、画面全体の印象が重く(暗く)なることはないのだ。
この塗りから得られる教訓を挙げてみよう。
  • 色相そのものがもつ明るさを利用することで、陰が表現ができる
  • 陰の部分が大きくても、色相差を用いれば画面全体の明るさを維持できる
  • 色の錯覚を利用して、実際の輝度より明るく見せたり、暗く見せたりすることができる
色って面白いねぇ。
この文章の要旨:『ぱにぽにだっしゅ』は最高。
(1803)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2015-09-06 15:01:17

久しぶりにちょっとだけ商業絵描いた

「戦時下」のおたく表紙 (This image is copyrighted!) 角川書店から出る『「戦時下」のおたく』(ササキバラゴウ編)という本の表紙とか描きました。3ヶ月くらい前に描いたパンツ絵で、思わず描いたことを忘れかけてました。見かけたら手に取ってみてください。

まだ届いた本を読んでないのですが、この本の趣旨は、オタク産業に入り込もうとしている昨今の官の体制への憂慮であると思われます(という企画だそうです)。そういう動きの渦中にいる人間としてコメントがし難い部分もありますが、まぁ、オタクたちの行動が国家戦略として取り込まれていくことを、評論家たちは憂慮すりゃいいだろうし、俺みたいなちょっと知恵をつけた創り手は、俺より上手い創り手たちのために、いろいろかいくぐる方法を考えればいいし、まあ、オタクは死にません。パンツも不滅です。縞パンにすりゃよかったとちょっと後悔してます。

(47)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-10-06 08:46:02

のまネコ問題で考える二次創作の創造性

先日、2ちゃんねらーの立場から「のまネコ」問題について経済産業省でプレゼンするという暴挙をやった。というわけで、そん時のプレゼンを、他のサイトで散々取り上げられているようなことはばっさり省いて、文章にまとめてみた(もちろんこんな口語体バリバリでプレゼンやっちゃおらんぜよ)。まずは、のまネコ問題に至るまでの経過から振り返ってみよう。

Dragostea Din Tei ジャケット画像 ( This image is copyrighted. )2003年、モルドバ出身のO-Zoneは、シングル『Dragostea Din Tei』をリリースした。しかし、まず欧州各国でヒットしたのはこの曲ではなく、Haiducii版PVより ( This image is copyrighted. )Haiducii という女性シンガーを用いた無許諾カバー版であった。無許諾のカバー版がイタリアで大ヒットしたことをきっかけにして、O-Zoneのオリジナル版も知られるところとなり、フランスやドイツで、オリジナル版、カバー版共にヒットを記録する。O-Zone と Haiducii 双方は、お互いをパクリだと非難しあったが、O-Zone のリリースの方が早いためオリジナルは彼らであろうと思われる。

ちんこ踏みパロディPVより ( This image is copyrighted. )その後、男性器丸出しの下ネタパロディPVや、踊り狂うイカれた外人など、この楽曲を用いた怪しい動画がインターネット上に多数出回った。もちろんこういった作品を作った彼らは、O-Zoneの楽曲の使用許諾など取ってはいない。しかし、こうして欧州で発生した無許諾の二次創作を2chやブログが面白がって取り上げたことが、日本上陸のきっかけとなった。何しろ、ちんこ丸出しパロディPVが、オフィシャルなものだと誤解されていたくらいである。わた氏がこういった作品に影響を受けたのは間違いない。

わた氏作のFlashより ( This image is copyrighted. )2004年10月頃、わた氏のFlashが大ブレイクする。モナーやモララー、おにぎりなどのAAキャラが多数出演するこのFlash動画は、オリジナルの歌詞に強引に日本語をあてはめてストーリーを作り上げた空耳歌詞で、もちろんこの楽曲の使用許諾は取っていない。こういう作品は「黒フラ」と呼ばれる。しかし、この著作権的に黒に近いグレーな動画作品によって、O-Zoneの曲は2chで広く話題になる。

踊り狂う Gary Brolsma 氏 ( This image is copyrighted. )一方アメリカでも、この曲に合わせて踊っている自らの動画を公開した“numanuma dance”で大ブレイクした。もちろんこれも勝手にやっているわけである。踊っているGary Brolsma氏はさまざまなメディアから取材を受け、アニメ版のパロディFlashが作られるほどの大人気人物となってしまった。

2005年、O-Zoneの楽曲の日本での販売を考えていたAVEX社は、わた氏のこの動画作品がプロモーションに使えると考え、CDへの収録を打診した。そして収録の際に、「モナー」や「モララー」の口を描き変えたり、「おにぎり」たちを白いネコに置き換えたりといった、微妙な修正がなされた。

このわずかな修正をもってして、「モナー」ではなく「のまネコ」の作品であるとオリジナリティを主張し、AVEX社及びその関連会社が著作権者表示を行ったり、商標出願を行うなどしたことが2chで大問題となったわけだ。しかし、楽曲自体は「のまネコ」を用いたプロモーションのお陰か、70万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

以上をまとめると、のまネコ問題を考える上での面白いポイントは、大体こんな感じになる。

  1. 著作権法上は違法っぽいカバー作品が、イタリアを皮切りとする欧州ヒットのきっかけだった
  2. 著作権法上は違法っぽい海外の二次創作作品の流入によって、楽曲が日本へ紹介された
  3. 著作権者に無許諾の音楽と、著作権を主張できそうにないキャラクターを用いた動画が日本でのヒットのきっかけだった
  4. 無許諾で音楽を使用していた作品を、著作権ビジネスをやっている音楽会社ですら面白がった
  5. AVEXのDQNぶりはとても一部上場企業とは思えない
  6. ひろゆきのガキっぽい嫌がらせ最高

すなわち、既存の著作権法を厳密に適応するとしたら叩き潰すしかない範囲での創作活動が、十分に人を惹きつける作品になり得るということを、図らずもこの事件は証明してしまったのである。著作権の厳密な適用は、創造的な作品が生まれそれを周知していく過程において、必ずしも有用ではない可能性が高いわけだ。そして、著作権法上の権利を侵害されたからといって、必ずしも作品が売れなくなるわけでもない、ということも示している。

でも、こののまネコ問題が長引くことによって、2ch住人などで行われている著作権的にグレーな二次創作を、企業側が嫌がってしまう可能性は、残念ながら高まったと思う。どんなに良い二次創作活動を発表しても、企業側がその作家達を商業レベルに引き上げるといったことを、やらなくなるかもしれない。なぜなら企業は、二次創作物やそれに関連する人間を商業ラインに乗せたことによって2chに叩かれる可能性を危惧するからだ。企業側には、何が2chに叩かれるものであるかを認識できるだけの、リテラシーが全くないんだ。

松浦氏のmixi撤退時の文章を拝読するに、今回の事件でのAVEX側の認識は恐らく、「俺様達がオマエラの便所の落書きの中から面白いもん見つけて広めてやったのに、一体何で怒ってんの?」である。AVEX側の対応が遅れた理由は、当初2ch側の主張を全く理解出来なかったからだと思う。それほどに、2ch側の倫理と、商業中心に考えている人たちのそれとは、すれ違っている。となると今後企業側は「めんどくせぇなー、ウゼェから黒フラとか二次創作してるやつらなんか潰してしまえ」となるかもしれない。俺はそれが怖い。

また、現在のところキャラクターに著作権はないにも関わらず、この問題を論じるほとんどの人間がキャラクターの著作権を前提に話を進めているというのも、俺の気になったところだ。キャラクターというのは「アイディア」であり、創作的に表現した作品ではないため、厳密には現行の著作権法で保護される対象ではない。しかし多くの人間が、キャラクターの著作権を前提に議論を進めていることは、のまネコ問題を取り扱うサイトや2chなどを見れば分かる。でもね、下手にキャラクターに著作権を認めてしまうのは危険だぞ? ちょっとでも似てたらぶっ潰せるのだからね。その辺の危険性まではあまり踏み込まず声高に著作権を騒ぐのは、ちょっと避けといた方がいいと思う。そもそも、著作権法が厳密に適用されてしまう世界だったら、この曲は恐らくヒットしなかったのだからね。

だからまあ、AVEXについては、法律がどうのこうのというより、創造性への意識や企業倫理がかなりズレていたという点で、批判すべきだと考えるわけだ。確かに、ちんこPV作った人やわた氏は無許諾で楽曲を使ったけど、法的にはほぼ真っ黒だと知ってたし、面白いモノを見て欲しい一心だったから、「人のものは俺のもの」精神はなかった。一方AVEXは、モナーを「インスパイヤ」しちゃったけど、違法とも言えなそうなのでジャイアニズム発揮しちゃった。今叩かれているのはこのジャイアニズム精神なわけです。

こういう話を聞いて納得してくれる霞ヶ関のエラい人も、いるようですよ。

蛇足:「みなさかなー」には、一瞬自分の名前呼ばれたのかとびっくりしますた。

※ 本記事はCCライセンスで公開されていますが、引用されている画像の著作権はそれぞれの著作権者に帰属し、CCは適用されません。ご注意ください。

(61)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-10-05 22:38:30

夏のセーラー

夏場はノースリーブセーラー服

同人作品集『ns for real』に収録したカットを組み合わせて、下半身とか描き足して背景をつけたリミックス作品。

この服は、K-STADIUM というレースチームのレースクイーンが着ているらしいノースリーブセーラー服。エロいなぁ。ワキ見せるための服だよね。デザインした人は多分俺と同じ趣味だ。お子様用のロリサイズはないと思うけど。

手前の女の子はえむ子たん。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:22

春の通学

女子高生とタチコマタンク付きヴェスパ,ニーソ

2005年春の扉絵。ヴェスパで通学する女子高生。多分そんな女の子はいないだろうけどなぁ。背後の黒猫様の影が薄い気がします。この絵のノースリーブセーラー服版は『ns for real』に収録。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2011-02-21 21:22:52

ボールはトモダチ!

ボールはトモダチ!

1年前に公開した縞パン猫耳のトップ絵。体のパースとか間違ってたので色々修正。猫耳少女がボールを蹴りながら通学したりしてたら……じゃれ続けて学校には着かない。

以前 OS たん関係か制服系の板を巡回していたら、この絵をいじくってMeたんにしてうpた人がいたのはビックリしたなぁ。他人にいじくられるのも面白いと思いますた。Meたんの服がノースリーブセーラー限定でいいなら俺も描くが。

(55)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:22

魔法兎

魔法兎

2002年というものすごく古い縞パンウサギ耳のトップ絵を少し描き換え。当時は普通のエロゲ塗りを心がけていた気がする。

記憶をたぐってみるに、あまりウサギ耳に見えないウサギ耳娘が握っている謎コネクタ付きのケーブルは、多分 3COM の LAN ケーブルがモデルだと思う。わりと PS/2 に見えるが。背後の生物も、2002年当時はギコ顔だったのだが、この顔に描き換えたところ、ものすごく怖いともっぱらの評判です。

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:22

アートとコンテンツの違い

アートって何だろう。村上 隆がオタク作品をアートだと主張する時の違和感は何だろう。半年くらい前に俺の絵をイギリス人のインテリに見せたら、「アートだ!」とか騒いでくれたが、それは大きな勘違いというものだ。アート(芸術作品)とコンテンツ(商業作品)とは何が違うんだろう。

アート作品とは、複製が困難でこの世にその1点きりしか存在しない作品のことを指す。この世に1つしか存在しないのだから、その作品を市場で取引する場合は、大変な高値で行われることになる。一方、コンテンツは、そもそも全く同一の作品が多数存在しえるよう、複製が容易な表現形態でのみ、製作が行われる。その作品の完全に同一なコピーが多数存在するのだから、当然市場では安価に取引される。アートとコンテンツの本来的な違いは、この1点のみだ。

オタクコンテンツが時々アートだと叫ばれてしまう理由は簡単で、それはアート作品に芸術家が挑む時と同様、オタクコンテンツの作家も命を削って作品を作っているからである。しかしながら、どんなに命を削ろうが、その作品はコピーされることが前提なので、決して高価にはなりようがないのだ(命の削りっぷりや作品の輝きっぷりを評価する概念として、ベンヤミンの「アウラ」という言葉があったりするが、一部の文系の人にしか通じない狭くて誰も読まない話になるし俺もよく知らないので止めておきたい)

とはいっても、オタクコンテンツを高価なアート作品にしてしまう方法は簡単である。複製しなけりゃいいのだ。「これはアートなので1点モノです、複製しません!」と宣言すればいい。村上 隆もそうやっている。しかし、コピーできる媒体の作品(印刷とかフィギュアとか)でそんなことを叫んでも、そりゃあ違和感があるだろう。同じようなことをやっているのが、“エウリアン”と揶揄される、天野喜孝の水彩画やラッセンのシルクスクリーンのコピーを押し売りする版画販売業者だ。

一方、アート作品をコンテンツにしてしまう方法も、まあ簡単である。コンテンツと同じように、複製が容易な媒体に向けて作品を作ればいいのだ。例えば写真とかNTSCで再現できる映像作品とかさ。それでどうなるかというと、作品がさっぱり売れないだけだ。かくして、「芸術なんてゴミ」だとかいわれてしまう。

だって、芸術というのは、すげぇニッチな層へ向けるものだ。そもそも1点しか作らないものなのだから、受け手が大勢いたら困るんです。なので、極々少数の受け手へ向けた文法で作品を作るわけだ。そんな作品を、多くの人に楽しんでもらえる文法で作られたコンテンツと同じ媒体に乗せたって、そりゃぁ勝負にはならんわけですよ。写真などの複製できるメディアで芸術だといわれる作品が存在し得るのは、デジタル技術が普及する以前の時代には、写真の複製に物理的な手間がかかり、なおかつ美術館での展示や高級な書籍として媒介させる以外販路がなかったからだ。

さて、ここで視点を変えて、情報通信技術がアートやコンテンツに与えた影響を考えてみよう。

まずコンテンツについて。情報通信技術の発展によって、情報の共有、すなわち情報のコピーは行いやすくなった。だから、コンテンツの流通コストは下がる。コンテンツの製作も容易になった。ということは、流通するコンテンツの総量は増えるわけで、経済の基本原理に従った結果どうなるかといえば、人々がコンテンツを今以上に消費していくか、あるいはコンテンツの創り手の淘汰が行われない限り、コンテンツ1つあたりの値段はグッと下がるということを意味する。日本のオタク市場はほぼ飽和している。となればコンテンツの世界でいわゆる「勝ち組」になるには、外人とかに売りつけながら、創り手同士の生存競争に勝つくらいしかない。でも、逆に考えれば、創作や発表のコストが下がって低リスクになるのだから、細く長くゆっくり自分の主義主張の下で活動することも、可能になったという見方も出来る。どっちを選ぶかはその人次第やね。

一方、アートの方だが、先ほど述べたように、芸術作品は皆に広める必要など全くないのだ。啓蒙主義的な作品だって、どうせエリートにしか届かない。本当の大衆はアートなど必要とはしない。芸術の本質は、唯一性だ。だから、本来的には、情報通信技術はアートに何の影響も与えないはずだ。でも、写真や映画など、複製できるメディアのアートが持っていた「芸術性」などといわれる芸術の文脈は、よりいっそう奪われていって、コンテンツと同じ土俵でアートが勝つチャンスは、決定的にゼロになるだろう。芸術性とやらを発揮したければ、複製できるメディアでコピーできないふりをするか、そもそも複製できないメディアを使うか、しかないんだ。

繰り返しになるが、普通の人が芸術を理解しない理由は簡単だ。そもそも創り手に相手にされてないからだ。芸術というものは、創造性に理解があり、作家の背景を想像し解釈し講釈できる人たち、そしてその解釈を理解できる人たち、すなわち教養あるエリートの間だけに共有される。一方コンテンツは、一人でも多くの人が理解できるように、作られる。ハリウッドの映画からふたばの二次裏に貼られる絵まで、全てがそうだ。商業用途に用いられない個人的な作品であっても、多くの人への訴求力を持つよう商業的にくみ上げられた作品の影響下で作られている。だから、分かりやすくキャッチーに作るという文法から逃れることはできない。

で、コンテンツ畑の俺が今なんとなく考えてるのは、コンテンツについての文法、言い換えると、コンテンツの技術的なクライテリアをもっと共有したいなーって辺りだ。評論という形でのコンテンツの文脈付けは既にかなり行われているけれど、技術を知らないために頓珍漢なのも少なくない。特に商業音楽は酷いと思う。芸術の技術的なクライテリアはそれについて教えてくれる学校もちゃんと存在するのに、コンテンツについての技術的なクライテリアは、映画や写真などの古いメディアの以外全然固まってない。まあ、すぐ廃れてしまうのでまとめるのが難しいというのはあるかもしれないが、夏目房之介とか竹熊健太郎より新しい世代で、萌え絵とかをまとめていかないといかんのかなあ、と思わなくもない昨今である。とかいってるが、実はこれ書いているうちに思いついただけだ。

(50)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 01:29:06

キャンギャルノースリセーラー服 with ヴェスパ様

キャンギャルノースリセーラー服 with ヴェスパ様

某レースクイーンのノースリセーラー服 + ヴェスパ様 + 黒猫様 on タチコマタンク

そしてこの携帯電話は東芝だ!tu-kaだ!

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:22
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