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七夕妄想解釈

織姫は、その名のとおり機織を生業としていた女性であったのだろう。牽牛も字のとおり、牛を飼っていたに違いない。牧畜なのか農業なのかは分からないが。つか、これまともな名前じゃねーな。むしろ職業名か称号みたいなもん? 記憶を振り絞って七夕の伝説を思い返せば、“働き者だった 2 人が結婚したところ、いかがわしい 18 禁な行為にばかり勤しんでいるので、その熱愛ぶりに嫉妬した 怠惰に激怒したエラい人だか神様だかが天の川の両岸に 2 人を引き裂き、年に1度の逢瀬のみ許した”、というものだったと思う。

さて、このお話がいつ生まれたものなのかは知らないが、暗示されている教訓を抜き出すのは簡単だ。

  • 男は外で仕事しろ
  • 女は家で働け
  • 昼間っからやりまくってんじゃねぇ
  • がんばってればたまにご褒美あるんだから、なまけるな

これらから、この物語の聞き手として想定しているのがどういう人達なのか妄想してみよう。

まず、男女の理想像が描かれそれぞれの社会での性的な役割(ジェンダーね)が固定しているということは、職業が専門化し分業が行われる社会になっているということだ。社会が複雑化し高度化し様式化していなければ、この物語は通用しない。また、「やりまくるな」という教訓が含まれてるということは、逆に言えばそれなりに遊びでセックスするくらいの社会的な余裕はあるということでもあろう。現代の日本において、「ひきこもるな」と社会がメッセージを発するということは、ひきこもりが存在するだけの社会的な余裕があることを意味しているのと同じだ。それに、もし戦乱などで人的リソースの損耗が著しい場合は、産めよ殖やせよ的スローガンになるはずだから、爆発的な人口の増大を求めない、安定して平穏な社会であることがうかがえるだろう。ちゃんとご褒美を毎年用意できるというところからも、社会の安定がうかがえる。

なんか、これってこの前までの日本の姿に似てるような気がしない? 高度経済成長期を知っている大人がその子供に聞かせるのには、なかなか悪くない題材なわけだ。だから、我々はこの物語を知っているんじゃないのかな。

こういった物語は、時代によって細かい部分が変わっていく。それは、社会がそうあることを求めるからだ。今発刊されている絵本の桃太郎は、鬼を殺さなくなっているという。かちかち山の狸も死なないみたいだ。子供のときからそういう話ばかり聞いていれば、昔はどういう話だったのかなんて誰も気にとめない。そういえば、数年前には『本当は恐ろしいグリム童話』なんて本が売れたよなぁ。グリム童話だって、社会の求める姿にだんだん変形していった。もともとディズニーのような脳内お花畑満開のアメリカ的ハッピーな物語というわけではなかった。というわけで、すっかりおなじみの七夕の物語も、歴史と共に変わってきた部分があるんじゃないかなぁ。もし大きく変わってないとしたら、受け入れられなかった時期や地域というのが存在しているんじゃないだろうか。

今のところ詳しく調べてみる気はない。まあでも、誰か調べてそうだなぁ。

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:23

情報技術 = ギロチン論

「情報社会における新しい政府のありかた」。「ITがもたらす新時代と行政組織の変革」。「縦割りの弊害を排除した新しい社会モデルを目指して」。俺が今適当にでっち上げたスローガンだが、なんだか似たようなお題目はあちらこちらから聞こえていて、誑かされた役人が CISCO とか NTT とかに税金流し込んで、いまいち正体の分からない IT 投資を日本中でやっている。

一昔前よく取り上げられた IT 投資の成功事例として、コンビニの電話料金徴収システムがある。紙に手で記入された振込用紙を銀行員がダブル・トリプルチェックして 1 つ 1 つハンコをついて入金処理を行う( 1 件の振込に数百円の人件費がかかるという)のに比べれば、バイトの店員がバーコードにレーザ光を 1 秒当てるだけで済む(人件費は 20 ~ 50 円くらいかな)のだから、圧倒的に低コストなのは考えるまでもない。従業員の賃金も安く抑えられる。

みんな薄々気づいていることだが、IT 化が進めば、一般事務やその他 IT 化で不要になる業務を行っている少なからぬ役人や従業員を、クビにしなければならない。最低でも、コンビニのバイトくらいまでには賃金を下げねばならない。しかし「お前は無用だ」という宣告を、下手したら全従業員の 5 割、6 割にするなんてことは、できっこない。クビを切られる側が受け入れるわけもなかろう。でも、そうすると無駄な雇用を抱え続けることになる。IT 投資をした意味がない。念のために断っておくが、一般事務が無用だという意味ではない。一般事務職は他の仕事の効率アップに大きく貢献している。ただ、上記のコンビニの例のように、IT によって効率化を進めてしまうと、少なからぬ人間が要らなくなってしまうのではないか、ということだ。

では首を切れないままの IT 投資が何をもたらすのかというと、現状のままでは結局壮大なムダだ。IT 化によって不要になったはずの事務処理を人間がもう一度繰り返したり、何も生まないデータ整理を手作業で行ったり、あるいは IT を導入して新しい事務を増やすという荒業まで導入して、意味のない金を回し続けねばならない。現在人手が足りてない分野や、新しい仕事がいくらでもありうるサービス業などは別だろうけど。

「今後の社会のためにあなたの首を切りますから、私に一票入れてください」。そんな政治家は当選するわけがない。でも、それは単に破局を先延ばしにしているだけかもしれない。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:24

『水月』から、香坂アリスとマリア

『水月』から、香坂アリスとマリア

特にその塗りについてはエポックメイキングだったエロゲー『水月』から、ロリキャラ2人、香坂アリスとマリアのスカートたくしあげ。

彼女たちのこの服は、ノースリーブセーラー服+ケープなのである。『ns2』に収録。

(56)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:23

嘘吐きで臆病で親の顔色うかがっていた元子供達へ

アリエスは『子供の誕生』という著書で、「子供」という概念は近代ヨーロッパ以後の産物であると述べている。それ以前に子供という概念は存在せず、ただの小さい人間というだけだった。大人とは、理性的な判断ができて社会に参加できる人間だけど、子供はそれができないから、親や社会が愛し保護し育まなければならない。今の人間はそう考えてると思うが、そんな考え方は実は普遍的ではない。近代以前は、貴族などの特権階級を除き、幼くてもすぐさま職業訓練を受けさっさと働いた。親が愛し保護する存在ではなく、社会人として生かされた。今でもアフガニスタンやウガンダで少年兵というのが問題になってるが、近代ヨーロッパの洗礼をあまり受けていない彼らの考え方としては、少年というただちょいとばかし小さいだけの「大人」が武器を持って戦うのは、極めて当たり前のことなのだ。

子供が無垢だ純粋だ、という考え方は幻想だ。それは自分の子供の頃を思い返せば分かるだろう。あなたは子供のとき嘘をつかなかったか? 親や先生の顔色をうかがっておもねらなかったか? 中学生の頃は親を口汚く罵倒しなかったか? そんな人間のどこが無垢で純粋なんだ? 年を経るとこの程度の自問自答さえ忘れてしまうのだろうか。子供(といわれる人間)は、無知ゆえに、価値判断が単純なだけだ。感情のコントロールも上手くないことが多いから、些細なことでも単純に喜んだり、単純に怒ったり、単純に悲しんだりする。それを大人が良いように誤解して、純粋だ無垢だとレッテルを貼ってしまう。巨大な勘違いだ。

単純な人間は、喜びを爆発的な身体表現で表さざるをえないから、嬉しいとぴょんぴょん飛び跳ねて駆け回ったりする。例が不適切かもしれないが、知的障害を負っている大人の方々が同様の身体表現をされているのをご覧になったこと、あるだろう? 当然怒りも同様で、かんしゃくを起こして周囲のものに八つ当たりしたりする。ある程度感情を抑制できるようになれば、「殺してやるっ!」なんて表現を人前で行うことは自然になくなる。子供は純粋なんじゃない、ただ脳味噌が単純なだけだ。

でも、いくらアリエスが相対化してくれたとはいえ、近代西欧の考え方が広まり、分業の徹底と技術の複雑化が進んでしまっている現在、大人と子供を分類してしまう考え方は、もう後戻りできないと思う。だから大人は考えなければならない。「殺してやるっ!」以外の「理性的な」感情表現をどう自分が身に付けたのか。どう感情を抑制すればいいのか。その殺してやりたい相手にどう自分の意図を伝えて妥協していけばいいのか。道徳や(一部の)哲学というのはこういうときに使える知識なんだ。日の丸や上っ面の親孝行ばかり教えてていいのか? それこそ国が滅ぶぞ。

例のネヴァダたん事件についてはりそりょ氏の物語的解説が卓出してると思う。

(43)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:25

エトナたそ

エトナたそ
魔界戦記ディスガイアのエトナたん。すごく久しぶりの版権モノだし、ラハールとかフロンも描きたいので、とりあえず暫定版てことでコウモリだけ描き足して置いときます。

(74)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:23

motivation

(インターネット上の不正コピーが横行している現状では)「音楽で生計を立てられる見通しが立たなくなる。そうしたら誰も音楽を作らなくなる」。RIAA(全米レコード協会)のお偉方が以前 NHK スペシャルの番組で語っていたことだ。俺はヤツに言ってやりたい。「日本のヲタクどもを見やがれ。絵で生計を立てられる見通しなんか立たなくたって、誰もが絵を描き続けているぞ」。

著作者を法律で保護すれば、著作者のやる気が出て表現活動を活発に行うようになり、ひいては文化が発展するというインセンティブ論は、一面の真実であるとは思うが、作り手はそれだけで動いているわけではない。金がなくても時間がなくても、命を削って描く人は描くし、作る人は作るんだ。作り手のモチベーションの少なからぬ部分は、インセンティブ論者や自然権論者が考えてないところから沸いている。そりゃ目の前に山があれば登りたくなるし、タブレットがあればなんか描いてみたくなるし、ピアノがあったら弾いてみたくなるんだ。

この情報時代、著作権法がどんどん改悪されてるのになぜ著作者はなぜ声を上げないのかっていう疑問が法律周りの人なんかから時々出てくるんだけど、この単純な創作欲みたいな感覚の分からない人なんて、作り手からみたら完全な異人種で、おそらくそいつは俺たちとは共通の言語も感覚も持ってない。はっきり言って、そいつらは金のことばかり考えてるように見える流通のやつらより、作り手からは遠いところにいる。レッシグを知ってる人が同人界にどれだけいる? そんな言葉の通じない人間を口説いてるヒマなんかあるかバカバカしい。それより次の描きたいもののことで頭がいっぱいなんで早く帰っていいですか? 作り手の発想とはそういうものだ。だから、社会システムを作ろうとする人たちは、そういう無茶苦茶ワガママで社会性がなかったり、社会のことに致命的に無知な人たちを守ろうとしてるんだという自覚を持たなければならない。全員に社会性を持たせようなんていう発想は上手くいきっこない。その手の試みは共産主義でコケた。

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:26

raison d'etre

実は今年の 4 月から所属する組織が 1 つ増えたのだが、そしたら「なんでこういうオタクな絵を描くの?」っていう理由の精神的な面みたいなものを尋ねられることが多くなって、ちょっと困ってる。なんで描くって、喜んでくれる人がいるからとか、〆切があるからとか、イベントがあるからとか、そういう表向きで分かりやすい理由もあるし、また、作り手の数が増えれば増えるほど競争が盛んになるわけで、間接的にオタク層全員の技術アップ、ひいては文化振興にまで貢献することになるから、とかいう社会的理由をでっち上げることもできる。そういう時だけ口達者だから。でもなぁ、そういうのって、当たってもいるけどちょっと違うんだよなぁ。

なんで描くのかって、そりゃやっぱ単純に描きたいからでしょ。

ってこれで終わったら中学生でも書ける文章だから、もう少し考えてみよう。

俺がこういう絵を描き始めたのは高校くらいからなわけだが、ぶっちゃけオタクな絵を描くのってのは俺にとっては性欲の昇華だったんだろうなぁ。まあこれはフロイトっぽいというか、絶対に反証不能だけど一見理論ぽく見えるラカン大好き斉藤 環風のインチキ文になりそうだから、あまり長く書くは止めとこう。彼の胡散臭さを一発で看破した私の現在の恩師、ナイスです。閑話休題。まあつまり、俺の近くに、オタクなかわいい女の子の絵を描くって行動をしている人がいたわけなんですね。だから、俺はその人の「欲望のモデルを模倣」したわけだ。とジラールだかなんかのパクリっぽいことを言ってみよう。

でもまぁ、いい年してオタクな絵を描くっていう欲望のモデルはあんまないので、実は結構みんなビビりながら描いている。この手の世界のリーディングエイジは 40 過ぎくらいでしょうか。2ch にも将来を不安がる同人屋のスレとかあるわけだし、老後の話題は最大のタブーと断じる上に、ゲーム業界の方がもっと非道いと適切に指摘されるアニメ業界の中の人 もいたりして、他に職業持って片手間な人はまだマシだけれど(とはいっても出世街道からは確実に外れていて給料泥棒化することが多いわけだが)、同人とイラストとエロマンガとエロゲンガーとかを適当につまみ歩いて食おうとしてるような人達の未来は決して明るくないわけですが、それでも全然絵を止める気にならないのは、やっぱ楽しくてたまらないからなわけでしょう。10代の頃は、絵を描くという行為の土台に性欲があったとしても、段々歳を重ねてくれば自然に性欲は枯れてくるし、そのうち絵を描くこと自体が自己目的化して描くこと自体が純粋に楽しくなってくる。それに、いまさら他のこともできやしねーなんてことになったら、もう抜けられやしないのだろうよ。たとえ 30 過ぎて年収が 100 万台な生活でもね。

まあそういう実情を全然知らないで、絵を描くこととかを文化だなんだとむやみに礼賛したりするマスメディアとか似非評論家とか、著作権料のことしか言わない流通関係者なんかは氏ねとか思うわけだ。最後のはあんま関係ないな。直接は知らないけれど、音楽の世界も同じようなもんで、やっぱ食えないんだろうね。というわけで、ほとんどの人は 10 代か 20 代前半くらいでこういった世界を抜けていくわけだ。音楽や絵画といった文化っぽいもの(サブカルだけど)の製作に関われるチャンスが、親の庇護下にある時くらいしかないってのは、悲惨な自称「文化国家」だよねぇ、日本。

と、ここで終わるのもシニカルなだけなので、どうすればマシになるかってことを考えるわけだが、これがもう絶望的に手段がないんだよね。今日、散々騒がれた CD の輸入規制を認める著作権法改悪案は可決されたわけで、めでたく CD というメディアの滅亡に一役を担うだろう。なんかさぁ、後ろ向きだけど、もうちょっと「頭のおかしくなさそうな人」を国会議員にするしかないのかねぇ。自民だ民主だ共産だっていう枠組みを糞転がしみたいに戦前からズルズル引きずってなくて、クリエイタとかコンテンツとか表現の自由とか萌えとかロリとかに理解があって活動してくれるナイスなキチガイ、略してナイスガイな政治家モトム。絶対にある程度の支持は取れるけども、全国的に広く薄い支持になりそうだから、今の日本の選挙区のように地域ごとに分割されてると当選が難しい。まったく、既得権益のカタマリじゃなどこもかしこも。いっそ投票用紙に「金子 勇」とか「ぴろゆき」とでも書こうかなぁ。

(41)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 20:13:25

朝の風景

ある朝目を覚ましたら、6時間ほど前まで元気に動いていたにもかかわらず、なぜか今は溶けたプラスチックの臭いを漂わせる Thinkpad 240 が枕元に鎮座していて、あまつさえ通電を示す LED すら死んでいたら、あなたはどうする? 私は、とりあえず罵りの言葉を口にしてみた後、一応火事にならなくてよかったことをどっかの何かに適当に感謝してみた。

その後の行動は取り立ててどうということもない。kakaku.com で最安値をチェックした後大金を握り締め、迫りくる閉店の時間と戦いながら夕方の秋葉原を疾走し、手にしたのである。Thinkpad X40を。Thinkpad 535 → Thinkpad 240 → Thinkpad X40。うーんなるほどって感じの変遷だ。絵描きの選択肢ではないよなぁこれは、と、はぐれ萌え絵師のかすかなアイデンティティ・クライシスを迎えながらも、新しいマシンは嬉しい。いまさら XGA のノートはどうということもないが、SVGA の 240 からの移行だからそれなりに広い。絵描き用には 1600×1200 使ってるけど、それはそれ、これはこれ。ついでに HOME や END や PgUP、PgDn キーが復活してるのも嬉しい。でも ESC が遠いから適当に全角キー辺りを ESC にしておこう。何はさておき Mozilla と ssh クライアントがないと始まらんから 240の HDD から移し変えて……、おお、1G Hz & 512MB だと劇重 Guevara も重くないなうへへ。

なーんていうような環境設定をしぽしぽやっているうちにふと気づく。こういう作業、昔は結構楽しかったんだけど、今はあんまり楽しく感じられない。むしろダルくなってきた。ちょっと愕然とする。変化を楽しめないのは歳を取った証だろうか。やらなきゃいけないことが積まれてるからだとは思うんだけどなぁ。場数を踏んで飽きてきてるというのもあるかもしれない。そんなことをつれづれに考えながらもセットアップを進めた梅雨の前の夜。

(43)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:28

ネットワークは何のため?

そもそも、昔の技術者はなんでコンピュータをつないでネットワークを作ろうなんて考えたんだろう。山形浩生はその理由を、コンピュータ単体じゃショボくて何もできなかったからだとアスキーPCの連載で述べている。その通りだ。周辺機器はおろか、ディスクもメモリもCPUも何もかも足りなかったから、リソースは可能な限り共有せざるを得なかった。では、なぜティム・リーはウェブ(ハイパーテキスト)を作ったのだろうか。これは本人の文章がウェブ上にある。要するに研究資料やコードなんかを上手く共有するために考えたわけだ。そもそもコンピュータネットワークとは、情報など資源の共有を目的とした存在なのだ。そして巨大なコンピュータネットワークであるインターネットも、情報を共有することを目的としている。ウェブもメールも情報の共有だ。情報はコピーされることで伝播していく。

さて、そのインターネットとは、全体を管理する組織が存在しない自律的なネットワークであるといわれる。ちょっと立ち止まって考えてみよう。それって、P2P 通信モデルのことじゃないですか。インターネットを構成している各ネットワークを結ぶルータは、全体を統括する存在がないわけだから、C/S(クライアント / サーバ)モデルではなく、P2P で動いている。RIP なんてまさにそうだ。P2P というのは別に新しく出てきた概念ではない。昔からインターネットは(広義での)P2P で動いているのだ。

情報資源の共有を目的としたインターネット。そしてインターネットは P2P モデルともともと相性がいい。だから、インターネット上の P2P システムで多量の著作物がやり取りされるというのは、(法的、倫理的な視点は抜きにして)システム的に考える限り、実は当たり前のことなのである。良い悪いに関わらず、インターネットというのはそういうベクトル(≒方向性)を持っているアーキテクチャ(≒仕組み)なんだ。そして、こういったベクトルを嫌がる側が、この構造を理解するよりも早く、インターネットはさっさと広まってしまった。はやっ。

もちろん、このベクトルは、現在の著作権法と禿しくコンフリクトする。現行の著作権法は、著作権者の権利を守るため情報の共有を制限する、ちょうどインターネットとは逆のベクトルを持っている。だから、情報ネットワーク社会と現行の著作権法とは、あまり相性がよろしくないのだ。これが現在の著作権法をめぐる問題点の 1 つだ。以上を鑑みるに、

「そろそろ匿名性を実現できるファイル共有ソフトが出てきて、現在の著作権に関する概念を変えざるを得なくなるはず。試しに自分でその流れを後押ししてみよう」

という Winny 開発者の発言の意図は、ネットワークがもたらす(あるいは既にもたらされていた)「当たり前」と、現行の著作権法とのギャップを何とか埋める、あるいは全てを押し切ってしまうことであったのではなかろうかと想像できる。上手に理念的にやればクリエイティブコモンズになり、強引に実装すれば Winny になるのだろう。

これを未必の故意による幇助と見るか見ないかは法律のプロがやることだから私には判断が付かないが、私に判断が付きそうなのは、こういった背景が司法判断をする法律のプロに伝わるかどうかという点だ。……うーん。微妙なところだな。簡単なことなんだけど。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:31

花火

俺が、宮谷一彦という天才的画力をもったマンガ家を知ったのは、BSマンガ夜話が彼を取り上げた時である。伊達に人生の半分以上を岡田斗司夫的オタク作品消費にささげてたわけではない俺ですら、彼を知らなかった。彼の作品を読んだこともなかった。積極的に写真的な絵をマンガに取り入れたのは宮谷一彦が初めてであり、またその際にスクリーントーンを重ねる、削る、荒い網点を使うなどの、現代マンガでは当たり前となった技術を開発したのも宮谷であると紹介されていた。これほどの重要人物を、人生の半分はオタクやってる上にまだまだ現在進行形で、しかもちょっとは商業仕事もしたような人間が知らないのである。マンガの描き方的ハウツー本なら、10代の頃いっぱい手にしているのに。

まあ俺が無知なのだと言ってしまえばそれまでだが、そうすると話が終了なのでそれはあっちへ置いといてくれ。で、これほどのエポックメーカーなのに何故それまでの人生で全然触れてこなかったのか。一言で言えば、彼とは生きていた時代が全然違うからであろう。俺が生まれて初めてマンガという表現ブツを手にするころには、彼はもう商業連載をやっていなかった。だから、歴史をさかのぼって「教養」として知るしか手段は残されていなかった。そうなると、子供には普通は親が読んでいて残っているマンガとか、手塚治虫くらいしか手にできないのだ。俺が神保町の古本屋などで読子・リードマン的強引な書籍入手方法を駆使できるようになったのはせいぜい 90 年代に入ってからだし、その際も運悪く宮谷を知ることはできなかった。

かように、マンガという表現はとてつもなく共時的な、つまり作家と同時代に生き、作家と同時代の空気を共有していないと、一瞬にして消えてしまうはかないものだ。作家が命を削って描いた作品も、5年もすれば致命的に古くなり、10年もすればみんな忘れてしまう(ウェブの萌え絵なんてもっとサイクルが短い)。運がよければファンが作家と一緒に歳を取って作家を支えてくれるが、商業連載などの発表の場を持ち続けてないとそれもなかなか難しい。マンガ(とか俺がやってるようなこと)というのはどれもこれも花火みたいな一瞬のもんで、しかもその 99% くらいは地味でちっぽけな線香花火である。もちろん、それらは全て美しく見る者を楽しませる。でも、大きな打ち上げ花火をぶっ放せるのは極々一部だし、大玉を打ち上げたマンガ家でも人生明るいとは限らない。アニメ化されるほどの人気作家であった吾妻ひでおですら、仕事がなくなって肉体労働をしていた時期があるという。

一応、マンガ系の出版業界はそういう構造を理解しているから、同人とかウェブで過去の絶版作品を作者が無料配布したりしても、あまり文句は言わない。絶版マンガや単行本未収録作品を同人で出すのって、よくあるよねー。こういうのを出版社が見逃したり認めたりしてくれるのは、この業界が比較的良心的だからというよりは、「どうせ商業ラインで出してもそれほど金にはならないからどうでもいいやー」という「なあなあ主義」だからだとは思うけど、音楽業界なんかに照らし合わせれば、そういう手段を認めてくれてるってだけで十分にたいしたことだ。

だからさー、著作権著作権と金切り声を上げてる音楽業界とか映画業界とか一部のゲーム業界の人達もさー、せいぜいそれくらいには考えを軟化させたらどうなのよ。どうせ、資本主義社会の商業芸術作品なんて一瞬しか輝かない花火なんだから。でもみんな命削って花火作ってるんだからな。俺らはもっと花火が見たいんだよ。昔の花火も見たいんだよ。どうするのが長期的な利益になるかという視点を持てないくらい馬鹿な人ばかりではあるまいに。緩慢な自殺を試みているなら止めてやらねばなるまい。

さて、そんなことを考えながら渦中のダウンロード板なんかを見てみると、「これは京都府警との戦争である!! 47氏の遺志を継ぎ俺は ny を続ける!! ジークダウソ!!」なんていう、今は学生闘争の只中ですか火炎瓶投げますか的雰囲気が少なからずあって、警察は萎縮を狙ったのだろうが、なんだか逆効果著しい人もいるようだ。

(46)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:32
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