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宿業

あまぞんでウロウロしてたら、こういう 8 歳の女の子の水着写真集なんぞをお勧めされてしまった。お勧めされただけならまだいい。それは既に持っている。なんて業が深いんだ。

芸能人というのが何故比較的高額の報酬を得られるのか、考えてない人が多いように思う。彼らは、勝手に晒し者にされない権利、すなわちプライバシーを売り飛ばして金に替えているんである。ここでいうプライバシーとは、お昼に何を食べたとか昨日何時に寝たとかそういうことのみならず、「見ず知らずの他人が自分に対して何らかの感情を想起しない権利」、とでもいうようなものだ。

例えばキムタクを見た人全員に、カッコイイとかクールだとかのプラスの感情ばかりが起こるわけではない。芸能人にあこがれる多くのワナビー達は、自分の周りを好意的な感情を持った人間が取り囲んでちやほやしてくれるものだと信じ込んでいるみたいだが、とんでもない誤解だ。人の目に晒されるということは、整形だとかチビだとか体臭そうとか顔だけだとか頭悪そうとか傲慢だとか性格最低とか DQN だとか、そういった批判や悪口や嫉妬を投げつけられるということでもある。たとえ面と向かって悪く言われなくても、他人が心の中で自分を悪く思っているに違いないという被害妄想に陥ってしまうのは、大変容易だ。そういう悪口雑言をやり過ごしながら人前では常に笑顔をキープしていかねばならない。とても精神力を要求されると思う。その代償が高給なのだ。いや、かなり成功しない限り実は全然高給じゃない。よほど神経の図太い人でないと、あまり割に合わないと思う。

作家というのも同じようなもので、編集の言いなりになってわずかばかりの原稿料と引き換えに自分の書きたくないものを書かされ、クオリティを維持できない自分の技量の無さを再認識させられて精神的に滅入ってるところへ、2ch で自分をボロクソに叩いてるスレ発見して鬱スパイラル突入なんてのは、よくあることだ。俺が佐藤友哉の『クリスマス・テロル』を高く評価しているのは、彼がこういった切ない構図を、怒りに任せて毒づきそうになる気持ちを何とか抑えて、ギリギリのメタ小説という形に昇華させた、その精一杯の感情がよく伝わってくるからだ。

もちろんアイドルというのも同じことであって。というわけで、お子様写真集とか見ると、この子はこういうこと全然考えてくれない親を持って不運だなあとか思いつつも、やっぱり買うわけだ。実に業が深いじゃないか。ゴーゴー。

(42)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:56

2004年あけましておめでとうございます

2004年あけましておめでとうございます

もう新年明けたことなんか完璧に忘れそうな勢いの1月下旬、ついに萎えヒモを描いてしまった。

完成版

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:24

メラメラ

「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者ではなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ教徒が、というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。私は教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかし、そのときにはすでに手遅れであった。」

ドイツの牧師ニーメラーのこの警句は、体制側が何らかの規制をちらつかせた時反対を表明する陣営によく援用される。無策でいることの切迫した危機感が伝わってくる、強い警句だと思う。ニーメラー本人にとっては血を吐くような後悔、懺悔の言葉なのだが、現在引用する人達は単に過激な表現で受け手の恐怖感を煽ろうとして用いることが少なくない言葉でもある。

ナチスの支持率は軽く 90% を超えていた。飴と鞭の政策だったとはいえ、逆に言えば、9割 以上の人間にとっては、実感しにくい末節の人権、パンとサーカス以外なんていうもんはどうでもいいのだ。例えば「表現の自由」。みんな大切なモノのような顔をしてはいるが、本当に表現の自由が失われて痛みと感じる人間が現在どれくらいいるだろうか。今後は、為政者の悪口を言えないというような規制ではなく、もっと上品に規制されることになろう。例えば刑法 175 条の拡大解釈とか。9 割以上の人間は、そもそもほとんど表現活動自体を行わないし、制限されたコンテンツの消費だけでも平気で生きていける。現にアメリカでは、制限されまくりのディズニーくらいしかまともなアニメ作ってないけど、ほとんどの人平気じゃん。それどころか、表現物なんか全く消費せずとも平気な人がかなり存在している。

ニーメラーの警句を引用するような人には、直接弾圧される極少数の側が蚊の鳴くような声で唱えてる主張に異様な程共感して、盲目的に自らの意見としてしまう人が少なくない。そしてこういう人達は、一昔前の左翼運動家的に体制側を声高に非難しがちだ。だが弾圧される当事者達には下手をすると却って迷惑だろう。

共同体意識に埋もれるのを心地好く感じている大多数の人達を批判したり、体制に反発することをカッコイイと思うのはとても容易なことで、日本では安保闘争時代に多くの若者がその陥穽にはまった。だが、そんな考え方では、多数派 90% の人間を口説くことなんてできはしないのだ。傲慢な啓蒙的手法なんて、誰がありがたがって聞くだろう。体制側がどうやって自らの意見をコモンとしたのか熟考し、そういう政治的な手練手管をもっと考えるべきなのだ。政治手法というものは決して理想通りの綺麗なものにはならないと思う。でもそういった現実的な妥協ができない人達で構成されている組織、例えば共産党や社民党は潰れかけている。彼らは、なぜ「野党は反対するだけ」と揶揄されているのかを全く自覚できない。自民党は、どうやって人を手玉に取ればいいかを知っている。この差は大きい。理念という、手に取れない「ステキなモノ(ただし自称)」だけ唱えても人は動かない。そしてニーメラーの警句のような文言は、啓蒙的理想を聞かせるための脅し文句として使うべきではないと思う。

(42)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:58

レッシグは偉大だが全てのレッシグ支持者は偉大ではない

このままじゃ、クリエイティブコモンズは、一部のインテリとそのフォロワのオナニーで終わると俺は思う。GPL がある程度成功しているのは、ソースを書く「クリエイタ」は大体インテリでもあるという、2 層が一致する極めて珍しいケースだったからだ。現行の著作権法だって満足に浸透してないし、GPL をちゃんと理解してる人だって多くはない。そんな状態で、クリエイタに多くのリテラシを求めすぎ。クリエイタにとっては、そんなメンドイこと考えるよりなんか創る方が大事ではなかろうか。中間搾取してるだけにしか見えないレコード会社だって、クリエイタを雑務から切り離して創作に専念できる状態を作るってことも、やって来てるんだよ(でも、みんなクリエイタって存在にドリーム見過ぎ。実際は泥臭い非創造的作業も少なくない)。そうはいっても、そうやってクリエイタを「保護」してあげよう的な考え方って、コモンズが求める世界とは逆になるわけじゃん。クリエイタには、要するに自立が必要なわけよね。自立っていうとカッコイイけど、じゃあ、みんな会社や学校辞めて自分の腕だけで食っていく覚悟ができる? もともと身分の不安定な多くのクリエイタにとって、編纂業務を行っている企業というのは、数少ない拠り所の 1 つなんだ。それを切り捨てろというのは酷だ。というわけで、状況がもっと切迫しない限り、CC なんてムリではなかろうか。

……と俺は漠然と考えるわけだ。もし今のまま CC が広まったとしたら、CC層 と 非 CC層 の分化が起こるような気がする。おお、一転してアカデミックな表現だ。んで、それは、如実にリテラシの差を反映してしまうのではないか。クリエイタとしての技量なんかは関係なく。だってさ、『コモンズ』って、気楽に読める本ではないじゃん。これちゃんと読んでちゃんと理解してるのってどういう人達? 少なくとも貧乏クリエイタ層じゃないよね。で、そういう理解できる人ってどういう社会的レイヤにいるの? 利益が非明示的で啓蒙が必要な変革! オワットル。つまりさ、そういう形での「変革」って多分ムリなワケよ。まあ、そういうのを信じて実行するのがインテリの責務なんだって言われれば、そうなのかもしれない。でもこのパターンでは歴史上に失敗例が豊富だから俺は全く期待できない。

110年前に作られた曲『ハッピーバースデイ』さえ自由に歌えない ような現状に変革を起こしうるとしたら、とてつもない能力と影響力を持ってるクリエイタが、多数のファンと共に、「変えちまえ」と唱えた時くらいだろう。だからさ、どうせ啓蒙ならもっとそういう方向で動いて切り崩す方が早いんよ多分。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:00

Winnyへの挽歌

そろそろ Winny について語っておくべきだろうか。

Winny にとって不運だった点として、表向きどう取り繕って言い訳しようが、違法に使うことを目的として開発され使用されてきたことで、分散データベースのシステムとして社会的に洗練される機会を、そもそものスタートから完全に失していたことが挙げられると思う。Winny は、出現当初からずっと「社会の敵」だった。P2P という仕組みそのものには、ウェブに取って変わるくらいの明るい未来があり得るのに。というわけで、個人的には、全てのリソースに unique な identifier を明示的に割り当てないのはよくないんじゃないかなぁと思う。MD5 だけでは分散データベースにならない。

しかし、出現当初から「社会の敵」だったソフトウェアにも関わらず、その影響力を無視できないくらい社会的に支持されてしまったというのは実に皮肉であり、これが何を意味しているのか、著作権ビジネスで甘い汁を吸っている人間は考えねばならない。「高いなら、無くても平気さ、嗜好品」。レンタル屋が出てきた時に学習しなかったのかねぇ。

著作権ビジネスを行う仕組みが不要ということでは断じてない。基本的に作家というのは多かれ少なかれキチガイだ。色々とイタイ人達である。オレモナー。キチガイをコントロールして何かをアウトプットさせる業務は必要だと思う。それに、結局作家ってのも、無闇に金持っちゃったらまともなアウトプットしねぇんだよな。ただ、今の著作権法が、ピンハネ屋に利用されているようにしか見えないのも事実。

(46)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 20:44:49

無為無策

大江健三郎の息子は知的障害を負っている。そして現在は音楽家として活動している。だが。彼の音楽家としての能力は高いか? 曲は美麗か? 演奏は巧緻か? 残念ながら、否。幾つか聞いたが、正直どうでもいい作品ばかりだ。だから坂本龍一は浅田彰に言った。彼を持ち上げるのは、ポリティカルコレクトネスの行き過ぎだ、と。音楽家はその作品で評価されねばならない。作品の質では、取り上げるに足る存在ではない、と。

なぜそんな稚拙な作品が取り上げられるのか。「障害者なのに頑張っている」からである。ここには、ものすごい差別意識が潜んでいる。彼を過大に評価するということは、「障害者はどうせたいしたことは出来ないのに、まあまあ健常者並のモンができるなんてすごいね」と言っているに等しい。表現者という同じまな板の上で評価を下した坂本龍一の発言を差別だと断じる人間の方が、無自覚の差別主義者である可能性は高い。あるいは、「俺には音楽の良し悪しなんて全くわからないので、あの程度でも上手く聞こえます」と、自らの審美能力の欠如を表明しているという可能性もあるが。

もちろん、努力家ではあるだろう。彼も、彼の親も。でも、彼には努力家として地味に作品を聞かせる道もあった。また、一切金銭を気にせずに楽しく作品を書き続けるという、創作者として最高の人生をも選択することができた。にも関わらず、「障害者なのに頑張ってます」という看板を掲げて作品を売って(あるいは売らされて)しまった。大江健三郎ほどの大家が、様々な選択肢からその道を選んだのだ。その点は批判されてしかるべきではないか。俺はそういうえげつない意見の持ち主だ。

しかし、だ。「大江健三郎さんの息子さんがね、必死で頑張ってる姿を見てね、私も頑張らなきゃいけないって思ったの」。もしあなたの大事な知り合いがこういうナイーブなことをのたまい、なおかつその人自身が病気や障害と戦っていたとしたら、あなたはその時何が言える? 俺の口から出たのは、「そうですね」という何の役にも立たないカスのような音だけだった。

(後日談:この方は 2004 年 5 月に癌で亡くなられた。たとえ、障害を宣伝文句にした作品が音楽的にはクズであっても、余命 1 ヶ月程度と宣告された人を半年以上がんばらせた一助になっていたのなら、俺の糞の役にも立たない駄論なんかより、よほど価値がある。すごいじゃないか大江光。)

(82)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-01-11 03:17:17

多層世界の上で

コンピューターに触ることとプログラムを組むことがイコールだった時代はそう遠くない。自分でプログラムを組まないのなら、プログラムを買ってこない限りコンピュータは何もしない。だから、MS-DOS より前に何らかの形でコンピュータに触れている人で、なおかつコンピュータに興味があると言う人なら、多かれ少なかれ何かのコードは書いただろう。ゲームが好きだという人や、LISA 使ってたとかいう話はどっか置いといてね、ややこしくなるから。

今コンピュータに触ることとは、GUI な OS 上のアプリケーションの使い方を覚えることだ。で、今コンピュータやネットワークを好きだって気楽にいっちゃう人は、テレビが好きだ携帯が好きだっていう人と同じようなもんで、コンピュータやそれを利用したネットワーク上で流通するコンテンツが好きな人が多いだろう。コンピュータのハードウェアやソフトウェアの仕組みそのものが面白い人よりも、ずっとずっと。既に、http の上には、例えば SOAP とか DAV とか、もっと身近なのだと blog みたいな、あるいは 2ch なんかでもいいが、そういうブラックボックス化したプロトコルやシステムが被ってしまっていて、多くの人の興味は、OSI 第7層以下まで到達することがない。普通の人の何気ない好奇心を阻むくらいには、フクザツな仕組みだったのだ。

でもそれはレイヤー化がもたらした必然であって、こうあるべきという事態なんだ。Socket を開く時、それ以下の仕組みなんて考えない。そのレイヤーが 1 段 2 段上がった。ただそれだけのことだ。でも、情報系の学者や技術者達はこういう“衆愚”な状態は予想してはいなかったんじゃなかろうか。アラン・ケイ御大とかもね。Squeak ってなんか違うですよ、そうじゃないと思うんですよ。これに興味持って組むヤツは、大体どんなプログラム言語与えても興味持つヤツだよ。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 23:19:25

IPv6がもたらすもの

IPv6 は、end-to-end の完全な双方向通信をインターネットにもたらすとされている。少なくとも推す側はそう宣伝している。本当だろうか。NAT や proxy がもたらした弊害は大きいけれど、NAT 抜きで生きて行ってもらうには、ユーザの啓蒙が必要だ。でも、現在は NAT どころかアプリケーションゲートウェイのレベルでしか外につながらないような組織の方がほとんどだ。しかもたちが悪いことに、みんなこの状態が当たり前だと思ってる。いやもっと悪いな。http 以外使えなくても何の疑問も不便もない人の方が多い。そういう意識の人たちに IPv6 の理想を理解させるのは、ハードやソフトを置き換えるより莫大なコストが必要になりそうだ。

もちろん IPv6 を推してる人も、俺が数分間妄想しただけで思いつく程度のことは承知している。ぐぐってみたら、IPv6 は、「end-to-endの原則の瓦解を市場原理として受け入れるか、それとも、さらなるインターネットの自己革新を信じて end-to-end の原則を堅持するのかという選択」なのだという指摘がすぐ見つかった。

俺がどちらに付くのかといえば、当然 IPv6 を推す方に付く。end-to-end の崩壊を当然と受け入れるのは辛い。でも、もしかしたらそれがただの理想主義か、あるいは古き良き v4 時代へのノスタルジーなのかもしれないと、ちょっとだけ思っている。だって、みんな企業内部のネットワークでその原則が瓦解しているのは当然だと諦めてるじゃないか。この諦めの期間が長ければ長いほど、v6 の導入は難しくなっていくだろう。技術的にではなく、意識の問題として。頼むよ村井 純、希望は灯し続けてくれ。いや、下さい。さあ愚民を誑かせ我らが村井 純!

だから、今後の end-to-end 通信や IPv6 について漠然と危惧しているのは、IPv6 と v4 のネットワークは、使用するデバイス、ソフトウェアの違いやユーザの技術力などを反映して、住み分けが進んでしまうんじゃないかなぁという点だ。緩やかな移行じゃなくて。今後 20 年くらい v4 は現役かもしれない。それも一般人向けの主役として。その住み分けが、ある種のデジタルデバイドを産まないことを祈る。

(40)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:14

聖地巡礼

こっそりおねてぃ & おね2 聖地巡礼に行って参りました。木崎湖の日の出(例の桟橋から撮影)は非常に美しかった。木崎湖の周りには、トトロくらいいてもいいかもという森と田んぼとひなびた家、そしてその中を通る一本の線路。これは日本人の考える理想的な田舎像ではないかなぁ。純粋に観光で行っても心洗われると思います。いわゆる観光名所ってのはなーんもないけどね。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 22:21:29

変わったことと変わらないこと

この前、あらきム(あらきあきら)さんからメールをいただいた。大変恐縮した。あらきあきらさんといえば、ロリとか貧乳愛好家な我々にとっては商業誌や同人でもチェキなお方なわけですが、大学や企業以外でウェブを持っている人間がレアだった時代から、ずっとあのノリのウェブを続けてこられたというところでも私は尊敬している。

ウェブは大きく変わった。以前は、同好の士が運営してると思われるサイトは、全てを回りきることが出来たし、気に入ったリソースでも、ローカルに保存しようとは思わなかった。ウェブは、それ全体で巨大な知的データベースとなる、と考えていたからだ。つまりウェブ上の情報はある程度長く維持されると考えていたわけだ。

今ウェブ上の情報が長く維持されると考えてる人はいるまい。気にいったものがあったら速攻ローカルに保存するのが基本だろう。すぐ消してしまうという姿勢を批判することはできない。私も比較的長くコンテンツを残すよう心がけてはいるが、せいぜい 3 年も経てば消してしまう。もちろん、今となっては同好の士のサイトを回り尽くすなんて不可能だ。今このサイトを見たり読んだりしてくれてる人の多くがニューズサイトの紹介文やアンテナサイトから来ているし、それ以外の少なからぬアクセスは、WWWC などの巡回ソフトウェアによって占められている。後は、サーチエンジンから直接目的のページに飛んでいる人が大半である。つまり、ブックマークやお気に入りなどをこういった個人のサイトに設定する人は減っているし、個人サイトのリンクページが活用される機会は減った、ということだ。また見る側は、なめるように 1 つのサイトを閲覧するということは少なくなったし、作る側も、腰を据えて読んでもらわねばならない規模のサイトを作らなくなった。つまり、何ヶ月かに一度バーンと大作を投じるのではなく、簡単な更新を頻繁に繰り返すスタイルが主流になったということだろう。

別にどちらが良いとか悪いとかいうことではなくて、そう変わったというだけのことだ。同じであり続けることは難しい。このサイトも、絵師サイトというよりは、情報社会学系日記 + PhotoShop 情報、着せ替えとかソフトもあるっぽいサイト、といった捉えられ方をしている模様。

話が随分逸れたわけですが、だから、あらきムさんみたいに、変わらず続けてこられてるというのはすごいことだなと思うわけで、なんか大阪の方に足向けて寝れません。貧乳マンセー。

(43)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:18
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