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Winnyへの挽歌

そろそろ Winny について語っておくべきだろうか。

Winny にとって不運だった点として、表向きどう取り繕って言い訳しようが、違法に使うことを目的として開発され使用されてきたことで、分散データベースのシステムとして社会的に洗練される機会を、そもそものスタートから完全に失していたことが挙げられると思う。Winny は、出現当初からずっと「社会の敵」だった。P2P という仕組みそのものには、ウェブに取って変わるくらいの明るい未来があり得るのに。というわけで、個人的には、全てのリソースに unique な identifier を明示的に割り当てないのはよくないんじゃないかなぁと思う。MD5 だけでは分散データベースにならない。

しかし、出現当初から「社会の敵」だったソフトウェアにも関わらず、その影響力を無視できないくらい社会的に支持されてしまったというのは実に皮肉であり、これが何を意味しているのか、著作権ビジネスで甘い汁を吸っている人間は考えねばならない。「高いなら、無くても平気さ、嗜好品」。レンタル屋が出てきた時に学習しなかったのかねぇ。

著作権ビジネスを行う仕組みが不要ということでは断じてない。基本的に作家というのは多かれ少なかれキチガイだ。色々とイタイ人達である。オレモナー。キチガイをコントロールして何かをアウトプットさせる業務は必要だと思う。それに、結局作家ってのも、無闇に金持っちゃったらまともなアウトプットしねぇんだよな。ただ、今の著作権法が、ピンハネ屋に利用されているようにしか見えないのも事実。

(46)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 20:44:49

無為無策

大江健三郎の息子は知的障害を負っている。そして現在は音楽家として活動している。だが。彼の音楽家としての能力は高いか? 曲は美麗か? 演奏は巧緻か? 残念ながら、否。幾つか聞いたが、正直どうでもいい作品ばかりだ。だから坂本龍一は浅田彰に言った。彼を持ち上げるのは、ポリティカルコレクトネスの行き過ぎだ、と。音楽家はその作品で評価されねばならない。作品の質では、取り上げるに足る存在ではない、と。

なぜそんな稚拙な作品が取り上げられるのか。「障害者なのに頑張っている」からである。ここには、ものすごい差別意識が潜んでいる。彼を過大に評価するということは、「障害者はどうせたいしたことは出来ないのに、まあまあ健常者並のモンができるなんてすごいね」と言っているに等しい。表現者という同じまな板の上で評価を下した坂本龍一の発言を差別だと断じる人間の方が、無自覚の差別主義者である可能性は高い。あるいは、「俺には音楽の良し悪しなんて全くわからないので、あの程度でも上手く聞こえます」と、自らの審美能力の欠如を表明しているという可能性もあるが。

もちろん、努力家ではあるだろう。彼も、彼の親も。でも、彼には努力家として地味に作品を聞かせる道もあった。また、一切金銭を気にせずに楽しく作品を書き続けるという、創作者として最高の人生をも選択することができた。にも関わらず、「障害者なのに頑張ってます」という看板を掲げて作品を売って(あるいは売らされて)しまった。大江健三郎ほどの大家が、様々な選択肢からその道を選んだのだ。その点は批判されてしかるべきではないか。俺はそういうえげつない意見の持ち主だ。

しかし、だ。「大江健三郎さんの息子さんがね、必死で頑張ってる姿を見てね、私も頑張らなきゃいけないって思ったの」。もしあなたの大事な知り合いがこういうナイーブなことをのたまい、なおかつその人自身が病気や障害と戦っていたとしたら、あなたはその時何が言える? 俺の口から出たのは、「そうですね」という何の役にも立たないカスのような音だけだった。

(後日談:この方は 2004 年 5 月に癌で亡くなられた。たとえ、障害を宣伝文句にした作品が音楽的にはクズであっても、余命 1 ヶ月程度と宣告された人を半年以上がんばらせた一助になっていたのなら、俺の糞の役にも立たない駄論なんかより、よほど価値がある。すごいじゃないか大江光。)

(80)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-01-11 03:17:17

多層世界の上で

コンピューターに触ることとプログラムを組むことがイコールだった時代はそう遠くない。自分でプログラムを組まないのなら、プログラムを買ってこない限りコンピュータは何もしない。だから、MS-DOS より前に何らかの形でコンピュータに触れている人で、なおかつコンピュータに興味があると言う人なら、多かれ少なかれ何かのコードは書いただろう。ゲームが好きだという人や、LISA 使ってたとかいう話はどっか置いといてね、ややこしくなるから。

今コンピュータに触ることとは、GUI な OS 上のアプリケーションの使い方を覚えることだ。で、今コンピュータやネットワークを好きだって気楽にいっちゃう人は、テレビが好きだ携帯が好きだっていう人と同じようなもんで、コンピュータやそれを利用したネットワーク上で流通するコンテンツが好きな人が多いだろう。コンピュータのハードウェアやソフトウェアの仕組みそのものが面白い人よりも、ずっとずっと。既に、http の上には、例えば SOAP とか DAV とか、もっと身近なのだと blog みたいな、あるいは 2ch なんかでもいいが、そういうブラックボックス化したプロトコルやシステムが被ってしまっていて、多くの人の興味は、OSI 第7層以下まで到達することがない。普通の人の何気ない好奇心を阻むくらいには、フクザツな仕組みだったのだ。

でもそれはレイヤー化がもたらした必然であって、こうあるべきという事態なんだ。Socket を開く時、それ以下の仕組みなんて考えない。そのレイヤーが 1 段 2 段上がった。ただそれだけのことだ。でも、情報系の学者や技術者達はこういう“衆愚”な状態は予想してはいなかったんじゃなかろうか。アラン・ケイ御大とかもね。Squeak ってなんか違うですよ、そうじゃないと思うんですよ。これに興味持って組むヤツは、大体どんなプログラム言語与えても興味持つヤツだよ。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 23:19:25

IPv6がもたらすもの

IPv6 は、end-to-end の完全な双方向通信をインターネットにもたらすとされている。少なくとも推す側はそう宣伝している。本当だろうか。NAT や proxy がもたらした弊害は大きいけれど、NAT 抜きで生きて行ってもらうには、ユーザの啓蒙が必要だ。でも、現在は NAT どころかアプリケーションゲートウェイのレベルでしか外につながらないような組織の方がほとんどだ。しかもたちが悪いことに、みんなこの状態が当たり前だと思ってる。いやもっと悪いな。http 以外使えなくても何の疑問も不便もない人の方が多い。そういう意識の人たちに IPv6 の理想を理解させるのは、ハードやソフトを置き換えるより莫大なコストが必要になりそうだ。

もちろん IPv6 を推してる人も、俺が数分間妄想しただけで思いつく程度のことは承知している。ぐぐってみたら、IPv6 は、「end-to-endの原則の瓦解を市場原理として受け入れるか、それとも、さらなるインターネットの自己革新を信じて end-to-end の原則を堅持するのかという選択」なのだという指摘がすぐ見つかった。

俺がどちらに付くのかといえば、当然 IPv6 を推す方に付く。end-to-end の崩壊を当然と受け入れるのは辛い。でも、もしかしたらそれがただの理想主義か、あるいは古き良き v4 時代へのノスタルジーなのかもしれないと、ちょっとだけ思っている。だって、みんな企業内部のネットワークでその原則が瓦解しているのは当然だと諦めてるじゃないか。この諦めの期間が長ければ長いほど、v6 の導入は難しくなっていくだろう。技術的にではなく、意識の問題として。頼むよ村井 純、希望は灯し続けてくれ。いや、下さい。さあ愚民を誑かせ我らが村井 純!

だから、今後の end-to-end 通信や IPv6 について漠然と危惧しているのは、IPv6 と v4 のネットワークは、使用するデバイス、ソフトウェアの違いやユーザの技術力などを反映して、住み分けが進んでしまうんじゃないかなぁという点だ。緩やかな移行じゃなくて。今後 20 年くらい v4 は現役かもしれない。それも一般人向けの主役として。その住み分けが、ある種のデジタルデバイドを産まないことを祈る。

(40)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:14

聖地巡礼

こっそりおねてぃ & おね2 聖地巡礼に行って参りました。木崎湖の日の出(例の桟橋から撮影)は非常に美しかった。木崎湖の周りには、トトロくらいいてもいいかもという森と田んぼとひなびた家、そしてその中を通る一本の線路。これは日本人の考える理想的な田舎像ではないかなぁ。純粋に観光で行っても心洗われると思います。いわゆる観光名所ってのはなーんもないけどね。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 22:21:29

変わったことと変わらないこと

この前、あらきム(あらきあきら)さんからメールをいただいた。大変恐縮した。あらきあきらさんといえば、ロリとか貧乳愛好家な我々にとっては商業誌や同人でもチェキなお方なわけですが、大学や企業以外でウェブを持っている人間がレアだった時代から、ずっとあのノリのウェブを続けてこられたというところでも私は尊敬している。

ウェブは大きく変わった。以前は、同好の士が運営してると思われるサイトは、全てを回りきることが出来たし、気に入ったリソースでも、ローカルに保存しようとは思わなかった。ウェブは、それ全体で巨大な知的データベースとなる、と考えていたからだ。つまりウェブ上の情報はある程度長く維持されると考えていたわけだ。

今ウェブ上の情報が長く維持されると考えてる人はいるまい。気にいったものがあったら速攻ローカルに保存するのが基本だろう。すぐ消してしまうという姿勢を批判することはできない。私も比較的長くコンテンツを残すよう心がけてはいるが、せいぜい 3 年も経てば消してしまう。もちろん、今となっては同好の士のサイトを回り尽くすなんて不可能だ。今このサイトを見たり読んだりしてくれてる人の多くがニューズサイトの紹介文やアンテナサイトから来ているし、それ以外の少なからぬアクセスは、WWWC などの巡回ソフトウェアによって占められている。後は、サーチエンジンから直接目的のページに飛んでいる人が大半である。つまり、ブックマークやお気に入りなどをこういった個人のサイトに設定する人は減っているし、個人サイトのリンクページが活用される機会は減った、ということだ。また見る側は、なめるように 1 つのサイトを閲覧するということは少なくなったし、作る側も、腰を据えて読んでもらわねばならない規模のサイトを作らなくなった。つまり、何ヶ月かに一度バーンと大作を投じるのではなく、簡単な更新を頻繁に繰り返すスタイルが主流になったということだろう。

別にどちらが良いとか悪いとかいうことではなくて、そう変わったというだけのことだ。同じであり続けることは難しい。このサイトも、絵師サイトというよりは、情報社会学系日記 + PhotoShop 情報、着せ替えとかソフトもあるっぽいサイト、といった捉えられ方をしている模様。

話が随分逸れたわけですが、だから、あらきムさんみたいに、変わらず続けてこられてるというのはすごいことだなと思うわけで、なんか大阪の方に足向けて寝れません。貧乳マンセー。

(43)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:18

アフタ

自分の体質でゴッツ悩ましいことがある。どうも口内炎が出来やすいのだ。今も 1 つ飼っている。

ここでいう口内炎というのは、口の中に白っぽい丸いくぼみのようなものが出来て舌や食べ物が触れるととても痛い、アフタ性口内炎と呼ばれるあの炎症である。かなり多くの人が悩まされるにもかかわらず、根本的な原因不明、治療法も不明という、厄介な症状だ。放っておいても最長 2 週間くらいで治るが、その間は舌や食べ物が触るたびに鈍痛に襲われ、中々辛い。ストレスや風邪や胃腸の不良など原因は色々あるらしい。俺の場合はストレス、睡眠サイクルのズレ、栄養バランスの悪化辺りと思われる。

で、根本的な治療法が無いとはいっても、放っておくととても痛いので、とりあえず殺菌消毒などを施すことにしている。口腔内の殺菌というとルゴール辺りが定番なようなのだが全然効かんので、度数のうんと高い酒や医療用のエタノールを使っている。だが、これがとてつもなく痛い。どれくらい痛いって、耳から手突っ込まれて奥歯ガタガタいわされてるくらい痛いのだ。誇張してると思われるだろうが、患部にちょいとアルコールを塗ってやると、アゴから奥歯そして鼻、耳、にまで痛みが染み渡っていき、しばし声も出せないくらい痛い。ジンジン伝わる痛みを追っていくと、口や鼻や耳ってつながってるんだなぁとしみじみ実感できるのだが、しみじみ実感してもあまり嬉しくない。

で、痛みに耐えたところでアフタがおとなしくなってくれれば好いのだが、アルコールの殺菌くらいではそうそう治らない。好転しない時は更なる荒業を使うことになる。これは素人療法なので効果は一切保証しないが、長年アフタと付き合って自分なりに発見した治療法がある。患部を焼いちまうのだ。鉄釘とかステンレスのスプーンの柄を火で熱して、患部に一瞬押し当てるのである。ジュッと。口の中で根性焼きです。アルコールを使うよりずっと危険な技だ。ものすごく痛いように思われるかもしれないが、すぐ表面の細胞が死んでしまうからか、実はエタノールの消毒より痛みは少ない。口腔内は代謝が早いから跡も残らない。でも焼きすぎると水ぶくれが出来たりして却って状態が悪化するので、リスクと効果を天秤にかけられる悪い子以外は真似しないでネ。ていうか、やるな。ただ、上手く焼けばかなり短期間での治癒が望めます。俺も怖いから滅多にやらないけど。

というわけで、そういうヤクザな治療法取らなくてもいいようにビタミン剤飲んだりリステリン使ったりしてみるわけですが、効かんのです。口の中痛いのです。で、今私は古いスプーンを握って右往左往悩んでるわけです。

(43)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:20

絵描きの生き方

絵描きや音楽屋などの生きる方法ってのには、大きく分けて 2 つあると思う。1 つは、多くの人に見てもらって鑑賞料を頂く方法。原稿料という形であったり同人誌の売上だったり、色々なバリエーションはあれど、今の多くのフリーの絵師は大体こういう方法を取っている。もう 1 つは、特定の金持ちにウケるものを描いてその金持ちに養っていただく方法。鑑賞する人間は極めて少ない。昔の王族や貴族の下で絵を描いたり曲を作っていた画家や音楽家なんてのはこのパターンだ。

じゃあ現代において、企業に雇われている絵師やデザイナーってのはどっちなんだろう? 多くの人に見ていただかねばならないという点では前者だけれど、上司やクライアントに逆らえない点や、ある程度の生活は保障されている点などでは後者だ。2 つを折衷した現代資本主義社会的なあり方だと思う。

さて。結局現代の商業芸術においては、自分の作品を多くの人に見ていただかねばならないわけなのだ。マンガにしろイラストにしろ、3次元のフィギュアでさえも、あるいは音楽、映画、小説など、全ての商業芸術は、コピーされて広められることを前提として作られている。自分の作品がたっぷりコピーされて市場に出回ることが、まず何よりも作者の義務なのだ。そして作者に直接お金が入ってくればなおのこと良い。しかし実はそれは二の次だったりする。コピーが出回らないというのが実はもっとも恐ろしい。良い作品なら自然に売れる? そんなことは絶対にない。一度コミティアにでも来てみれば、技術と売上にはあまり相関性がなく、プロモーションと「売るための文脈」が大事であることが分かるだろう。多くの人がどういう作品かを知れば、誰かは金を出してくれる。誰にも知られなければ、誰も出さない。多くの人に罵られるリスクも伴うが、声高に罵るやつは金を出して作品を買ったやつなのだから、実は大切なお客様だ。この仕組みを分かっているから、音楽業界はプロモーションと称してラジオやテレビその他で音楽をかけまって劣化させたコピーをばらまく。そうすることで、少なからぬ人が純度の高いコピーを買うわけだ。

で。劣化コピーではなく純度の高い不正コピーが出回るってのが最近問題になっているわけだが、純度の高い不正コピーを取り締まるために、劣化コピーすら作れないコピーアットワンスなどの仕組みを導入するのは、商業的失敗につながるだろう。単純に見てくれる人の数が減るからだ。商業芸術ってのは嗜好品だ。普通の人は、そんなもんを日々チェキするほどヒマではない。劣化させたコピーをばらまくというプロモーション活動を満足に行わずに、純度の高いオフィシャルコピーが売れると考えているのなら、致命的に愚かだ。

純度の高い不正コピーが出回るのを止めたければ、音楽同様に劣化させたコピーをオフィシャルにばらまけ。しかも大量に。例えば、15 秒の予告編だけで 2 時間も続く映画を“買わせる”のは無茶だ。もう少し工夫して劣化コピーをばらまけ。そうすれば不正コピーはずっと減るだろう。そして純度の高いコピーにもっと付加価値を付けろ。音楽業界の構造は糞だと思っていたけど、これからやろうとしている地上波デジタルがもっと糞な構造を作るつもりだとは思わなかった。今のままではあまり芳しい未来は待っていないだろう。

(48)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 22:27:21

a++

a++

初出コミックマーケット64。『a++』のジャケット。実はうさぎがタチでねこはネコ。スクール水着はいいとしてこのセーラーの襟がどうやってくっ付いてるのかは謎。ワキ見せポーズなのにネコさんは髪が被ってしまった。

(50)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:24

論理の写像、人の写像

MSBlastワームを駆除しようとするワームからの http アクセスがものすごい数になっています。日本中の Windows ノードに多数感染しているのでしょう。つないでるだけで感染するワームってのがついに一般人の元まで来たんだなーと、/var/log/ 以下を眺めながらしみじみ感慨に浸ってます。

自前のマシンを 24 時間 365 日つないでおくことが大衆にとって前提になる世界というのは、当分来ないどころかもしかしたら金輪際来ないかもしれいが、そうでなくても、マシンを 24 時間晒せる人と、自前じゃそんなことできない人との差は、いろいろな部分で付いている。自前でできる人が使えるサービス(サーバが提供するモノという意ね)と、そうじゃない人が使えるサービスには、否応なく差が付く。named や popd、smtpd を自由に動かせる・動かせないの違いは、利便性において結構な差だ。自宅鯖でこれらのサービスを動かせるとかなり便利だ。だけれども、誰でも気楽にそういったサービスを動かせるようにはなってない。インターネットという枠組みの中では誰にでも許されていることだし、実現可能なハードは行き渡っているのに。

何故できないのかといえば、それは「知識差」や「技能差」なわけで、その知識的な差異をビジネスチャンスと考えて、コンサルやシステム構築や教育などで稼ぐことを考えるというのが現状の在り方なのであろう。でもその方向性は本当に正しいのだろうか? 大体、普通の人はウェブしか使わない。というか、「ホームページ=インターネット」という糞のように情けない等式が成立している。この状態で、インターネットでは個人が勝手にサーバおっ立てて自由にサービスを開始できるんだと唱えてみたところで、その意味が伝わるわけがない。そういったことをやりたがる人、知識差や技能差を埋めたがる人そのものがグンと減ってしまうんじゃないかという気すらする。

例えば、現『伺か』は SSTP という面白そうなフレームを提供してくれた。だからそのフレームを利用して俺は簡易チャットツール作ったし、『SSTP Bottle』なんていうアイディアが生まれたりもしたわけだ。というか、HTTP だって、ティム・リーのアイディアが便利そうだったからみんな使ってみたに過ぎない。ちょっとしたアイディアを「hack」する力があれば新たな世界を切り開けるというインターネットの魅力、自由さというオプション価値が、「ホームページ=インターネット」の人たちに伝わることは、多分ない。インターネット本来の面白さというのは、自由さという夢ではなかったのか。この夢は、経済的な意味合いやコミュニケーション云々というレベルでの話ではないのだ、俺の中では。「白い紙とえんぴつさえあれば何でも描ける」というような、表現の自由、創造の自由だ。

そういった自由はやや失われつつあると思われる。インターネット自体がインフラとして定着してきているからなのだろう。でもインターネットは、進化の幅を減らしてしまっている。とても残念なことだ。絵やマンガを見たり読んだりするだけの消費者が大多数であるように、単に利用するだけのネットワーク消費者が大多数であることは別に構わない。だが、それなりの数の子どもは放っておいても絵を描きたがるけれども、今の子どもを放っておいたらプログラムをしたがるだろうか?

プログラムは、脳内の論理を写し取った記号の羅列だ。それに興味がもてない人が多いのだとしたら、つまり人は論理に興味が無いということに他ならない。ということは、論理の組み立てを必須とする学問に興味がもてる人も少数だということであろう。

(46)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 23:47:28
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