全文検索(S)

地デジカ騒動と「マスゴミ」という虚像

要約

地デジカ騒動について、あまりにいい加減なことを言う人が多いのでばっさりまとめた。著作権の問題だという人が多いようだが、問題の本質は著作権にはない。問題点は2つある。1つは、著作権はただでさえややこしいのに、著作権法にない「二次創作」なんて言葉を使ったせいで一層議論がややこしくなったこと。もう1つは「マスゴミ」体質のウェブメディアのせいで間違いが拡大したことだ。

地デジカのイラストを描くことに問題はあるのか?

まず、ここから始めよう。

あの鹿そっくりに描いた場合、怒られる可能性はある。その場合に、複製権だ同一性保持権だのといった、著作権法の概念を持ち出される可能性は高い。そして、pixivなどにのっけている場合、pixivごと怒られる可能性もある。これは事実だ。

しかし、美少女化なりショタ化なりムキムキな擬人化して描いた場合、それらに文句を言う法的根拠はほぼ無い。表現的に似て無さ過ぎるから、著作権で責めるのは不可能と想像される。常識的に考えて、変な色のスクール水着の女の子の絵を手当たり次第訴えられるわけがない。

商標が登録されていればそれで訴えることはできるかもしれないが、特許庁で検索しても出てこないので、現状、商標で文句を言うこともムリだろう。

だから、以下のような擬人絵を描いても文句は言いようが無いし、そこで地デジ行政を揶揄していたとしても、これまた文句は言いようが無い。こういうのは正当な表現行為だ。

地デジカではありません、全く関係ありません。黄色いスクール水着ですからね!

昔、こういう赤いプラスチックの外装を持つSONYのブラウン管テレビ、しかもトリニトロンになる遥か前、というのが実家にあったような気がするんだが、今更探しようもないので適当に描いた。閑話休題。

民放連の発言を注意深く読んでみる

そもそもの騒動の発端となったガジェット通信での記事を注意深く読んでみる必要がある。問題の根本はここにある。

記者はまず、「地デジカのイラストを掲載」することを「許すか」?と尋いている。これについて民放連は「無断掲載には厳しく対応していきます」と答えている。ここで考えなければいけないのは、民放連が何を想像しているかである。

ここでは、地デジカとして民放連が公表したイラストを、そのまんま勝手に掲載することについては許さないという意味だと考えるのが普通だ。これについてNOだということは、俺は驚くには値しない発言だと思う。ここまでで民放連は、「二次創作」なんて微塵も語っていないことに注意していただきたい。そのままのコピーは止めてくれ、としか言ってないと想像される。

記事に拠ればその後、「特に、二次創作キャラクターの作成や掲載につきましては、許されるものではありません」と続けたようであるが、じゃあこの場合の「二次創作」って何のことなのか。問題はここだ。民放連が何を二次創作として考えたのか、それはこの記事からは分からないんである。

以前、『同人作家も誤解する二次創作の「合法性」』という記事で書いたように、「二次創作」という言葉は著作権法の言葉ではない。俺が調べる限り、1990年代後半に一部のエロゲーメーカー、っていうか、つまりはLeafが使い始めてから広がった言葉であることは確かなようだ。

で、この言葉は極めて曖昧だ。元の素材をそのままつなぎ合わせただけの、著作権法的には限りなく黒い作品も、素材にあったアイディアを参考にしただけの、著作権法的には100%白い作品も、どちらも含まれる。

このインタビューの時に、民法連側がMADやコラなどの著作権法的に黒い「二次創作」を想像し、そしてそれを否定したがっていたとしても、何の不思議も無い。なぜなら、それはイキかどうかはともかくとして、現行法に基づく適法な要求だからだ。

それにも拘らず、彼らが「二次創作」という言葉で何を想定していたのかは確認せず、「地デジカをもとに美少女や萌え系のイラストを創作することは断固として許さない」などという、民放連側が言ってもいない上に、著作権法上否定することができない行為を、民法連が反対しているかのように記事をでっち上げたのは、他ならぬガジェット通信だ。

問題の根本

今回の件で民放連がイキでないことは確かだ。しかし、民放連はそれほど大きく間違ったことを言ってはいない。恐らくは、勝手にオリジナルのシカをコピーするなと言っただけだろう。むしろ、著作権法に載っていない「二次創作」という言葉の曖昧さに乗じて誤解を拡大させたガジェット通信にはそれなりに罪がある。

不確かなことを元に扇動するのが「マスゴミ」だというのなら、ガジェット通信がやったことはマスゴミの行動そのものだ。既存メディア対ネットっていう構造は、恐らく本質的な問題ではない。大きな声を出すメディアが、多くの人の信じたいデマを述べれば、そのデマは人心を惑わして、すぐ拡大してしまうのだ。

ネットメディアも、広告ビジネスにどっぷり依存するのならば、人の関心を引くためだけのアジテータ中心になるだろう。そうしたら、あまり既存メディア、つまりは「マスゴミ」と変わらないことが起きると思う。「マスゴミ」の正体が本当は何なのか、考える必要がある。

追記

はてブや拍手などから。

キャラクターの改変をして、どこまでが法的に複製でないか?ってのはケースバイケースなんでは?

俺は一貫してケースバイケースだって言ってんだろ。文章読めなさ杉にも程がある。

権利者のコントロールの及ぶそっくりさんと及ばない改変との境界に興味がある

まあこれもケースバイケースですが、最終的には「常識」ってことですよ。

サザエボンとかDOB君とか
ドテラマン裁判

だって、これらはどれも、まあそれなりに似ていたでしょ。

俺は、この3つの例ほど鹿とすく水の子とが「表現的」に似てるとは思えないし、この判断はわりと普遍的だと思うから、上に掲載したような絵を描いて公開してるけど、この俺の絵と民放連の鹿が「そっくり似ている」という人は、まあ世界も広いから少しはいるかもしれないね。俺の目には別物にしか見えんが。

この辺はバランスとか常識の問題だよ。 (2009/05/02 18:27追記)


さらに追記。

「美少女化なりショタ化なりムキムキな擬人化して描いた場合」○○『化』って言ってる時点で、同一性保持権を侵害してますって言ってる様なものかと。そういう絵は大抵「地デジカ」タグもセットだし。

一体どこのバカなら、擬人絵を地デジカそのものだと思うんだろうね? 誰が見ても別モノじゃん。ここまで表現が違うものは、別個の著作物になるんだよ。判例っぽい表現で言えば、擬人絵からは地デジカの「本質的な特徴を直接感得できない」と判断されると考えるのが妥当。

はてブを読んだり他のサイトを回ったりすると、一体どれだけの人が、著作権法を「表現規制法」のようなものと誤解しているのかと、空恐ろしくなる。 (2009/05/09 14:09追記)


さらさらに追記。拍手より。

地デジ促進キャンペーン」の偶像であるキャラをネットでの情報拡散にすら利用できない部分が叩かれてるのでは?

前にも書いた通り、民放連は粋ではないけど、適法な反応をしているだけだから、俺はあまり批判する気にはならんなぁ。著作権法を変えてフェアユース入れよう! とかいうんなら分かるけど。

後、「普及キャンペーンのためなんだからブログとかにもどんどんコピーさせろよ」って主張する人については、

私が民放連だったら卑猥な二次創作なんかより、ジデジカ(原文ママ)のステッカー作って脱獄製品に張って売るような糞業者が出てこないかの方が気になる

という、はてブコメントにあった危惧をどう拭うのか、尋いてみたい。 (2009/05/10 16:44追記)


さらさらさらに追記。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090508/194086/

こんな記事が出た。趣旨としては結構だが、小田嶋さん、あなたもガジェット通信の例の記事を満足に読めていないのに、「民放連にはメディアリテラシーがない」などと嘲笑するのは、いかがなものなのか。

別に俺、民放連をかばう気はまったく無いんだけど、真摯にモノを書こうというのなら、いくら自分の書きたい話に都合が良いからといって、煽り記事を丸呑みしてはいけないと思うんですよ。 (2009/05/12 05:30追記)

(188)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-12 05:30:07

「情報モラル教育」の正体をよく考える

悩ましく胡散臭い「情報モラル教育」

「情報モラル教育」というのは、小学生やら中学生やら高校生やらに、インターネットや携帯(なんでこういう風に二分するのかは不可解だが)の社会的に適切な使い方を教えて、青少年がネット上で犯罪を起こしたり巻き込まれたりしないようにしましょうってことなんだと説明すると、何となく「そうかなぁ」と納得する人も多いかもしれない。

しかし、青少年ネット規制法という悪法を一番初めに取り上げてしまった因果で、情報モラル教育だの情報リテラシー教育だのというのに関わってみた一年だったが、どうも「情報モラル教育」というのを口にする人達は、「インターネットは匿名だから犯罪が多い」だとか、「携帯電話を使うといじめが流行る」だとか、何だか胡散臭いことを言う人達がいっぱいいることが分かった。

彼らにとっての「情報モラル教育」ってのは、インターネットや携帯電話を自由に使わせないことであったり、どこかの大企業が管理している商売気たっぷりのサイトだけを見せようとすることであったりする。その場合の「情報モラル教育」ってのはつまり、「『インターネットの利用』という装飾を用いて、一部の人のエゴやイデオロギーを押し付けたり、上手に商売したりすること」に他ならない。

そういう押し付けと「情報モラル教育」がどう違うのかという問いに、歯切れの良い答えを出せる人は、この1年で出合ったことが無い。俺が出合った真面目な人、信頼できる人達は、みんな悩んでいた。

「情報モラル教育」と「モラル教育」の違い

そもそもの前提として、インターネットはただの技術の寄せ集めに過ぎない。まあしかし、「技術は完全に中立だ!」というつもりはない。インターネットというIPの網にしても、あるいはそれを利用するメールなりウェブなりのアプリケーションにしても、あるいはウェブなりメールなりといったアプリケーションを利用するコミュニケーション(つまりは「2ちゃんねる」なり“mixi”なりのことだ)にしても、それらの仕組みが人間の善意なり害意なりを増幅させるということは確かにあるだろう。

では、「技術に善悪はあるのか」という中々結論の出せない高尚な議論を小中学生にもさせることが「情報モラル教育」なんだろうか。

俺は違うと思う。ネットいじめだのなんだのとマスコミが取り上げるような事件のベースにあるのは、子供同士の悪意のぶつかりあいだ。子供同士の悪意や害意というものは、技術そのものの善悪云々という抽象的な問題とは異なり、抜き差しならない日常生活として、彼らを取り巻いている。ネットがなくなっても、いじめがなくなりはしないのだ。

だから、技術に良し悪しがあるといったことを教える前に、まず「人間は、他人に強烈な悪意を向けることもあるが、社会で生きるならその悪意を制御しなければならない」ということを真っ先に教えるべきだと俺は考える。これが、本来の「モラル教育」、つまり「道徳教育」として何よりも先にやっておくべきことだ。

「情報モラル教育」というなんだかよく分からない言葉は、本来人間が持っている悪意や害意について教えるという、公教育や地域社会や親などが果たすべき、基本的な道徳教育の責任を、「インターネット」という仕組みに、転嫁してしまいがちだ。つまり、「インターネットという自由で匿名の空間があるから犯罪が起きる論」だ。それは大嘘で、他人への悪意や害意をドカンと発露させる人間は大勢いるし、アナタ自身がそうしたくなることもあるだろう。そこにたまたまインターネットがあり、掲示板があり、ブログがあった。モノの順番としては、そういうことだ。

だが、その順番は混乱しており、「情報モラル教育」というよく分からない言葉は、

  1. ① 人間の持つ悪意や害意を教えるということ
  2. ② 技術を通して表面化する悪意や害意を教えるということ
という2つの側面をごっちゃにしてしまっている。

「技術」を教えれば解決するのか

上記の①が「モラル教育」として広く行われるべきなのは、まあ異論の無いところだと思う。では、「情報モラル教育」というのは、まず①のような「モラル教育」を行った上で、そこにプラスしてインターネットやら何やらの技術的な部分を教えることなんだろうか。

でも残念ながら、技術を通して発露する悪意や害意は、触りだけの技術を学ばせることによって解決するわけではないのだ。文系のみならず理系の先生にも、ほとんど触りだけしか教えられないというのが実態だから、その程度を知ったところで、2ちゃんねるで時々ほとばしっている人間の悪意や害意から来る攻撃を抑止できるわけでもないし(っていうか、社会的な悪意は技術的にはあまり防御できない)、そもそもその悪意が消えて無くなるるわけでもない。せいぜい、悪意の発現パターンを知ることができるだけだ。でもその発現パターンは、様々な要因で日々刻々と変化し、新たな発露パターンが次々生まれていく。だから、対策は場当たり的にならざるを得ない。

例えば以下のようなことを子供達に教えようとしても、教える側の違和感はぬぐえないし、異論も噴出する。

  • 「インターネットで住所氏名を書いてはいけません」
    • →じゃあ通販とか銀行のサイトとかどうするんだ?
  • 「ブログなどで個人名を特定できるようにしてはいけません」
    • →俺は個人名特定されまくりだがその方がメリットあると思うよ?
  • 「怪しいサイトで本名を書いてはいけません」
    • →怪しいかどうかは誰が決めるの? 国? 親? 先生? 俺はこのサイトで名前を晒すのは平気だが、スパム投げまくりのショッピングサイトで本名やメールアドレス書くのには抵抗あるよ?

まあ、「気安く住所氏名などを晒すな」ってのは今の日本においては蓋然的には正しい教え方だけど、10年ちょっと遡れば、みんなニューズグループやMLで顔も本名も晒してどつき合いのようなコミュニケーションをしてたのだし、現在だって日本以外の地域ではどうだか分からない。少なくとも、長く教え続けられる真理では無いだろう。

「犯罪自慢をしてはいけません」なんてのも確かにその通りだけど、っていうか犯罪するなってことだけど、でも2ちゃんねるの管理人ひろゆき氏は、長いこと 「実録!交通違反の揉み消し方」 なんてタイトルでそういうサイトをやってたんだぜ? Download板やVIP板は、著作権違反をある種自慢しているような部分もあるし。犯罪自慢をしてバッシングされるってのも、必ずではないんだよね。

この手の教育とやらが、「べからず集」、「○○してはいけません」の繰り返しになることの問題は、そういう場当たり性以外にもある。

例えば「掲示板でいじめをしてはいけません」、「メールで悪口を書いてはいけません」、「プロフに自分の顔写真載せてはいけません」その他諸々。でもさ、いじめにしても、悪口にしても、自分の裸をプロフィールに載せるのも、良し悪しはともかくとして、子供達はやりたくてやっているんだよね。ネット上でのいじめを止めさせても、誰かをいじめたいという黒い感情が消えるわけじゃないし、裸の写真を取り締まっても、注目を浴びたいという欲求が消えるわけでもない。ここには、子供達のプリミティブな欲望と、社会のルールとの間に大いに齟齬がある。そして、この齟齬を矯正してしまう強制力こそが、近代の国民国家における教育というものでもあろう。

ここまでをまとめよう。「技術を通して表面化する悪意や害意を教える」というのは、場当たり的になりがちだし、しかもその教えは子供のプリミティブな欲望に反していることが多いので、押さえ込むための強い力が必要になる。

よくやってしまう良くない教え方

そこで、だ。国家レベルで効果のある「情報モラル教育」は、どういう形態を取ることになるんだろうか。一番確実で手っ取り早いのは、子供達が反社会的な行動を取った時ペナルティがあることを示して脅すことだ。近代国家の教育は一種の洗脳であって、恐怖というのは洗脳のための有効な手法だということを踏まえて考えると、インターネットが、巨大で精緻な監視機構なのだと子供に教え込むのがもっとも手っ取り早いことが分かる。

つまり、悪事をした場合は、通信キャリア、ISP、アプリケーションなどの各レイヤでのログですぐ分かるんだぞ、そして警察はそれらを統合的に手に入れることができるんだぞ、ということで、さらに言えば、インターネットは警察が管理できるんだぞと脅しつけることが一番手っ取り早く子供を「教育」することができる。「犯罪予告をすると捕まりますよ」と脅すのは、そういう意味だ。

これはしかし、インターネットの「自律・分散・協調」という理想を学んできた技術者にしたら、屈辱的な話ではないか?

単に監視されているという恐怖で子供を脅してしまうのならば、中国やイスラム国家のように、政府がインターネットを監視し言論統制をしている環境と何も変わらない。これがインターネット時代の「情報モラル教育」としてあるべき姿だとは、とても考えられない。いや、考えたくない。そんなのは真っ平だ。たとえ、少なからぬ代議士がそうやりたがっているとしてもだ。

やるべきことは、やっぱりこういうことだ

インターネットを真に活用しようと思うためには、それが自由のためのアーキテクチャであるということを教えなければならない。つまり、「無責任な発言が自由にできるからインターネットが素晴らしい」のではなく、「自由な発言を許すことも許さないことも、どちらでも好きなように設計できる通信環境であるから守るべき価値がある」ということを教えなければならない。どんなにハードルが高くても、これを教えなければならない。これを踏まえた上でようやく、そういう場を維持するための「モラル」として何が必要なのかを考えることができる。インターネットとして何を守るべきなのかを分からないまま、見失ったまま、「情報モラル教育」をしてはいけないんだ。

それは、今のインターネットの寿命を縮める行為なんだ。

「犯罪予告をすると捕まるよ」と「犯罪予告をするとネットが窮屈になるよ」とは、少しだけ違う。この少しの違いにきっと光明があるんだと信じたい。

もうちょっとわかりやすく。

俺は、子供を脅すこと自体は、教育のメソッドとしてとても重要だと考えている。でも、「インターネットは怖いんだよぉ、だから気をつけようねぇ」っていうのは間違いだ。「この世には怖い人もいるから、インターネットでは気をつけようね」ってのは、嘘じゃない。この少しの違いが、致命的に重要なんだと思うんだよね。 (2009/05/14 12:31追記)

(129)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-15 12:02:46

おはなみ連隊

消火器の中には、花咲爺さんの灰的なものが詰まっているのでは!

おはなみ連隊

お花見の季節になりましたが、お花見をし損なっています。だって花粉がひどいんだもの。

でかいの

> 消火器の安全ピンが抜けてない
そういやこの黄色いの抜かないと中身出ないのか。よく知らなかった(ぉ (2009/04/27 23:54追記)

(39)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-04-28 03:19:16

2009年あけましておめでとうございました

2009年あけましておめでとうございました

遅くなりましたが、2009年の年賀イラスト。牛製品を集めてみました。ハンバーガーとかマンガ肉とか、多分生まれて初めて描きました。

久々にセーラー服じゃない!

(58)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:19

冬コミは30日・東レ-30aでみゃうたん本

冬コミは、珍しくカットどおりにみゃうたん本を出します。印刷が間に合ってれば。

早い話が猫耳本です。

  • 表紙
    みゃうせつ表紙

  • キャラクター設定
    みゃうせつ:キャラクター設定

  • 4コマとかその他もろもろ
    みゃうせつ:貧乳ステータス

MIAUの正会員の人にはタダであげようと思うので名乗り出てください。 今回はMIAUネタがらみなので、オタク界の大物外道氏の証言による女装ショタ論など、変なコラムも充実してます。

本文には禁断の入稿日も記載されていてスリリングだぜ。

印刷間に合った。印刷って○○時間でできるんだ!!

(2008/12/27 22:00追記)

(46)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-18 03:11:55

コミティア86にでます

11月16日のコミティア86に出ます。ふ20bです。

2009年用カレンダーがあるかもしれない。来年はショタですね。

2009年ショタワキカレンダー

ネコ耳とウサギ耳がどうやってくっついているのかは謎です。

動物耳について、

> 生えてるんじゃないんですか!?

という拍手を頂戴した。俺の場合、みゃうたん系の2つしか耳がないタイプのネコ耳(横付き型)は、「生えてる」。4つある場合は、「付いてる」だと思ってます。 (2008/11/17 23:25追記)

(50)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:19

お願い猫神様!! とかみゃうたんとか

お願い猫神様!! とか、みゃうたんとか

最近(主にMIAU周りで)辛いことがあったので、猫耳みゃうたんでも描いて心和まそうと思いたったのが9月。全然描く時間が取れずに1日1線みたいなペースで描いてたら1ヶ月かかりましたよ

原寸のファイルがpixivに貼ってあります。

(41)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:19

ポニョが「老人の妄想」である訳

ようやく現実逃避も兼ねて『崖の上のポニョ』を見た。鑑賞後30分くらい反芻していたら、押井 守があの作品を「老人の妄想」と批判した理由が分かった気がする。

ばっさりまとめてしまえば、ポニョという物語には、人間が成長するための課題や試練、イニシエーションやらが含まれていないからだろう。

一般的な物語では、主人公は何らかの試練を与えられ、それをクリアすることで観客と達成感をシェアする。難題をクリアして前に進む主人公というのは、ほとんどの物語に共通的に見られる普遍構造である。しかし、冷静に考えると、ポニョには一切それがないことが分かる。

以下ネタバレしまくりなので、観てない方はご注意下さい。

(187)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-09-14 13:39:32

同人作家も誤解する二次創作の「合法性」

後輩にあたると思われる人のサイトをたまたま見たら、「二次創作イラストは、著作権法を厳密に解釈すれば権利の侵害にあたる」という記述があった。俺はこの言い方がものすごく気になった。そして、権利の侵害に当たるはずのものがなぜ黙認されているのかという理由として挙げられているものも、すごく気になった。しかも、ほとんどの人がこれらを前提だと思っているらしい。

同人活動が黙認されるのは、一次創作の宣伝になっているからでも、プロが生まれる土壌だからでもない。それらは副次的な理由だ。そもそも、「二次創作が権利の侵害にあたる」というところからして間違っている。「著作権法を厳密に解釈しても、いわゆる版権イラストが著作権法の侵害に当たるかどうかは、一概には決められない」からである。

例えば、ドラえもんのジャイアンを美少女化したような絵をウェブ上に載せた場合、著作権法に違反するといえるのか? こういうのはなんとも判断が難しい。物語の設定や名前やキャラクターの性格付けなどは「アイディア」であって、「アイディア」に著作権は無い。保護されるのは表現だけだ。アイディアをパクることは、作家として非難されることではあるかもしれないが、パロディはそれを意図的にやるわけだし、出来上がる表現としては劇的に異なってくるので、果たして最終的に司法がどう判断するかは、裁判をしてみなければわからない。もし裁判で一定の結論が出たとしても、学者達の見解は割れるだろう。

第一、「二次創作」といったときに何を連想するかは、人によってかなり違いがある。元ネタをそのまんまコピーしてつなぎ合わせたものだと考えるかもしれないし、元ネタで使われた「アイディア」や「設定」を膨らませて作られた別の物語だと考えるかもしれない。前者はいわゆるMAD、英語圏で言うところのAMVであり、後者は大塚英志が『物語消費論』で論じた同人作品の形だ。

定本 物語消費論 (角川文庫)
定本 物語消費論
(角川文庫)

大塚 英志
『キャプテン翼』の翼君と岬君の淡い恋愛関係を描いたりというのは、(今となっては陳腐過ぎるが、そうした表現がほとんど存在しなかった時代を考えれば)名前や設定を借りて原作とは異なる新しい耽美的な物語を作り上げたものだとも評価できる。それらは、本来の著作権法が考慮していた「二次的著作物」、つまり、翻訳や、編曲、小説の映画化などとは、チト異なるものだ。

元のマンガやアニメの絵という表現をそのまま模写したり、そのままつなぎ合わせたりした場合、著作権法に違反する可能性はやや高くなるが、これもケースバイケースで、元の絵が「二次創作」の着想の参考になっただけで、「二次創作」されたマンガやイラストに新しい独創性が盛り込まれていれば、翻案にすら当たらない場合もあるかもしれない。やっぱり裁判をしてみなければ分からない。そしてそういった裁判は、一次著作者が訴えを起こさなければ始まらない。さらに、何が著作権法違反として訴えられる可能性があるのかというのは、突き詰めてしまえば排他的独占権を持つ一次著作者の主観に拠るといえる(ここら辺のせいで、「心意気」とかの誤解が入りやすくなる)。

「二次創作」って一口に言われるものの範囲は広く、それ故、違法かどうかってのは一口には言えないのだ。

さらにいえば、一次創作と二次創作という分類も、ボーダーのはっきりしない、あやふやなものだ。例えば、ウルトラマンがその着想を手塚治虫から得ていたとしたって、「ウルトラマンは二次創作だ」とか「パクった」とか叫ぶ人はいないだろう。

また、宮崎 駿がルパンやラピュタでフライシャーのメカを真似たからといって、「宮崎駿はパクリ人間だ」などと叫ぶ人もいないだろう。

こういう話になるとすぐ「作品Aと作品Bは似ている/似ていない」の議論になるが、そういう議論をし出したら、もういっそほとんどの萌えキャラは似ているともいえるし、ほとんどのジャンプマンガは似ているともいえるのだ。俺の親の世代なんかだと、美少女キャラクターの区別なんて全然付かない人が大勢いる。一次創作と二次創作に客観的で明快なボーダーを引こうというのも、実は結構難しいわけだ。

二次創作が黙認される理由は、一次創作者の「心意気」や、二次創作者の「リスペクト」が問題なんじゃない。どうしてそっちへ行くんだろう。その考え方はやや危険だ。何でも「クリエイターの心意気」に落としちゃいけない。黙認される最大の理由は、はっきり言えば著作権法が曖昧だからだ。もっと言えば、人間の創作活動というものが、一次創作と二次創作とへ常に簡単に分けられるものでもないからだ。

二次創作が「違法」なのかどうか、さらには一次創作と二次創作の分離も、判断はケースバイケースであって、その判断は容易とは言い難いものも多い。もし一次創作者がギャーギャー騒ぐのならそれなりに酷いケースなんだろうから、じゃあ裁判して白黒付けてやろうじゃないか、でもそうでないなら放っておこう、というのが現状の著作権法のスタンスだ。

大胆に考えれば、二次創作を行わせるためのプロトコルは、現状の著作権法の曖昧さの中に、ある程度インプリメントされているとしてもよいだろう。フェアユースってのだって、曖昧さ故に成り立ってるようなもんだ。

何が言いたいのかというと、「二次創作」=「違法」という認識は誤解だということです。「二次創作」とされる作品は、「違法」な作品を真部分集合として含む、くらいに考えた方が良い。そしてそのボーダーの曖昧さ、グレーっぷりは、フェアユースなどの制度を入れても、完全なホワイトにはならんのです。著作権法は曖昧なんです。

(1041)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2012-04-23 12:42:49

ノースリーブセーラー服記憶術(夏コミ直前のお知らせ)

偽広告・ノースリセーラー記憶術

夏コミ新刊『Little Moon Night Vol.4』の偽広告ページ。かわいい子がノースリーブセーラー服を着れば頭が良くなるのです。ネーム・彩色・仕上げ:俺、原画・ペン挿れ:lincoでお送りしております。

全PhotoShopファイルを収録したデータディスクを少量用意してます。後、バックナンバーは大体そろってます。今回でVol.4ですが、別に続きものではありません。

(35)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-08-16 23:28:34
  1. < PREV
  2. [1]
  3. [2]
  4. [3]
  5. [4]
  6. [5]
  7. [6]
  8. .
  9. .
  10. .
  11. .
  12. .
  13. .
  14. .
  15. .
  16. .
  17. .
  18. .
  19. .
  20. [19]
  21. [20]
  22. [21]
  23. NEXT >


<TOP>

[ Copyright 1996-2017 Mishiki Sakana. Some Rights Reserved. ]