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コミティア83(02/10)は『い18b』

ぎりぎりのお知らせですが、明日のコミティアに出ます。新刊あります、ペラいけど。

でも雪降ってるし人こないだろうなぁ…。

新刊『Little Moon Night Vol. 3.5』のトビラ絵。ボーイッシュじゃなくて、なんと10年ぶりくらいにショタ本でございます。ショタワキ本。

オトコノコ=元気×かわいい(LMN035見開き)

(54)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

携帯小説から見える未来

俺が携帯小説の本文やそれを揶揄している2ちゃんねるのスレッドとか、さらにその辺りをまとめているサイトなどを眺めていると、「エロゲー読んで泣いてる奴も携帯小説読んで泣いてる奴もレベルは一緒だ」っていう書き込みが幾つか目に付いた。「現実感」とか「リアル」ってのがキーワードになって論争しているらしい。これは根本的に勘違いだと思う。携帯小説を読んだ時に感じる違和感ってのは、リアリティの問題じゃない。ついでに、リンク先の記事とかを読んでいたら、個人的な知り合いが何人か出てきたので、せっかくだから反応してみよう。

何が問題なのかを考えるために、既に散々語られている感があるけど、『Kanon』やら『AIR』やら『CLANNAD』やらのKey周辺のエロゲーについて、もう一度考えてみることにしよう。

まず、名作とされている美少女ゲームの物語構造を、ものすごーく単純化して俯瞰してみると、古典的な物語作成の技法にも合致する一般的な構造の脚本であることが分かる。何かをきっかけとして“異界”への扉が開き(異界というのは、剣と魔法のファンタジーの世界というような意味ではなく、単身どこか知らない街へ引っ越すとか、周りの人が少しだけ妙な反応をしていることに気づくとか、そういう「普通の毎日ではないこと」を指す)、主人公はその異界を彷徨い、何らかの形で問題をクリアして、読み手は一定のカタルシスと共に通常の世界へ戻る。その際には、ちゃんと「どんでん返し」が仕込まれている。これは、アリストテレスが『詩学』でミュートスだ何だと言っている時から求められる構造と別に変わらない、普遍的な物語の構造だ。

もう1つ重要な点として、『One』や『Kanon』の脚本は、「こういうことがありました」、「次にこういうことがありました」、「最後にこうなりました」というようなエピソードの数珠繋ぎにはなっていない。主人公や周囲の人物は、ある時点ではどういう感情を抱いていて、何らかの事件によってそれがどう変化したか、その感情の変化を追いかけることができるように、文章が書かれている。かわいい女の子がタイヤキを盗むのも妙な口癖を持っているのも、それは読み手に、何らかの感情を想起させるための仕掛けである。俺も初めて「うぐぅ」のくだりを読んだ時は、ぶん殴りたくなったが、それは脚本家の仕掛けの成功なのである。ポジティブであれネガティブであれ、読み手の感情が動かされたということは、物語に引き込めている証拠なのだから。脚本が失敗し、物語に引き込めていない時の読み手の反応は、登場人物への「反発」ではない。「無関心」だ。アナタと無関係の赤の他人がこういう事件に見舞われました、では誰も感動しない。映画なら途中で寝てるだろうし、ゲームならAlt-F4が押されるか右上の×ボタンがクリックされる。物語の最後にカタルシスを与えるためには、物語中の人物が、アナタの感情を何らかの形で動かしていなければならない。だから脚本家は、様々な仕掛けを用いて読み手の感情をコントロールし、途中でゲームを止めさせないために様々なスパイスを撒いている。ボケ漫才もその手段の1つである。Keyのゲームは、そういった仕掛けが、既存のよくある物語とちょっと違っただけだと俺は理解している。彼らの志向はあくまでも王道だし、脚本の手法もやっぱり王道なんだよね。表出されたものは王道に見えないかもしれないけどさ。

一方、携帯小説である。携帯小説は、「彼氏に振られた!」、「レイプされた!」、「ドラッグを打たれた!」、「妊娠した!」、「自殺未遂した!」、「彼氏が死んだ!」、そういうショッキングな事象が延々と連発される。これは何でなんだろうか。こういう事象が「リアル」なんだって書いている人がいるけど、そうじゃない。それは勘違いだ。「異性に振られた」とか「妊娠した」はともかくも、ドラッグや集団レイプがそうそうあるわけはない。むしろ、リアルじゃないからこういう物語が作られているのだし、そもそも、「リアル」かどうかってのはどうでもいい話なんだ。

携帯小説も、日常から非日常へ行き、また日常へ戻ってくるという、基本的な物語の構造を持っている。ほとんどの女の子は輪姦されないし、彼氏も不治の病にならないし、自殺未遂もしない。これらの要素は、リアルじゃないから、物語の「非日常」として成り立つのだ。作者だってそれを明確に意識している。そうでなければ、最後に「から揚げ」などという「日常」を持ってきたりはしない。携帯小説は、物語であろうという志向は持っているし、ものすごくプリミティブな意味では、物語の構造を持っている。ここは間違えないで欲しい。携帯小説も、根本的には物語であろうとはしている。問題は、もう1つの方、感情を揺り動かすための仕掛けの部分だ。

携帯小説も、読み手の感情を何らかの形で揺り動かそうとしているのは伝わってくる。でも、その手段がものすごく乏しい。ビジュアルを伝えられないので人物の外見で引きずり込むことは出来ないし、誰もが興味を催すような舞台をひねり出すのはとても難しいし、文字だけで魅力のあるキャラクターを創造するのもとても骨が折れる作業だ。そういう作業については、一切放棄している。だとしたら、誰もが恐れ嫌がるに決まっている単純な不幸を連発して、不幸の持つインパクトで読み手を呼び寄せるしかない。この、読み手の感情を揺り動かすという部分について、携帯小説の作家達には、全く技量が無いのだ。

携帯小説の作者は、別に不可思議なことは何一つやっていない。読み手の感情を動かしてカタルシスを与えようという志向は持っている。彼らが物語を作ろうとする時の志向も、王道である。でも、俺などのように、物語を山のように読んできた人間の感情を動かすことは、できない。腐るほど物語を読んでいるオタク共には、不幸を連発して読み手を引き付けるという手法は「邪道」だし、「下手糞」以外の何物でもない。今までの物語作者が散々頭を悩ませてきた「読み手を引き付けるための工夫」を完全に放棄しているように見えるからだ。

社会学者達が考えるべきなのは、エロゲーの脚本家達は叙述の力によって読み手の感情をコントロールできる技術を身につけられたのに、なぜ10年世代のズレた携帯小説の作家達にはそれが出来なくなっているのか、というところだ。その答えの1つはコレなのだと思う。

909 名前: 大道芸人(長崎県)[] 投稿日:2008/01/17(木) 10:32:31.74 ID:i1xWOipi0
まあ、いいんじゃないか、
人それぞれ、そういう時代だろ。

こういう、履き違えた個人主義のような発想が、間違いの元だと俺は考える。確かに、個人の好き嫌いってのは別に「人それぞれ」でいいと思う。でも、ある技術や技法(例えば文章技術)の巧拙、上手・下手ってのは「人それぞれ」で認めてよいものじゃあないんだな。技術や技法ってのは客観的に評価できるものだし、教育によって伝達することもできるものだ。「下手な技術で作られたアウトプットを喜んで受け入れる自由はあるじゃないか」、って主張する人もいると思う。確かに受け入れるのはその人の自由だ。俺も、超絶技巧なコンテンツばかりを愛好しているわけじゃない。どうしようもないモノを山ほど愛しているし、自分が創ったり描いたりしてるのも超絶技巧とは縁遠い。でも、だ。

アナタが技術者、表現者、創作者、芸術家を志向しているのならば、「別に下手でもいいじゃん」という考え方を受け入れることは許されない。何で許されないのかっていえば、それを許しちゃうと、次世代の技術者が育たないからだ。もちろん自分自身も成長しないしね。下手な技術者が存在することは許される。初学者は全員下手だ。成長の歩みが遅いことも状況次第で許される。でも下手な技術者が「俺様は下手なままでいい」と開き直ることは許されない。技術者なら、常に鍛錬しないといけない。そして、その鍛錬を楽める人が技術者であるべきだ。技術者達がこういう価値観を共有していなければ、社会全体の技術は向上しないのだ。だから、これはmustなんだ。

つまり携帯小説をバカにする多くの人達がムカついているのは、その致命的な低レベルさと作者の技術的な向上心の無さ、そしてそれをそのまんま受け入れている人たちのゆるーいメンタリティなんだ。これは、リアリティなどとは全然関係が無いんだよ。「文章下手な癖に自分に酔っているからムカツク」で合ってるし、その要約が正しい。濱野さんや東さん、ised の時に面と向かって何度か言ったけど、技術者やクリエイタとしての経験がないと、こういう時に議論の踏み込みが甘くなるんですよ。何でも相対化したりメタ化すりゃいいってもんじゃねーんだよ。どこかで一線を引いて、そのラインを守るために戦わなきゃならんのだ。それが意見を主張するってことだし、学者としての責任なんだと俺は思うよ。大塚が言ってて伝わらなかったのはそういうことなんだよね。

でも逆に、そういうゆるーい姿勢をバッシングする人達がいる限り、日本人の向上心ってのは大丈夫なんじゃないかと俺は思ってる。皆が向上心を持ち続けている限り新しい技術・技法は開けるだろう。そこには未来があるはずだ。俺はそこのところを信じているな。

(549)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-01-18 23:33:02

2008年あけましておめでたかった

2008年あけましておめでたかった

そろそろ2008年も、あけましておめでたかったと過去形で評価してよろしいのではないでしょうか。リアルでお知り合いの方には、いまさらですが御葉書でお送りするかも。

(36)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

冬コミ直前のお知らせ

12月31日のミ-41b『osakana.factory』での新刊は、

  • 『Little Moon Night Vol.3』
    LMN03カバー


  • 『Little Moon Night Vol.3』のPhotoShopファイルなどを全部格納したデータディスク
    LMN03・DVD版


  • 何とか間に合った2008年用卓上カレンダー
    教室でワキ見せポーズ

    チョコバーを食うみゃうたん

という感じです。卓上カレンダーは、部数少ないです。

(49)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

パブコメから分かるドワンゴの本質

先日、MIAUでも送付を呼びかけていた文化庁のパブリックコメントが公開された。MIAUの人達と雑談していたら、面白いものを見つけた。ニコニコ動画運営会社の親玉である株式会社ドワンゴの、ダウンロード違法化問題についての見解である。

少し長いが、PDFは読み辛いと思うので、全文引用する。

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/pdf/rokuon_iken_7_2_ihousite.pdf

 違法録音録画物、違法サイトからの私的録音録画を第30条の範囲から除外すべきであると考えます。

 平成18年の音楽配信売上は535億円(前年同期比156%、日本レコード協会調査)であり、配信技術の進展やカタログの充実、 サービスの多様化等に伴うユーザー利便性の更なる向上により、今後もより一層の成長が期待されます。しかし、インターネット等 においては違法な利用による大量の音楽コンテンツが流通し、コンテンツプロバイダならびにコンテンツホルダに深刻な被害を与え ています。特に、音楽配信売上の9割を占めるモバイル向け音楽配信分野においては、一昨年頃から、違法音楽配信サイトが急増 し、その利用の蔓延により正規の音楽配信市場の成長が大きく阻害され、モバイル向け音楽配信のビジネスモデルの維持、 発展が困難な状況に至っており、私ども配信業界においても、事業の根底を揺るがす大きな問題となっております。拡大する音楽コ ンテンツの違法な流通を防ぎ、音楽産業の健全な発展を図るためには、違法音楽配信サイトからのダウンロードを著作権法第30 条の範囲から除外し、当該サイトの利用を違法とするとともに、民間レベルでの広報・啓発活動及び学校における著作権教育を一 層充実させ、ネットワーク環境に適合したITモラルの浸透を図ることが必要であると考えております。

 なお、無許諾のアップロードを違法とすることで対応が可能との意見もありますが、コンテンツプロバイダならびにコンテンツホルダ の被害は、実質的にダウンロードされることにより生じるものであることから、被害実態を勘案した場合、違法サイトからのダウン ロードを合法とすることは適当でないと考えられ、また自動公衆送信においてはリクエストによって違法送信が行われ、そのリクエス トをするのはダウンロード側であることから、ダウンロードを違法とすることによって違法送信を減少させる効果が期待できると考え ます。

 更に、海外で日本向けのサイトが多く公開されている事実を踏まえると、アップロード側だけへの対処だけでは違法送信を撲滅す ることが容易でなく、ダウンロードを違法とする実益があると考えます。

 また、「ダウンロードまでを違法とするのは行き過ぎであり、インターネット利用を萎縮させる懸念をある」との意見もありますが、違 法サイトと知って(「情を知って」)録音録画する場合に限定するなど、適用外の範囲に一定の条件を課すことにより、「知らずに罪を 犯すリスク」をユーザーに負わすことのない制度設計が可能ですので、問題はないものと判断いたします。なお、私どもコンテンツプ ロバイダならびにレコード会社等のコンテンツホルダーも適正サイトを識別するためのマークを制定し、広くユーザーに周知を図る 予定であることを付け加えさせていただきます。

このパブコメのまとめには、『ニコニコ動画死守連盟』や、『神奈川秦野ニコニコ動画死守連盟』といった団体も名乗りを上げていて、彼らは当然の如くダウンロード違法化に反対している中、運営の親会社はぶっちぎりの賛成であるという構図が、とても面白い。筆頭株主であるAVEXの意向が強いのかもしれないが、まあ運営会社はこう考えているということだ。

で、長ったらしいから、今北産業(3行で分かるよう)にドワンゴの主張をまとめよう。

  1. インターネットのせいで違法コピーがはびこってる
  2. 処罰はダウンロード側でやる方が効果的
  3. 処罰については十分注意するから大丈夫

もうMIAUのシンポジウムで斉藤先生や小倉弁護士が述べてくれたり、あるいは俺が普段巻いているクダとかで議論が尽きているところだと思うんだが、一応、各点に反論しておく。

まず1点目。インターネットを初めとしたデジタルな情報通信技術の根本的な目的は、「伝達」ではない。これはよく誤解されるところであるが、情報通信技術の本質は、「複製の容易化」である。情報通信技術を用いた「伝達」とは、遠隔地へ情報をコピーすることであって、送ることではない。送信元にも同じ情報が残るのだからね。これは、手紙などの物理媒体による通信と根本的に異なる点だ。手紙は物理的に移動するが、FAXや電子メールは、「送信」とは言うものの、手元にも情報は残り続ける。インターネットとは、世界的なレベルで情報の複製を容易化するツールなのだ。これは技術的な本質だ。

さて、よくあるコンテンツビジネスというのは、誰にでもできる情報の複製を著作権法という法律で制限することによって、お金を儲けるという形になっている。レコードやCDを売るコンテンツビジネスは、このタイプだ。映画もそう、書籍もそう、エロゲーも同人誌もそうだ。他人にコピーされてしまうと、金が入ってこない。このビジネスモデルは、複製が完全に制限できることを望んでいる。だからこのモデルに従う限り、複製の容易化を本質的な目的とするインターネットとコンテンツビジネスがバッティングするのは、そもそも当たり前なのだ。じゃあコンテンツビジネスとインターネットは全て相性が悪いのかというと、そういうわけでもない。例えば地上波テレビの場合は、コンテンツを見るのに金を払う必要は無い。何故なら民法テレビのコンテンツは全てが広告であるから、広告を流し広めることのためにお金を払う人がいれば良い訳だ。このビジネスモデルは、実は複製の容易化を目的とするインターネットと相性が悪いわけではない。広告を流し広めるということを考える場合、複製のコストが下がった方が嬉しいからだ。

つまり、違法コピーがどうのこうのってのは、根本的にはビジネスモデルの問題なのである。コンテンツビジネス云々というのなら、「安く売れる情報をすごい高値で売る」という、現在のビジネスモデルを変えるよう努力するべきだ。iTMSや米Amazonの音楽販売は、「安く売れる情報は安く売る」という方法へシフトして、成功しているじゃないか。行政や立法が、私企業を利するために法律を変えようというように動いたりするのは、お門違いというものだ。

次に2点目。これは小倉弁護士が的確につっこんでくれてる。処罰をダウンロード側でやるとしたら、じゃあ具体的にはどうやるつもりなのか。我々が「違法」とされるコンテンツをダウンロードしたとして、どうやってそれを知るつもりなのか。サーバ側で通信のログを押収しても、パケットは中継されているかもしれないから、httpのログに残る通信先が本当に最終的なダウンロード先なのかを知ることは出来ない。ということは、ある日いきなり警察が令状と共に自宅を訪問してPCを押収し中身を調べる、っていう手順が必要だ。それを、本気でやるの? どれだけ金がかかるの? できるわけないよね? ということはザル法を作りたいのかな? 違法が常態となる法律なんて、要らないね。

最後に3点目。じゃあ、例えば、動画サイトなどをサーチエンジンの検索対象としてインデキシングすることはどうする? 動画ファイルを自然言語検索できるようにする技術を試みてる人がいたとして、その人が、現在「違法」な動画がいっぱいあることは周知の事実であるニコニコ動画をインデキシング対象にしたら、どう判断されるだろう? なんとも言いがたいよね。ということは、日本ではそういう技術は今後生まれないようになる、ってことだ。そうした抑止効果、技術者の発想や開発の自由を奪おうとする態度だけで、技術者の視点としてはもう万死に値する。ローレンス・レッシグが述べるように、法律は、ものすごく広範囲に渡って人々の行動を規制してしまう、とても危ないツールなんだ。「気配りするから大丈夫」なんてのは寝言どころではなく、今後数十年間に渡って日本からは技術革新が生まれないようにしますと宣言するに等しい発言だ。

そしてこのパブリックコメントの最大の笑いどころは、ドワンゴが自身を「コンテンツプロバイダ」と述べているところであろう。あなた方がやっているのは、コンテンツの横流しであって、コンテンツの制作じゃないでしょ? こういうコメントを出す彼らが目指している理想とするビジネスの形は、自身を「適法」な「コンテンツプロバイダ」と政府に認めてもらった上で、合法的にクリエイタからの作品を横流しして、その上前をハネて甘い汁を吸おう、と、まあ、そういう姿なのだろう。それって、ニコニコ動画に群れてタダで動画を見続けて「フリーライダー」と謗られる厨房より、ずっと悪質なフリーライドだと俺は思うね。

(162)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-01-07 20:29:02

ロリワキ本・第3弾

LMN03カバー
12月31日(月曜)のミ-41b、『osakana.factory』にて、ロリワキ本第3弾出します(間に合ってれば)。 (第一弾第二段)。

今回はコスプレ本です。ミクの人とか東方とか、その他各種アニメのワキキャラ(主役じゃない人という意味ではない)のコスプレを小学生に薦めるファッション雑誌みたいな体裁で作っている、つもり。

lmn03より

(37)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-22 01:31:02

合理性はどこへ行った?

何だか、「UFOを信じる」とか発言した政府要職の人間がいるらしい。ここで、「UFO」を定義どおりに、「未確認飛行物体」のことだと考えると、「未確認な飛行物体の存在を信じる」ということになって全然意味を成さない。ということは彼の言いたいことは恐らく、「地球外の知的生命体による飛行物体が日々地球周辺をウロウロ飛んでいると信じている」ということなのだろう。バカも休み休み言って欲しいものだ。

このようにUFOをはじめとするオカルティズムを一刀両断に切って捨てると、その手の人たちからは、科学や論理を無批判に信奉している、と批判されるのだろう。だが俺は科学を信奉しているわけではない。科学の基本姿勢は、「疑う」だ。科学者は、既存の枠組みを疑い続け間違いを探し修正し続けるものだ。だから俺は、既存の学問を色々と疑っている。UFOをマンセーする人たちを俺が「バ~カ」と謗りたくなるのは、彼らの基本姿勢が「信じる」であるからだ。

宇宙人が存在しUFOが飛来していても、俺は一向に構わないし、むしろ世の科学者はそっちの方を期待していると思う。論理的な思考を常とする科学者という存在を、普通の人はUFO否定派の集まりだとみなしているのかもしれないが、それは勘違いだ。宇宙人を解剖したりUFOを分解したがるサイエンティストの方が圧倒的に多い。っていうかだな、むしろ全員そうかもしれん。

だが、UFOなり宇宙人なりというものの存在を科学的に認めるためには、あやふやな記憶や写真などの、判断材料とも言えない中途半端な記録をいくら積み重ねてもダメである。前提を疑い、論理展開を疑い、結論を疑いながら、疑問の余地がなくなるまで徹底的に調べ尽くせる存在を用意する必要がある。科学とは、そういう手続きを経ているものだからだ。「論理は本当に論理的なのか」というようなところまで疑ってきた科学者達は、「ある程度普遍的に通用する形で一定の見解を提示する手法」について磨きをかけ続けてきた。だから、多くの科学者があっさりUFOや宇宙人を認められるようそれらの存在を提示する方法は、ちゃんと用意されている。しかしながら、UFOを信じる人たちは、いつまでたってもその手続きが踏めない。

UFOマンセーな人たちが提示する「これは宇宙人の写真です」とか「UFOが着陸した跡です」とかいう怪しげな証拠には、山ほどの合理的な疑義が差し挟めてしまう。っていうかだな、存在するっていうならナマモノを持ってくりゃいいのだが、政府やらフリーメーソンやらの陰謀で毎度阻まれているのか、未だにナマモノは何も存在していない。であるからして、UFOという疑いの余地がでかすぎる存在を仮定しない方が、世界はスムーズに動く。

にも拘らず、こういうアホな事柄についてまじめに国会で問い合わせたり、あまつさえそれに答える人間が議員だったりするというのは、とてもおっそろしい。どう考えてもUFOより隣国のミサイルの方が怖いよ。合理的な脳味噌はどこにおいてきたのだろうか。

だがまあ、こういう合理的な思考が出来なそうな人たちも、国民が選んだ人である。人間は、常に合理的な思考を行うわけではない。ハイになってりゃ変な判断もするでしょう。ということは、合理的じゃない人も代表に(議員に)はなりえるだろう。だからまあ、こういう人が議員やっているってのは、良い現象だとは言わないけど、仕方が無い範囲だと思うんだよ。そういう人を減らしたいとは思うけどね。

それよりも俺の脳を悩ますのは、東京大学という日本で一番合理的な人達を集めて養成するはずの組織から、さらに合理的な人達だけが選りすぐられているハズの官庁という場所において、合理的な判断を下すための手続きが、全く行われていないことだ。まあ何のことかと言うと、これのことだ。

ダウンロード違法化は「やむを得ない」、文化庁著作権課が見解示す

川瀬氏は「客観的に見ても、違法着うたサイトやファイル交換ソフトで、適法配信を凌駕するような複製が行なわれていることは事実」と指摘。これらの複製行為がなければ、ユーザーの購買につながるかどうかは定かではないとしながらも、権利者に対価を支払わない“フリーライド”の典型であると述べ、「総合的に判断すれば、30条改正はやむを得ない」との考えを示した

「適法配信を凌駕するような複製」というのが、どこで、どれくらいの数、どれくらいの期間に渡って、どれくらいの質で、行われているのかとか、ツッコミたいところは他にもあるが、何よりも度し難いのは、「これらの複製行為がなければ、ユーザーの購買につながるかどうかは定かではない」にも拘らず、「やむを得ない」という結論に飛びついているところだ。これは全く科学的でない。合理的でない。

「やむを得ない」、つまり、ダウンロード違法化が適切だと根拠付ける定量的な調査・研究はあるのか? 「違法流通被害額」というのは、把握された流通数に単純に価格をかけただけのものだから、ユーザの購買ということを考えたら、数字としては無意味だ。以前、「のまネコ問題で考える二次創作の創造性」という記事を書いた時にも述べたけれど、適法かどうか怪しいコピーによってパブリシティが上がり、クリエイターもウホウホになるというケースは、『日本ブレイク工業』や、『涼宮ハルヒの憂鬱』など色々な例がある通り、決して特異点ではないのである。また、違法化することによって、5年先・10年先のコンテンツ市場がどう変わっていくのか、という視点もない。例えば、情報通信産業が萎縮することによるマイナス面を計量するためのモデル化も行われていない。

つまり、この文化庁の主張は、合理的に主張を展開する時の手続き、科学の手続きというものを全く踏んでいない、一方的で身勝手な暴論なのである。こういう非合理的な主張を、一般人の代表として選ばれる政治家ではなく、選りすぐりのエリートであるはずの官僚が行ってしまうということは、心底恐ろしい。だから文化庁の判断は、そういう意味でも批判しておかねばならない。直接面識がある人を名指しでここまで悪く言うのも初めてだが、まあ仕方ないよね川瀬さん。

って思ったんだが、例の「UFO信じます」発言の官房長官も通産省の出自じゃないか。オイ、日本の官僚しっかりしろ。

(63)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2007-12-20 03:43:19

『おしおき娘大全集』表紙とか描きました

『おしおき娘大全集』カット

アットプレスさんから絶賛発売中の『おしおき娘大全集』の表紙やナビゲーションキャラや挿絵など色々描きました。相変わらず服の袖は描いてないです。

キャラデザから入稿まで色々とギリギリな感じでした。紹介記事としては、アキバblogさんのとことかを見てください。ああ、俺の絵がポップになってるヽ(´∇`)ノ。

来月発行予定の猫娘本も、イラスト数枚描きました。そっちも袖描いてないです。


ギリギリのお知らせになりましたが、11月18日のコミティア出ます。な-05a『osakana.factory』です。

冬コミ、12月31日(月曜)のミ-41b、『osakana.factory』です。

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2007-11-17 17:22:05

MIAUはじめました

先日、MIAU(インターネット先進ユーザーの会)という団体を立ち上げた。詳細はサイトを見たり適当にぐぐってくれ。とりあえずは、ダウンロード違法化問題を取り扱っているけれど、個人的には、末端の絵師やら研究者やらの視点から色々言ってみたいつもり。

なぜ著作権なのかといえば、ネット上でコンテンツを扱う上で、著作権が凶悪極まりないツールになってしまっているからだ。著作権者は、自分の著作物がどのように扱われるかについて、好き勝手に決められる権利があることになっている。考えようによっては、これは全うな主張のようでもあり、しかしながら、とんでもないワガママでもある。

例えば、自分が買ったCDであっても、その音楽をCDプレーヤー以外で再生してはいかんし、ましてやてPCから携帯電話にコピーするなんて言語道断、携帯で聞きたければ別途金を払って買え、というような要求を出したりしたら、ワガママ極まりないと感じるのが自然な人情だ。しかしこれは適法な要求だ。

さらにタチが悪いのは、そういうワガママな人に結構権力がある場合、そういう人の意向に従って、コンテンツを再生する「機械」までが作り変えられてしまうという問題がある。現に、俺の携帯電話には、(色々とトリックを使わないと)音楽を移せないようになっていたりする。

もし、こういうワガママな人の声がでかくて、例えば「イヤフォンやヘッドフォンでCD聞くの禁止、必ずスピーカー使え」とか言い出したとしよう。そして、もしヘッドフォン端子の無いCDプレーヤーしか発売されなくなったとしよう。そうしたら、この世からは「ヘッドフォンで音楽を聴く自由」が、実質的に消えてしまうだろう。知識と技術があれば、ヘッドフォン端子を自分で作ることくらいできるけど、でも、ほとんどのユーザはヘッドフォンを使えなくなるだろう。そして10年経てば、それが当たり前の世の中になる。この世界では、携帯CDプレーヤーは絶対に発売されない。きっと、外で音楽を聞く文化も、カセットテープ以後は滅んでしまうかもしれない。iPodは誕生していないだろう。

何てバカな比喩を、と嘲うかもしれない。でも、ビデオデッキが生まれた時は本当に同じようなことが行われた。1976年、米国の映画会社ユニバーサル社は、家庭用ビデオデッキを作ったソニーを訴えた。8年くらいかかった裁判は、最終的には5対4の僅差で無事ソニーが勝って、ビデオデッキは違法な存在にならずに済んだ。だからみんな忘れている。でも、もしビデオが違法となっていたりしたら、家庭のテレビデッキで、映画を繰り返し見たりするような生活スタイルは、絶対に訪れなかっただろう。そして皮肉なことに、もしそうなっていたら、ユニバーサル社自身も傾いていた可能性がある。今日の映画産業は、その収入の半分以上を、あれほど嫌っていたビデオやDVDの販売に依存しているからだ(もちろん、1976年当時の家庭用ビデオソフトの売上は、ゼロだったわけだ)。斯様に、目先の金に目が眩んでしまうと、大企業の優秀な経営陣であっても、たかだか10年そこそこの未来すら見通すのは難しい。

著作権や、その他通信や表現に関する諸々の改悪をゴリ押ししていけば、日本のコンテンツ業界は泥舟に乗ったままゆっくり沈没し、恥ずかしげもなく“くーるナントカ”と称する国際競争力も無くしていくだろう。商業主義満開な大衆迎合で当たり障りの無い大作アニメが、巨大な大手プロダクションから年に数本送り出され、それらはガリガリに強化された著作権法の下で大金を稼ぐ。受け手は、おとなしく金払ってヒナのように口を開けて、偉大なコンテンツ製作会社様から作り出されるエサを待っている。そういうコンテンツ産業の形って、俺は嫌いなんだよね。

みゃうたん:MIAUイメージキャラクター

昨今の著作権法を強化しようとする動きは、そういう社会へ向かいたがってる人たちの意向だ。俺は、そういうところには組してないし、多分今後も組しないと思う。だから、俺は何かしてみたかったわけ。

で、MIAU の擬人化をやってみた。命名:みゃうたん。一応他の設立メンバーにもほどほど好評。なのでオフィシャルである。猫娘というか、まあ、ネコマタなんだこの子は。

さて、当然こういう何だか魔法少女っぽいキャラクターには、ツッコミ担当の小動物が要るわけです。猫キャラだから、ツッコミキャラはねずみをベースにすると好いかなぁ。じゃあ、こんなんどうだろう。

ミキまる

あれ? なんかヤバい気がするのは俺だけか? で、でも、もう『蒸気船ウィリー』は著作権切れてるし、大丈夫なはず……。あ、そうだ、色が黒いのがよくないんだ、そんな薄汚れた色はいけないな。『おねがいマイメロディ』のフラッ○君みたいに、青くすりゃいいんでね?

青いミキまる

む、なんか22世紀の未来から来た猫型ロボットに似てね? うーん。

とか考えているうちに、mhattaに“ミキまる”と命名された。なので、色はともかくも、その方向性で行ってみよう。

みきまる各色

各色ご用意してみたので、みんなヤバくなさそうな色をはてなやウェブ拍手経由で教えてくだされ!

ま、まあ、そんな感じで、MIAUでも、なんかこういうキャラ使って遊んでも行きたいなと思っています。無闇に堅苦しいのは嫌いだからね。

(158)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

パンツを白く塗った後

ベッキーの髪の陰は何故ピンクなのかに引き続いた色モノのエントリーで、はてなの方やウェブ拍手経由で、色々なリアクションをいただきました。

色々と派閥が出来ていたので、それぞれにお返事します。

  • 納得派(の一部)
    なるほど、勉強になりました。 パンツの色が完全な灰色でも、文脈によって暗くなっている白だ、と認識できているんですね。 とてもわかりやすかったです、すばらしい!
    目の錯覚ってすごいっす

    その他、多数いただきました。ありがとうございます。

    とても人前では力説できないようなことを真剣に議論していて感動しました!
    ネタがパンツだというだけで「未成年に見せるべきではない」と隠蔽したがるような人たちが大嫌いなので、今後もそれなりに書きたいなぁと思います。

    パンツが見えることに性的な感情を抱くことってのは、とても文化的で近代的な現象です。だって、あれタダの布じゃん。人間が野生であった時は、パンツに欲情することなんてありえなかった。パンツがエロいのは、パンツをはくようになって、隠すことをよしとしたからなわけです。

    下着の露出をセクシュアルと看做す価値観自体は、文化として大事だと思うんだけど、セクシュアルなものを語る場から完全に未成年を排除したりするのは、反対。

    ('△' 凄く参考になったス。美術の教科書じゃ頭に入らなかったけど、パンツは頭に入った。

    教科書ってつまらない書き方をするよね。

    わかりやすい。色の認識もそうなのか。記憶や認識は色に限らずこういう原則が働いているっぽいんだけど、どうしてこういう認識をするのか理由を知りたい

    俺は認知科学の専門家ではないけれど、こういう認識のトリックの原因は、圧縮だと思う。おそらく脳での処理の高速化のため、適宜情報の圧縮が行われているからじゃなかろうか。そもそもコトバは、莫大な情報量を持つ「現象」を抽象化し圧縮するツールだからね。

    今度のパンツ学会で発表してください

    渡航費くれたら行きます! わーい国際学会発表だ、よーしパパ博論審査会で自慢しちゃうぞ。

  • 白パンツ派
    わかった。パンツは白で塗る。
    白ぱんつばんじゃーい
    洗・脳・完・了
  • 縞パン派
    しろいぱんつには同意しますが、しまぱんにも理解あってしかるべし。
    俺の中ではパンツはいつも縞ですよ!
    俺、縞も好きですから大丈夫です(何が)。
  • 情報提供派
    (Amazonで)商品が消えてるのは、これのせいじゃないですかね

    http://aws.typepad.com/marketplace_jp/2007/08/dvdu-15dvd.html

    おお、これは貴重な情報をありがとうございます。具体的に圧力があったというよりは、児童ポルノと看做されることを恐れてのAmazonの自粛ですね。ということは今後画像が消えてしまう可能性もあるのでしょう。

    北岡明佳の錯視のページ http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ などもすきです

    うん、こちらも有名ですね。

  • 懐疑派
    ある意味当然ともいえるノースリーブ化よりもむしろ、オーバーニー化した事の方が気にかかります。
    しまった、ニーソの理由は何も考えてなかった。うーん何でなんだろう。これはもしかしたら、リアルと二次元とのスカート丈の違いが問題かもしれない。新しい問題提起をありがとうございます。

    同じ思考の結果、#FFFFFFを一切使わなくても白と認識されるという結論に達したんだけどなあおれの場合。 原田たけひと氏がかつて「10歳のころ、木の幹が茶色でないことに気づいた」と仰っていたのを思い出した
    そうですね、それが普通の絵画的なアプローチでの結論です。原田さんもそういう方向へ行ってみたりしてたし、彼が『水月』の塗りで示した功績とかはとても大きいと思う。で、それはそれ、です。あの記事は、白で塗るという記号的な色彩デフォルメの、合理的な根拠を探してみたものです。

    青空が灰色に写るのは多くがホワイトバランスの問題で認知の問題じゃないはずだけど、それはそれとしてパンツを白く塗らなければならない理由には非常に納得がいった。

    む、人間の目が勝手にホワイトバランス調整してるってことでひとつお許しを。

  • アカ
    パンツは白く塗れ!ゼロ戦は赤く塗れ!ストーンズは黒く塗れ!
    関係ないけれど、海洋堂の社長さんは気に入ったものは赤く塗れといった
    「ゴジラは赤く塗れ!」って、誰も知らないんじゃないかと思ってたのに意外に反応が多かったのは、ハヤテがネタにしてたからなのですかね。
  • 全般的なリアクション
    色んな意味で相変わらずで安心したのは俺だけなのか。
    んなまるで人が10年前からパンツパンツ言ってたかのようなことを。それはそれで事実だけど。
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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2007-10-18 01:26:33
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