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パンツは白で塗れ

俺が描いているような絵では、印象派に代表されるような芸術的な絵画の手法では考えられないような、誇張した塗りを行わないと、かえって不自然になるという事例が存在する。

とりあえず、この写真を見てもらおう。念のため、この写真は18禁ではない。一応、全年齢閲覧可能なパンチラ画像である。正直なところ、こういう画像をAmazonで探してくるのがこのエントリの苦労の大半だったのだが、まあそれはおいておこう。

倉田みな DVD moecco vol.05 『はじめてのSexy』

しかし、このエントリを書こうとしたときには、この商品ちゃんとAmazonに存在していたのに、今は商品情報が消されてしまっている。画像が残ってるのに商品DBから存在が消えてしまうというのは、びっくりだ。どっかのPTAに児童ポルノと看做されたのだろうか。まあ無理も無いが。

話を戻そう。ここからは純粋に作画技術的な話だ。とりあえず、でかい画像でパンツの色を眺めてくれ。この写真の女の子パンツは何色だろうか。こう尋ねたら、100%の人間が「白」と答えるだろう。だが、実際にパンツの部分の色を調べてみると、白ではない。実際のパンツの色は、一番明るい部分でも ■ #ac7056 という茶色、暗い部分ならば、 ■ #623629 というような黒に近いこげ茶色なのである。この色だけを見たら、白だと主張する人間はいまい。グレースケールにしてみると、一番明るい部分でも、黒50%を超えるグレーであることが分かる。かなり暗い色だ。つまりこのパンツ部分は、どちらかといえば白より黒に近いのである。なぜこんなこげ茶が白に見えるのだろうか。

これを説明する手がかりは、写真の世界で「記憶色」や「期待色」と呼ばれる現象にある。パンツの物理的な色は、光や陰によってさまざまに変化し、単純な白になることは現実の世界では絶対にありえない。しかしながら、我々は経験的に「パンツは白いものだ」と記憶し、写真でもそういう色であることを期待してしまっている。

このように、写真の実際の被写体の色と、我々が脳内で想定している色とでは、齟齬をきたすことがある。例えば、綺麗な青空を撮ったはずなのに、後で見返してみるとよどんだ灰色に写っていたり、色白美人を撮ったはずなのに土気色で汚らしい肌であったりするという現象だ。そのため、写真では「レタッチ」を行って、「欲しい色」へ近づける作業が必要になる。テレビに出るタレントがドーランを塗りたくるのも、これと同じ理由による。

参考:
記憶色、期待色の表現が印刷のクオリティを決める
http://ave-a.com/web/page/digital2.html

上記のパンツ写真の場合、人間が不自然に感じるほど暗い色にはなっていないので、我々は脳内の記憶どおり、パンツの色を即座に「白」だと指摘することができる。でも、その「白」は、物理的な色とは異なっているのである。このパンツ写真は、パンツの部分を白くレタッチした方が脳内で想像している発色に近いことになる。

人間の思い込みによる色の錯覚を分かりやすく示す有名な例として、MIT の Edward Adelson によるチェッカーボードの錯視がある。

Grey square optical illusion by Edward Adelson

図が示すとおり、Aで示されるグレーとBで示されるグレーは、物理的には同じ色であるにもかかわらず、左の図ではどう見てもBの方がAよりずっと明るく見える。彼が挙げているこの錯視の理由2点をまとめると、以下のようになる。

  • 濃い色と薄い色が繰り返すチェック柄という「文脈」によって、AよりBが明るいと思い込んでしまう
  • フチのぼんやりした陰のような、緩やかな明るさの変化は無視してしまう

我々は、正確に眼前の色そのものを、絶対値として見ているわけではない。被写体となっている色がどういう意味を持つのかという「文脈」を考慮して、その物体の模範的な色を勝手に脳内で当てはめている。人間は、色を見るのではなく、意味を見ていると考えられる。

写真やイラストは、現実の世界より抽象性が高い。写真が抽象的だ、という考え方に疑問を持つかもしれないが、カメラは世界の全てでも視界の全てでもなく、限定的な3次元の空間を2次元に透視した小さな図を見せてくれるに過ぎない。現実世界の情報量とは比較にならない。絵は、言うまでも無いだろう。

そうした「情報量を減らしている表現」においては、その情報を受け取る人間に、伝えたい情報をあらかじめ強調しておくことで、受け手に情報を伝達しやすくする必要がある。こうした強調が、写真では「レタッチ」、絵では「デフォルメ」と呼ばれる。

では、先ほどの写真を、萌え絵にしてみよう。もしゃもしゃしてやった。今は後悔してない。

もしゃもしゃしてやった!

模写とはいえ、実は俺は今年まだノースリーブ以外の服を描いてなくて、こんなところでソデを描くのも癪だから、ノースリーブセーラー服に魔改造してみた。まあそれはいいや。

この絵におけるパンツの明るい部分は本当の「白」、16進数で言えば #ffffff である。これがもし写真と同じような暗さの色だったりしたら、この絵はパンツ絵としては成立しない。試してみよう。

moeccoreprogrey

パンツを写真と同じ程度の暗さ(50%グレー)程度にしてみると、これが白のパンツには絶対に見えないことが分かる。もはや黒パンツであろう。しかしながら、先ほどのチェッカーボードの事例で考えてみれば、単にグレーだからグレーのパンツに見えるのではなく、周囲との文脈によってそう見えているのだと考えられる。つまりこれは、周囲の明るい肌の色とのギャップが際立っているからグレーに見えるのである。肌色をこのパンツより暗い色にすれば、この色でもパンツは白く見えるだろう。

実際、写真におけるパンツ周辺の肌は、■ #2b0500 というような、かなり黒い色だ。この色との対比によって、写真のパンツは白く見えているのだ。一方、絵の方は、陰の部分でも ■ #f6c6ac  という明るい色で塗られている。だから、同じ明るさのグレーでも白には見えない。

では、絵でも肌を暗く塗れば好いのだろうか。だが、我々の「綺麗な肌の色」を好ましいと感じる感覚というのは、ほとんど絶対的に動かしにくい認識なのだ。ファンデーションやドーランやフェイスライトという存在は全て、脳内で想定される理想の肌色に近づけるための努力の結晶である。他と比べて明るく、色にムラの無いことが綺麗な肌の条件である。背景などを持たない人物単体のイラストレーションカットにおいて、暗い色で肌を塗ったり、陰の部分をうんと暗くしたりするのは、少々無謀である。綺麗に見せ辛いからだ。受け手にストレートに情報を与えるための「デフォルメ」という視点から考えても、肌は明るい色で塗った方が良い。

また、写真を見ると分かるように、肌の陰部分は緩やかに暗くなっていく。これは、人間の体にはキツい鋭角が存在しないからだ。チェッカーボードの錯視がおきる理由で述べたように、緩やかに変化する明るさは、人間は無視してしまう。だから、肌の暗めの陰色の部分は、無視してもかまわないのである。

以上のような理由から、萌え絵の肌は基本的に明るい色で塗られるので、必然的に、パンツも白で塗るしかないのだ。

パンツは自身で発光する

その昔、アリンコが描いたこの4コマの通りの会話を交わしたことがあるが、これは決して誇張ではない。パンツが白いのは萌え絵の文脈において正しい。

(745)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2011-03-09 02:53:19

C72は19日・リ28bで、またロリワキ本

長らくのご無沙汰でございました。いろいろなことが無かったり無かったりしました。無いのかよ。いや、少しだけ商業仕事もした&するよ。おいおいお知らせ。

lmn02カバー

一応、夏の定番コミックマーケット72に行きます。日曜日 東“リ 28b”で、また『アリンコ』と癒着してます。でもコゴローは苦手です。

『Little Moon Night』のVol.2が出ます。ファッション誌というか通販カタログ風の体裁でありながら、内実ただのロリワキフェチ本。前回よりエロいので18禁です。ファッション誌風の癖に、はいてなかったり、はいてなかったりします。

同人誌の通販については、そのうちお知らせ。

(69)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2007-08-06 08:51:19

ワキワキサマーデイズ

ワキワキサマーデイズ

『Little Moon Night Vol.2』表紙のリメイク版。

某レーシングチームのキャンギャル衣装風のノースリーブセーラー服で、小学生チアガールズ。とても南国風味。

そういえば、背景の椰子の木を描いていて、「葉っぱは、髪の毛と同じ描き方でイケる」ということに気づいたよ、パパン。

(63)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

コミティア80(05/05)は『う03a』

コミティア80では、小学生ワキフェチ本『Little Moon Night Vol.1』の生データ集を、少しだけ用意します。ファッション系の通販カタログ誌っぽい編集を施した本誌の版下と、各イラストのPSDとか。

ロリワキ・通学路

(133)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

Comic1(04/30)は『し20a』でロリワキ本

Comic1に参加します。アリンコもクルヨ。

新刊『Little Moon Night Vol.1』は、ファッション誌のような通販カタログのような体裁のロリワキフェチ本。

lmn01カバー

(64)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

ロリワキ全開!

ロリワキ全開!

ロリワキ、ツルワキ本、『Little Moon Night Vol.01』の裏表紙イラストに背景を描いてみた。

(75)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20

オタクからコメさんへのお返事

すごく長文の拍手を頂戴した。

記事、ぱら読みではありますが、面白かったです。

ヲタクってすごいんだなーと思いました。楽な方に流れようとする人は、支配される体制を好んだり、傍受するだけの情報を好んだりするけど、ヲタクはわざわざ楽な流れに抗って、自由を求めたり、自分の頭で考えようとするのだな、と。

……もちろん、私の考え方も曲解している恐れを孕んでいて今コメントを送っているのがとてつもなく怖いのですが。

私は、ヲタクの事をとても格好悪い(というより気持ち悪い)と思っています。

「美少女萌えー」と言っている人間全てが、ペドフィリアで、性的な暴行を少女に加えるとは思ってませんし、第二次成長を迎えた10歳頃の女の子に性的な欲求を感じるのは生産的なのでまだアリだと思うのです(……肯定は絶対に出来ませんけど)。それよりもよっぽど「社会の中でまっとうに生きてます」という顔をしながら、電車内で痴漢行為を働く人間の方がよほど許し難い。

あれ、論題がずれた。えーと、そんな気持ち悪いヲタクのスタイルを好んで貫くスタイルに感銘に似た畏怖を抱きました。自分の頭で考える事の難しさと大事さを学んだ気がします。

考えさせてくれる記事を提供して頂き、こんな支離滅裂で長い文を読んで頂き、どうもありがとうございました。

「彼だか彼女だか分からないコメントをくれた誰か」だと呼びにくいので、コメさんと呼ぼう。コメさんの意見には色々と考えさせられることが多かった。あの小さい入力欄に長文を入力する気になってくれたコメさんに敬意を表し、丁寧にお返事しようと思う。

「オタクは気持ち悪いが俺の存在は許してやっても良い」というのがコメさんの趣旨だと思う。俺が評価された理由は何だろう。

まず可能性の1つとして、所属する学術機関の力が有効に機能したことは考えられる。ある程度のキチガイがフィルタリングされていると想像することは容易だ。でもそれだけでは、蓋然的にキチガイじゃなさそうだというだけだ。

次に「自分の頭で考えていそう」というところが評価されているようにも思われる。でも自分の頭で考えるってのはどういうことだろう。誰だって自分の頭で考えているはずだ。欲望に身を任せている人だって、その行動は、その人の持つ脳による情報処理の結果だろう。

あるいは、ほぼ実名でこういうサイトをやっている傾きっぷりというか、露悪趣味というか、そういうところがコメさんにウケたのだろうか。

それとも、幼女の絵をほぼ本名で描いているような人間は、「自分が社会にとって危険であると表明している人」であって、それは「危険性を隠している人」よりはマシということだろうか。

一応、女の子の絵を描くのが好きだと表明した俺を、面と向かって幼女連続強姦魔か何かのように捉えた人間は、今のところいない。学者、官僚、主婦、無職、幼稚園児の娘を持つ母親など、色々な人に伝えてきたが、直接悪くは言わなかった。みんな常識人だったから、流石に本人の前では悪く言わないよね。一応俺は1年くらい絵の仕事だけで食べてた時期もある人間なわけだし。ただ、こういう絵を描く人間を世間一般がどう評価しているのかについて、俺は無知ではないつもりだ。

世間のオタクへの風当たりは、別に和らいでいるとは思わない。「オタク」という語は、80年代に中森明夫が使い出した時から現在に至るまで、「気持ち悪いヤツら」に対する罵声、そしてそう罵られるヤツらの自嘲の言葉だったんだから。

つまり、こういうことだろう。特定の個人(この場合俺)が、分かりやすく己の脳内を語れるのであれば、コメさんをはじめとし、多くの人も理解できる。ただ、似たような行動を取る人間が大勢いて、そいつらを集団としてみた場合は、理解がグンと難しくなる。その中には、エリート官僚もいれば、性犯罪者もいるだろう。一言で集団を理解できるわけが無い。だが、その有象無象にレッテルを貼ってまとめてしまおうとするのが、情報処理能力に上限がある故の、人間の必然的な行動パターンだ。そしてそういう単純な記号化が、オタク=ペドフィリアのような、明らかに間違っているレッテルを貼り、そういう分かりやすい言説がマスメディアを闊歩する。

オタクなら、こういう分かりやすいレッテル貼りに怨嗟の声を上げたくなるだろうけど、自分だって、他人にはそういうレッテルを貼っているはずだから、オタクを気持ち悪がっていたコメさんを容易くは非難できない。「政治家」は、「金と権力が好きで汚職ばっかやってそう」だろう?

俺はオタクの代表ではない。でも、俺は世間に「オタク」というレッテルを貼られる存在だと思う。もし俺の存在によって、コメさんが多少なりとも「オタク」を肯定的に評価してくれたのだとしたら、オタク達にとって大事なのは、「まともそうなオタクもいる」、「面白いオタクもいる」というように、自分を肯定的に評価してくれる知己を増やすのが大事、ということなんだと思う。

それが何によってなされるのかは、よく分からん。とりあえず 電車男 みたいなのは止めて欲しい。

さてさて。

その他のコメント幾つかにも、お返事。今のペースだと返信は月に1度くらいになるなぁ。

  • 2007年あけましておめでたかった

    この子、しっぽがあるのに耳はない!(ツイテはあるけど) は!これがもしかして噂のトリプルテールって奴ですか!?

    おおなるほど、俺の好みはトリプルテールだったのか! 新ジャンルですな。所詮ただのネコミミなんぞシングルテール。猫又なら 2 + 2 でクアドロテールに、そして九尾の狐ならウンデキャプルテールか!

    邪道こそ正義!

    何気ない一言かもしれんが、歴史的にはすごく真理を突いたテーゼかもしれん。奥が深い。

  • オーマイニュースで分かったこと
    「本多勝一」ですよー

    む、鋭い指摘。誤字ってました。

  • 『ねこだもの』ポスター
    握手するの忘れてました。。。

    いつでもどうぞ。

    そういえばこの前、本郷から水道橋の辺りを自転車で走っている時にふと街頭スクリーンに目をやったら、「東京ドームシティーでボクと握手!」と言ってました。「後楽園遊園地でボクと握手」というフレーズに耳馴染んだ世代としては一抹の寂しさがあります。

  • クリスマス限定ワキワキ
    くりすますbqあ@じょんかわゆす!

    まあもちつけ、このワキフェチが。

(79)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2007-02-12 22:27:50

2007年あけましておめでたかった

2007年、あけましておめでたかったブヒ

ワキ巫女とセーラー服の新たなマッチングを探索してこうなりました。マニヤに殴られそうな、びっみょーな薄さの巫女テイスト含有。

というわけで今年もよろしくお願いいたします。

(137)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:21

オーマイニュースで分かったこと

オーマイニュースの鳥越氏にインタビューしている元旦のJ-CASTの記事を堪能させてもらった。

ネットユーザーはいろいろ情報発信を始めたわけだよね。で、メディア批判も盛んになって(笑い)、僕はね、ネットユーザーがメディア批判だけではなくて、一市民として持っている情報をね、有効に働かせることができないかと前から思っていたんですよ

以前にも彼は、「人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない」と2ちゃんねるを評したり、ブログについては、「内容は他愛もないことが多く、社会が変わるような発言は少ない」などと述べるなど、ITmediaのインタビューで祭のネタを提供している。

どうも、散々叩かれたにもかかわらず、未だにオーマイニュースの人間は、自社のウェブサイト(自称“市民メディア”とやら)を、2ちゃんねるやブログなどの代替手段であるかのように捉えているらしい。恐ろしい勘違いだ。治せるものなら、早くその「死に至る病」は治したほうが良いだろう。もし意図的にやっているのなら、詭弁も甚だしい。

まず、全てのコンテンツは、必ず何らかの意図を持って編集され、受け手に届けられてている、ということを確認しなければならない。泣ける映画は観客を泣かせるために作られているし、エロマンガはオナニーさせるために作られている。単純な事実や感情を伝達する普段の会話だって、話者の意図によって表現は大きく変わるのだ。

例えば、とある有名ラーメン店へ行った友人に「あのラーメン屋の味はどうだった?」と尋ねた時のことを想像してみよう。「まあおいしいけど、店がすげー汚かった」という答えが返ってきた場合と、「店は綺麗じゃないけど、結構おいしかった」と返ってきた場合とを、比較してみて欲しい。同じ事実を描写しているはずなのに、受ける印象は全く違うだろう。前者では「じゃあ俺も行こう」とは言い辛いが、後者なら「じゃあ今度また行こう」と言いたくなる。これは、いわば“言霊”の力だ。

オーマイニュース内部の佐々木氏だって、同様の指摘をしている

客観報道の体裁を一見とりながらも、首相の靖国参拝に好意的な言葉を語る市民に対しては、「持論を展開し始めた」「ニヤリと笑う」「まくし立てた」という表現を使い、一方で批判的な市民については「静かに語る」「静かにそう語った」「言葉を継ぐ」といった言葉遣いをしている。
前半に参拝賛同意見を載せ、後半で反対意見を畳みかけるようにつなぐその原稿構成を見れば、中台記者がどのような立ち位置で記事を書いているのかは明確だ。

完璧に中立の記事などというものは、存在しえない。これは、極左としても有名な本多勝一氏の持論でもある。そして周知の事実だが、オーマイニュースは、左寄りとされる視点を持っていると思われる。

何らかの意図を伝達しようとするメディア、すなわちオーマイニュースの「成功」とは、どういう状態を意味するのだろうか。意図を伝達しようとするメディアの目的は、当然、その意図の伝播以外には、あり得ない。それはつまり、プロパガンダの成功と同義であり、すなわち、何らかの意図を持つ集団の発言力が大きくなることを意味している。これは2ちゃんねらーが看破する通りだ。

そうしたメディアが、韓国で成功できたのは、政府や財閥の息がかかったマスメディア以外が存在せず、それらに対抗し得るメディア、カウンターメディアが存在しなかったからだろう。オーマイニュースのポジションは、既存のマスメディアに対して、カウンターパンチを当てるためのメディアであったと考えられる。

別の見方をすれば、既存のマスメディアに大きな影響力があり、そしてカウンターメディアが存在しない場合においてのみ、インターネット上でのカウンターメディア、プロパガンダたるメディアの価値は高まるのである。だから、韓国でオーマイニュースは大事な存在なのであろう。それはそれで良いことだ。

日本の事情を考えてみよう。

まず、2ちゃんねらーにとって、マスメディアの言論の価値などとっくに地に落ちている。日本のマスメディアの価値は、既に完璧に解体されている。マスメディアが、何らかの意思を国民全体へ浸透させようとするパイプであることくらい、とっくに看破されている。だから2ちゃんねらーはマスメディアから、自分達にとっての適切な言論、すなわち、適当な祭のネタを選び取るだけだ。2ちゃんねらーにとって、ある意見を通そうとするメディアを叩くための別のメディアという存在には、失言を探すためのネタとなる以外に存在の価値が、ない。

そして、日本の書籍や雑誌の出版点数はべらぼうであるし、自費出版なりウェブなり同人誌なり、個人でも言論を発表する場は多数存在するし、そうした言論の自由については、憲法で明確に保証され、(重要なことだが)実際にそのとおり運用されている。中小のメディアは十分発達しており、カウンターパンチを当てるメディアなら、十分に存在するといえる。

今更、新聞・テレビといったマスメディアに対抗するプロパガンダを唱える別種のマスメディアは、特に存在する必要が無いと考えられる。

オーマイニュースがあるプロパガンダへのカウンターパンチであるのならば、それは所詮、何らかの価値観を周知するために企業がインターネットを利用するというタイプの行動パターンであり、つまり、古いメディアが新しい衣をまとおうとしているだけだ。だから、2ちゃんねらーには、ゴミ以外の何物にも見えない。

2ちゃんねるとは、どんなむちゃくちゃな言論でも拒まず公開し続けるというだけの、ツールの集合体だ。一方のオーマイニュースは、編集というフィルタを通した言説のみを公開する。両者はそもそも、同列に対照しえる概念ではない。一方はアーキテクチャであり、一方はコンテンツだ。

2ちゃんねるとmixiなら、同列に対照し得る。実名に近い(ということになっている)アカウントで、ある程度狭い範囲の人間にのみ意見を公開するツールと、ほぼ匿名(ということになっている)状態で、全世界に向けて何でも言えてしまうツールとの対立、すなわち、仕組みの違い、アーキテクチャの違い、設計の違い、デザインの違い、だ。

同様に、例えばオーマイニュースと産経新聞なら、対照できるだろう。この対立とはつまり、編集者の価値観によってくみ上げられる言説同士、コンテンツ同士の戦いなのだから、つまりは政治姿勢の戦いである。

2ちゃんねるやmixiが提案しているのは一種のインフラでありアーキテクチャである。しかし、オーマイニュースや朝日や産経が提供しているのは、コンテンツであり価値観である。2ちゃんねるとオーマイニュースでは、全くレイヤーが違う。ブログだって、2ちゃんねるやmixi同様、基本的にはアーキテクチャだ。ブログという仕組みでどういう意見が出てくるのか、それが「市民」とやらにとって都合がいいのか悪いのかについて、ブログという“仕組みそのもの”は、一切斟酌しない。

2ちゃんねるやブログには、ある一定の政治姿勢や価値観を出し続けるような仕組みは(商業上の理由によってある程度コントロールされ得るが、一応)ない。右翼的言説が多いのは、そういう発言を多くするためのツールがあるわけでも、編集者が記事を選んでいるわけでもない。そう発言する人が純粋に多いというだけだ。知識人がやるべきことは、「最近は右翼的な若者が多いですね、わはー」と知的障害を起こすことじゃなく、「モダンな価値観が揺らぐとされる現代においても、何故右翼的な言説は人を魅惑するのか」といった視座から熟慮することだ。

一方のオーマイニュースで左翼的な言説が多かったり、産経新聞が右翼的であったりするのは、純粋にそういう記事を書いたり選んだりするからだ。そういうものしか載らない仕組みになっている。

2ちゃんねるとオーマイニュースの違いとは、本質的にはレイヤの違いである。片方は「プロパガンダをも生成できる自由なシステム」であり、片方は「プロパガンダそのもの」だ。俺は2ちゃんねるを全面肯定するつもりはないが、2ちゃんねるを否定する人達は、こういうレイヤの違いを、「匿名性」などといった言葉で歪曲化し、自らのプロパガンダのために、匿名記事が問題であるかのように話をすり替える。そういうのは大変よろしくない。そして、こういうレイヤ(階層)という発想は、情報通信技術の理解を前提とするから、鳥越氏などは、おそらく自分たちの論理の歪曲化自体に、そもそも気づいていないだろう。そういう、知識人を気取って自らの怠惰を誤魔化そうとする姿勢が、俺は嫌いだ。

(125)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2007-01-05 19:06:56

『ねこだもの』ポスター

『ねこだもの』ポスター:それが獣くおりちー

それでは明日、こういうノボリ風の、縦になっっっっがいポスターがあるだろうト-56aで、ボクと握手。

(101)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-12-30 21:23:49
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