ぎりぎりのお知らせですが、明日のコミティアに出ます。新刊あります、ペラいけど。
でも雪降ってるし人こないだろうなぁ…。
新刊『Little Moon Night Vol. 3.5』のトビラ絵。ボーイッシュじゃなくて、なんと10年ぶりくらいにショタ本でございます。ショタワキ本。
著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:20
俺が描いているような絵では、印象派に代表されるような芸術的な絵画の手法では考えられないような、誇張した塗りを行わないと、かえって不自然になるという事例が存在する。
とりあえず、この写真を見てもらおう。念のため、この写真は18禁ではない。一応、全年齢閲覧可能なパンチラ画像である。正直なところ、こういう画像をAmazonで探してくるのがこのエントリの苦労の大半だったのだが、まあそれはおいておこう。
しかし、このエントリを書こうとしたときには、この商品ちゃんとAmazonに存在していたのに、今は商品情報が消されてしまっている。画像が残ってるのに商品DBから存在が消えてしまうというのは、びっくりだ。どっかのPTAに児童ポルノと看做されたのだろうか。まあ無理も無いが。
話を戻そう。ここからは純粋に作画技術的な話だ。とりあえず、でかい画像でパンツの色を眺めてくれ。この写真の女の子パンツは何色だろうか。こう尋ねたら、100%の人間が「白」と答えるだろう。だが、実際にパンツの部分の色を調べてみると、白ではない。実際のパンツの色は、一番明るい部分でも ■ #ac7056 という茶色、暗い部分ならば、 ■ #623629 というような黒に近いこげ茶色なのである。この色だけを見たら、白だと主張する人間はいまい。グレースケールにしてみると、一番明るい部分でも、黒50%を超えるグレーであることが分かる。かなり暗い色だ。つまりこのパンツ部分は、どちらかといえば白より黒に近いのである。なぜこんなこげ茶が白に見えるのだろうか。
これを説明する手がかりは、写真の世界で「記憶色」や「期待色」と呼ばれる現象にある。パンツの物理的な色は、光や陰によってさまざまに変化し、単純な白になることは現実の世界では絶対にありえない。しかしながら、我々は経験的に「パンツは白いものだ」と記憶し、写真でもそういう色であることを期待してしまっている。
このように、写真の実際の被写体の色と、我々が脳内で想定している色とでは、齟齬をきたすことがある。例えば、綺麗な青空を撮ったはずなのに、後で見返してみるとよどんだ灰色に写っていたり、色白美人を撮ったはずなのに土気色で汚らしい肌であったりするという現象だ。そのため、写真では「レタッチ」を行って、「欲しい色」へ近づける作業が必要になる。テレビに出るタレントがドーランを塗りたくるのも、これと同じ理由による。
上記のパンツ写真の場合、人間が不自然に感じるほど暗い色にはなっていないので、我々は脳内の記憶どおり、パンツの色を即座に「白」だと指摘することができる。でも、その「白」は、物理的な色とは異なっているのである。このパンツ写真は、パンツの部分を白くレタッチした方が脳内で想像している発色に近いことになる。
人間の思い込みによる色の錯覚を分かりやすく示す有名な例として、MIT の Edward Adelson によるチェッカーボードの錯視がある。
図が示すとおり、Aで示されるグレーとBで示されるグレーは、物理的には同じ色であるにもかかわらず、左の図ではどう見てもBの方がAよりずっと明るく見える。彼が挙げているこの錯視の理由2点をまとめると、以下のようになる。
我々は、正確に眼前の色そのものを、絶対値として見ているわけではない。被写体となっている色がどういう意味を持つのかという「文脈」を考慮して、その物体の模範的な色を勝手に脳内で当てはめている。人間は、色を見るのではなく、意味を見ていると考えられる。
写真やイラストは、現実の世界より抽象性が高い。写真が抽象的だ、という考え方に疑問を持つかもしれないが、カメラは世界の全てでも視界の全てでもなく、限定的な3次元の空間を2次元に透視した小さな図を見せてくれるに過ぎない。現実世界の情報量とは比較にならない。絵は、言うまでも無いだろう。
そうした「情報量を減らしている表現」においては、その情報を受け取る人間に、伝えたい情報をあらかじめ強調しておくことで、受け手に情報を伝達しやすくする必要がある。こうした強調が、写真では「レタッチ」、絵では「デフォルメ」と呼ばれる。
では、先ほどの写真を、萌え絵にしてみよう。もしゃもしゃしてやった。今は後悔してない。
模写とはいえ、実は俺は今年まだノースリーブ以外の服を描いてなくて、こんなところでソデを描くのも癪だから、ノースリーブセーラー服に魔改造してみた。まあそれはいいや。
この絵におけるパンツの明るい部分は本当の「白」、16進数で言えば #ffffff である。これがもし写真と同じような暗さの色だったりしたら、この絵はパンツ絵としては成立しない。試してみよう。
パンツを写真と同じ程度の暗さ(50%グレー)程度にしてみると、これが白のパンツには絶対に見えないことが分かる。もはや黒パンツであろう。しかしながら、先ほどのチェッカーボードの事例で考えてみれば、単にグレーだからグレーのパンツに見えるのではなく、周囲との文脈によってそう見えているのだと考えられる。つまりこれは、周囲の明るい肌の色とのギャップが際立っているからグレーに見えるのである。肌色をこのパンツより暗い色にすれば、この色でもパンツは白く見えるだろう。
実際、写真におけるパンツ周辺の肌は、■ #2b0500 というような、かなり黒い色だ。この色との対比によって、写真のパンツは白く見えているのだ。一方、絵の方は、陰の部分でも ■ #f6c6ac という明るい色で塗られている。だから、同じ明るさのグレーでも白には見えない。
では、絵でも肌を暗く塗れば好いのだろうか。だが、我々の「綺麗な肌の色」を好ましいと感じる感覚というのは、ほとんど絶対的に動かしにくい認識なのだ。ファンデーションやドーランやフェイスライトという存在は全て、脳内で想定される理想の肌色に近づけるための努力の結晶である。他と比べて明るく、色にムラの無いことが綺麗な肌の条件である。背景などを持たない人物単体のイラストレーションカットにおいて、暗い色で肌を塗ったり、陰の部分をうんと暗くしたりするのは、少々無謀である。綺麗に見せ辛いからだ。受け手にストレートに情報を与えるための「デフォルメ」という視点から考えても、肌は明るい色で塗った方が良い。
また、写真を見ると分かるように、肌の陰部分は緩やかに暗くなっていく。これは、人間の体にはキツい鋭角が存在しないからだ。チェッカーボードの錯視がおきる理由で述べたように、緩やかに変化する明るさは、人間は無視してしまう。だから、肌の暗めの陰色の部分は、無視してもかまわないのである。
以上のような理由から、萌え絵の肌は基本的に明るい色で塗られるので、必然的に、パンツも白で塗るしかないのだ。
その昔、アリンコが描いたこの4コマの通りの会話を交わしたことがあるが、これは決して誇張ではない。パンツが白いのは萌え絵の文脈において正しい。
パンツスキー博士!! 左側のウサギ耳の子、多分パンツはいてないです!!
『やっぱりパンツが好き』の表紙・ジャケット。オリジナルの縦横比は 4 : 3 ではなく、37 : 25 だったので適宜引き延ばし。今更ながら、マンホールの存在が謎です。多分、描けて嬉しかったのかと。