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カスウェア

UNIX 系 OS だとすぐ実現できることだけど Windows でやろうとするとちょっと困るなんていう、あまり多くの人と共有できなそうな俺の単純な悩みに、Windows では time() 関数(システムコール)の戻り値である UNIX 時間(UNIX epoch、1970年 1月 1 日 からの通算秒数)をお手軽に得られないというのがあった。

というわけで、5 行で書けるプログラム unixtime.exe を一応公開しておく。Windows でコンパイルする環境作ったり cygwin 入れるのがダリーけど time( ) 関数の値を標準出力に出すだけのプログラムを Win32 環境で欲しがるという、ほとんど誰とも共有出来無そうな要望を持っている誰かへ。

よし、とりあえず Google で引っかかりそうな言葉は散りばめた!(w ちなみに秀丸エディタのマクロから利用する場合は、実行結果をテンポラリファイルにリダイレクトして insertfile するというのが無難と思われ。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-10-15 10:39:43

XML て胸キュン?

日記のデータを、腐れ独自テキスト形式から、やや真っ当な XML にしてみようと決心してみた。単に、日記に見出しを付けてみたかっただけなような気もする。

XMLで日本語扱うとなると UTF-8 しか選択肢ないノカー。格納ファイルサイズ 3/2 倍になるやんけー、って、どうでもいいかそんなのは。普段使ってるエディタやビューワがまともに UTF-8 に対応してないってのが最大の問題だな。さらりと変えてみるつもりで、幾つか弱めの障害にぶち当たる。

  1. この腐れ emacs(暴言)めっ! set-buffer-file-coding-system で UTF-8 に変えられてるのに、何故保存すると勝手に iso-2022-jp になるのじゃ!
  2. lv って行スクロールがむっちゃくちゃ遅ぇっ!
  3. xml parser って、当たり前ながら文法にキビシー!
  4. 最近の秀丸って BOM 付けるようになったんだなぁ。
  5. オブジェクトバリバリで書いたら当社比 1.5倍くらい重くなったぞ!
  6. 昔の日記内の HTML かなりヒデェよ! 内容もな!

無事 emacs で UTF-8 の読み書きが出来るようになったり、lv やめて lesspipe 書き直して nkf と less を組み合わせることにしたり、過去のデータを一括変換するスクリプト書いたらかなり HTML の間違いを見つけて鬱になったりしたわけですが、emacs 21 の UTF-8 対応で一番役立ったのは Linux JF。しかし emacs コミュニティってかなり停滞 & 荒廃してきてるような……。クワバラクワバラ。

で、無事XML化してみる。あー、イベントドリブンでツリー型のデータ形式を読みほぐしていくというのがちょっと新鮮。そして面白い。でも当たり前ながらやっぱりパーサ使った後は泥臭く書くしかなくて、とっても「半構造化」だなぁ、と思う今日この頃。

しかし、XML に関連するキーワードで検索すると、「純粋なバカを誑かして金をむしろうとするちょっと利口なバカ」な商売人ばかり引っかかるような気がするようなしないようなごにょごにょ。

ついでに各テキストにジャンルという要素も隠し持たせてみてザッと分類してみたら、ほとんどヲタネタ書いてないなぁ俺。これじゃまるで、俺がヲタクじゃなくて デムパな 情報社会学系の人間みたいじゃないか。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:49

R.O.D -Run or Debug- ウェブストラクチャ編

ウェブページのコンテンツは、データ(DB のレコードのみならず、文章そのものや画像ファイル、そのリソースにまつわる最終更新日などの情報)、デザイン(見た目ね)、ロジック(本でいう構成や編集といった意味合いで考えてください)の 3 つの要素に分解できる。この 3 つの要素は、動的あるいは静的に統合されて、コンテンツを構成する。

例えばこのサイトでは、PHP で書かれたサーバサイドのプログラムによって、データやデザインが一定のロジックに沿って統合され、最終的なコンテンツとなっている。これを動的な統合と呼ぼう。一方の静的な統合は、人間が GUI アプリケーションの助けなどを借り、手動でデータ、デザイン、ロジックをまとめることとなる。ほとんどの個人サイトは、後者の静的な統合で(つまり手で)ウェブページを記述している。動的な統合を行っている例としては、2ch などの掲示板や、tdiary などのブログが該当するだろう。

動的な統合を行うまず第一の目的は、データの分離である。この分離は容易だ。この日記で言えば、日付を <h3> にするとか、文章の見出しを <h4> にするといったウェブページのロジック(構成)と、DB に収納されるテキストデータとを分離するということである。つまり、日付の部分を <h3> で囲むかどうかは、DB からデータを引っ張り出して表示する時に決めればよく、<h3> で囲った日付の文字列を DB に入れたりはしないわけだ。というか、もともとウェブ以外でのデータ管理のために使われてた RDB のデータを、どうにかしてウェブに出そうってのが発想の順番かもしれないから、この detach はかなり綺麗に行われている。問題なのは、デザインとロジックの分離である。

長年試みられてきているにも関わらず、この二者の分離はかなり難しい。CSS やテンプレート化や各種フレームワーク(WebWorkとか)のお陰でかなり容易になったとはいうものの、CSS は <TABLE> によるデザインよりも表現の幅を狭めてしまっているし、テンプレートやフレームワークの利用はもっとデザインの、つまり表現の自由度を狭め、ウェブが悪い意味で定型化してしまう。だから、何かを妥協しない限りどうしてもどこかでデザインとロジックは混ざり合うことになる。でも、そうするとやっぱりウェブのポータビリティは下がってしまう。極端に言えば、デザインの変更のためにプログラマが必要になるというわけだ(この辺の単純化した例については ITMediaの記事 とか参照)。時々なんかスゲェ誤解している人がいるのだが、XML は、この手のジレンマの解決には役立たない。CSS を考えながらロジックを組むことが求められたりするからだ。結局一番有用なのは、デザインやロジック面での妥協であったりする。

というかだな、デザインとロジックという二者はそもそも分離できないと考えるべきだ。だってさ、本の構成や編集がデザイン抜きで行われることなんてありえないだろう? この日記で言えば、日付を <h3> にするというロジックと、それを下枠付きで文字間を開けて表示するというデザインとの間には、全く相関性がないのだろうか? あるに決まってる。日付を <h3> にして、文章の見出しを <h4> にした以上、その主従関係に従ってそれなりに見せるよう考える必要がある。文章の見出しを日付より目立たせるデザインは、ロジックを決定した時点で捨てられてるわけだ。

こういう分け難いものを強引にでも分離しようとすれば、どこかで何かを妥協するということになる。それもこれも、ウェブ( ≒ HTML)はロジックの規制が弱く、はなっからポータビリティが良くないのが原因だ。しかし、そのロジックの規制の弱さは自由度ってことでもあり、ウェブ作成を一般人にまで広めた原動力の最重要要素でもあるわけで、実に悩ましい。

で。ここ数日、このサイト全体の xhtml 化を試みてみたのですが、分離できていたと思ってたあちらこちらが実は全然分離できてなかったりして。で、表型のデータもツリー型のデータもラップして扱える基本のデータ処理クラスを書いてデザイン部分は表示用のメソッドをオーバーライドしてって手で書き直したものの、あっちらこっちらでオーバーライドしまくりたいという欲望が湧き上がってしまい、ということは癒着に対応しきれてないわけで、データの設計から考え直すか諦めて癒着のまま押し通すかだなぁ、と R.O.D 見ながら実行とデバグを繰り返しているわけです。ってそれなら "Run And Debug" だぜ、つか今時 "RUN" なんて言わネーヨ、ha-ha-ha!!

この長文の要旨:雪野五月萌え。(ぇ

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:47

音楽教育

俺の母親は音大出だったりする。という話を他人すると、じゃあさぞかしたんまり CD を持ってるんだろう、などと思われることも多いのだが、なーんとほとんど持ってない。というか、アナログレコードも含めて、母親が所有している音源というのは限りなくゼロに近い。じゃあ聞きたい音楽ってのがあったらどうするのかというと、「君をのせて」から「悲愴」まで、楽譜を買ってきて自分で弾いたり歌ったりしてるのだ。だから俺は、音楽ってのはそういうもんなんだと子どもの頃は思っていた。まあ無理矢理喩えれば、気にいったアニメの設定資料集だけ買ってきていきなり同人誌描いてるような、そういう状態だ。もちろんこれは、音大出の人間としてもかなり異様な嗜好であることは一応申し添えておく。

さて、音楽を楽しむ方法ってのに実はあまりバリエーションは無くて、個人や団体でβエンドルフィンとかアドレナリン出して多少なりともトリップするか、そいつをネタに知ったかぶってブチブチ自慢気に語るくらいしかない。クラシックを静かに堪能するのも、クラブで踊り狂って脳味噌をシェイクするのも、ピアノの弾き語りをするのも、結局は脳内で多かれ少なかれ快楽物質を出して堪能していることに替わりは無い。これはこれで人間の本能っぽいから、多いに分泌してトリップしよう。

問題があるとすれば、音以外の要素で逝っちゃうところだろう。世の少なからぬ厨房は、バンド活動だなんだと「音楽をやっている」というポーズをするが、実は彼らは、音楽を演奏したり作ったりするのが好きなんじゃなくて、「音楽を演奏しているカッコイイ自分を周囲がちやほやしてくれる」ってのが好きなだけだったりする。例えば、「ビジュアル系」というイタい用語が、この構図を象徴している。だって、音楽なのに「ビジュアル」系っていうことは、重要なのが「見かけ」であって、音そのものじゃぁないってことだよね。ヤレヤレ。なんでこんなんなってるのかというと、世の音楽産業がそういう売り方をしちゃったからである。音楽を売るのではなく、音楽を消費するスタイルを売っちゃったのだ。だから、少なからぬ自称音楽好きな人たちは、音楽が好きなのではなく、音楽を消費するスタイル、すなわち流行が好きなだけだ。

その点、今のヲタ同人業界が面白いのは、「同人やってる俺様」ってのは全然かっこよくなくて、周囲も(絵描きにあこがれてる人が想像するのとは違い)全然ちやほやしてくれなくて、それどころかむしろ積極的に周囲から叩かれかねない状況であるにも関わらず、それでも描いちゃういい年をした大人たちが、それはもう大勢いるというところだ。つまり、みんなエロい絵描いたり本創ったりりすること自体が好きなんだね。

まあ、音楽ってのは「時間芸術」であるから、記憶力を用いて「今何が起こってるのか」を順次整理していかなければならない。だから、複雑な作品を鑑賞するにはかなりのトレーニングがいる。ヲタ絵も、鑑賞には結構トレーニングが必要だと思うのだが、なんと言ってもビジュアルは性欲に直結できる。この刺激の差が、人を惹きつける力の差になってるのは確かだ。こんなことは当然音楽業界の人たちも分かっているから、どうやって人を惹きつける視覚的刺激を用意するか考えた。確かピーター・バラカンがどっかで紹介してた逸話にも、「プレスリー程度に歌って踊れる黒人なんかゾロゾロいたけど、売れるためのかっこいい白人がずっと求められてた」、というのがあったように思う。そして、視覚的刺激やタレント的なかっこよさというものは、音楽の「つかみ」であったはずなのに、いつの間にかその主従は逆転してしまった。

結局ですね、今音楽業界がスゲェ勢いで衰退してるのって、そういう背景もあると思うわけですよ。鑑賞に必要なトレーニングを受け手に一切積ませないまま、トレーニングをあまり必要としない「見た目の刺激の付属品」として音楽を売ってしまった。まぁつまり、無茶苦茶にマス化し過ぎてるってことだな。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:48

無意味の痛み

心理学には、強制承諾という、面白い考え方がある。認知的不協和理論という理論の一部なのだが、はしょって説明すると、辛い経験をした人に「自分の経験は全然辛いものではなかった、いやむしろ楽しかったよ」と嘘を吐かせると、本当に楽しかったと信じるようになる、というものだ。

これは有名な実験だから聞いたことのある人も多いと思うが、あるつまらない単純作業をさせられた被験者に「この実験は楽しかったと他人に言え!」と金で強要する。この時、1ドルで強要された被験者と、20ドルを渡された被験者とでは、どちらがより「あの単純作業は楽しかった」と思うようになるだろうか。

答えは、1ドルを渡された被験者である。

20ドルもらった被験者は、つまらない作業をさせられてしかもそれが面白かったと他人に嘘を吐いたけど、まぁ20ドルもらえたからいいか、と自分を納得させることができる。でも、1ドルを渡された被験者は、つまらない作業をさせられ、しか嘘を吐かされたのに報酬はほとんどゼロである。とても理不尽だ。

だから、1ドル組は「あの実験は無意味じゃなかった! 楽しかったんだ!」と自分の認識を変えてしまうことで鬱屈する不満を解消しようとする。さらにとてつもなく厄介なことに、自分が認識をゆがめてしまったことに全くの無自覚である。人間て、自然に「ポジティブシンキング」やるんですよ。

例えば、レベル積み立て型のネトゲは、プレイヤーの爆発的な労力を必要とする。だから、ひとたびその労力をかけてしまった人間は、そのゲームがどんなに糞であってもなかなか否定することができず、楽しい楽しいと繰り返し周囲に主張することになったりして、そのうち本当にそう信じられるようになったりする。

さて。「野球部の練習は大変だったけど、今となってはあれだけしごかれたのもいい思い出だ」、「あのプログラムの仕事は大変だったけど、今となってはあれだけ残業させられたのもいい思い出だ」、「アニメーターの仕事は大変だったけど、今となってはあれだけ低賃金<以下略>」、「ベトナム戦争は大変だったけど、今となっては<略>」、「太平洋戦争<略>」。過去の辛い経験を美化しだしたヤツの言うことには要注意である。

このレオン・フェスティンガーの理論を自分に当てはめるのはムチャクチャにイタいので、丁寧に考えていくと鬱になる。

あなたの辛い経験は、全くの無意味かもしれない。人間は、無意味という痛みに耐えられない。そして、信じたいものを信じる。もしその時信じたいものがなければ、自分で作ってしまう。現状を変えるより、その方がずっと楽だからだ。

(67)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:50

エトナたんマンセー

わーい、ちょっと今さらだけどエトナたんゲットー。ほんとだパンツ履いてなーい。(ぇ

(54)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 22:21:45

バカと小利口

情報処理界の非常に根深い問題として、エンドユーザの技術レベルや情報リテラシが向上するというドリームの実現については全く期待ができない、という点がある。というか 1mm たりとも期待してはいけない。アラン・ケイやテッド・ネルソンは夢を見られたかもしれないが、まだ夢みてる人は正直あんまいないと思う。だから、最もバカで DQN で救い難いほど愚かなエンドユーザに合わせて、システム全体をきつめに制限する仕組みを、技術的な部分のみならず社会的にも作ろうとすることになる。例えば、法とか倫理とかライセンスだね。

でも、技術に明るい小利口な人間は、こっそりそのシステムの制限をすり抜ける技術をみつけたり作ったりして、こっそり利用する。クラッキングってのはね、クラックしてることがバレたら、誰がクラックしてるのかはバレなくても、もう終わりなんだよ。誰にも気付かれずにリソースを使い続けるってのがクラッカーの究極の目的だからだ。で、小利口な人間はこっそり利用しながらこっそり技術を磨き、こっそり情報を蓄積し続ける。インフォリッチとインフォプアの差は一層拡がっていくわけだ。そうすると、ますますシステム全体をきつく縛る技術的・社会的枠組みが作られる。しかし、小利口な人間はその枠組みを迂回するズル賢い方法を必ず見つけ出す。だって小利口なんだもん。

そうして、ネットワークは徐々にバカ向けと小利口向けに二分化していく。インターネットって、そういう弱肉強食な世界を目指していたんだっけ?

村井先生、俺は、既存の IPv4 と互換性のない IPv6 の導入が、そういうニ分化に一役買いそうな悪寒がするんですけど。そこら辺も、是非上手く政治的にグルグル手を回してください。おながいします。

どうでもいいけど Cliff Martinez 萌えー。って彼の作品に萌えられるのは、相当なミニマリストかアンビエントテクノ愛好家のみですのでご注意を。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:53


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