はなし塚という石碑が浅草の本法寺にある。東京新聞の記事から引いてみる。
戦時中、「廓大学」「明烏」「つづら間男」など五十三演目が世情に合わない「禁演落語」とみなされ納められた。戦後、落語家の手で封印が解かれたが、現在もその塚がそのまま残されている。
要するに、戦時に合わない「『不謹慎』なお話(ネタ)のお墓」だ。高座で演じられなくなったので、落語家がネタの弔いをしたわけだ。こう書かれると、『はだしのゲン』とか読んでる世代は、特高警察による激しい弾圧があったのか!? などと思いがちだが、それは誤解である。孫引きになるが小林信彦のコラムを引いてみる。
落語家たちが艶笑落語をやりません、などと誓いを立てたのは、文字通りのお笑いぐさであった。<中略>べつに弾圧ではなく、落語界が自粛したのである。
その他にも同様の指摘をしている資料は幾つかウェブ上にあるが、なんと、驚いたことに、飯のタネである落語のネタを、落語家自らが封じようと動いたのだ。そして、高座は時流におもねる漫談のような兵隊ネタ軍隊ネタで満ちたという。
実はこのエピソードは以前 NHK で流された古今亭志ん朝師匠の再現ドラマで知ったのだが、こいつはとても示唆に富んでいると思う。思想や表現や創作の自由の制限は、法的には何の拘束力もない、自粛から始まるのだ。
皆が自粛すれば、「そういった表現を行わない」ことは“常識”としてその業界に定着する。卑近な例だが、エロゲーで18歳未満の性行為を出さないとかね。18歳未満のキャラクターに性行為させる表現物の創作・頒布は、完全に合法であるにも関わらず、業界団体の自粛の一言によって葬られる。近親相姦ネタとかもな。そして、いっそう自粛が進み、その規制が完全な“常識”、すなわちタブーと化したら、堂々とその表現を規制する法律を作ればいい。そうすれば、そういった“常識”に則ってる規制の制定に反対するような奴は、非常識であり反体制であるといった認識がコモンとなるのは間違いない。その時はもうすでに、反対派が社会的な支持を集めることは難しい。タブーに理性は通じないんだ。
だから、あるジャンルにおけるコンテンツ規制で騒ぐなら、自粛が始まった時点で力いっぱい騒ぐべきなんだ。2002 年 4 月、うるし原智志氏が、コミックスでの未成年の性描写とその暗示について、「残念です」とおっしゃりつつ自粛に応じていた。当時は、この俺ですら K 川の編集に釘をさされたことがあり、それと合わせて俺はスゲェショックを受けてスンゲェ長いアジ文を書いたのだが、あまりに攻撃的だったので公開しなかった。うるし原先生が自粛に応じられたのは、仕方のないことだ。作家は、編集や流通の自粛には絶対に逆らえない。作家がプライオリティを持ってるなどと思うのは大きな間違いだ。そんなのは鳥山 明クラスの大作家センセイであって、多くの作家は、大企業様からお仕事を分けていただく中小企業の社長に過ぎない。同人誌なら大丈夫と思ってる人、印刷所が自粛したら本は1冊も刷れない。即売会が自粛したら全て販売停止だ。ネットなら大丈夫だと思ってる人、プロバイダやサーバ屋に自粛されたら、何も公開できない。違法じゃないコンテンツだって、自粛で遮断できるんだ。
自粛の後に続くものについて、思いを馳せねばならない。コンテンツを作ったり消費するのが大好きなら。
著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:38