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情報技術 = ギロチン論

「情報社会における新しい政府のありかた」。「ITがもたらす新時代と行政組織の変革」。「縦割りの弊害を排除した新しい社会モデルを目指して」。俺が今適当にでっち上げたスローガンだが、なんだか似たようなお題目はあちらこちらから聞こえていて、誑かされた役人が CISCO とか NTT とかに税金流し込んで、いまいち正体の分からない IT 投資を日本中でやっている。

一昔前よく取り上げられた IT 投資の成功事例として、コンビニの電話料金徴収システムがある。紙に手で記入された振込用紙を銀行員がダブル・トリプルチェックして 1 つ 1 つハンコをついて入金処理を行う( 1 件の振込に数百円の人件費がかかるという)のに比べれば、バイトの店員がバーコードにレーザ光を 1 秒当てるだけで済む(人件費は 20 ~ 50 円くらいかな)のだから、圧倒的に低コストなのは考えるまでもない。従業員の賃金も安く抑えられる。

みんな薄々気づいていることだが、IT 化が進めば、一般事務やその他 IT 化で不要になる業務を行っている少なからぬ役人や従業員を、クビにしなければならない。最低でも、コンビニのバイトくらいまでには賃金を下げねばならない。しかし「お前は無用だ」という宣告を、下手したら全従業員の 5 割、6 割にするなんてことは、できっこない。クビを切られる側が受け入れるわけもなかろう。でも、そうすると無駄な雇用を抱え続けることになる。IT 投資をした意味がない。念のために断っておくが、一般事務が無用だという意味ではない。一般事務職は他の仕事の効率アップに大きく貢献している。ただ、上記のコンビニの例のように、IT によって効率化を進めてしまうと、少なからぬ人間が要らなくなってしまうのではないか、ということだ。

では首を切れないままの IT 投資が何をもたらすのかというと、現状のままでは結局壮大なムダだ。IT 化によって不要になったはずの事務処理を人間がもう一度繰り返したり、何も生まないデータ整理を手作業で行ったり、あるいは IT を導入して新しい事務を増やすという荒業まで導入して、意味のない金を回し続けねばならない。現在人手が足りてない分野や、新しい仕事がいくらでもありうるサービス業などは別だろうけど。

「今後の社会のためにあなたの首を切りますから、私に一票入れてください」。そんな政治家は当選するわけがない。でも、それは単に破局を先延ばしにしているだけかもしれない。

(45)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:24

『水月』から、香坂アリスとマリア

『水月』から、香坂アリスとマリア

特にその塗りについてはエポックメイキングだったエロゲー『水月』から、ロリキャラ2人、香坂アリスとマリアのスカートたくしあげ。

彼女たちのこの服は、ノースリーブセーラー服+ケープなのである。『ns2』に収録。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:23

嘘吐きで臆病で親の顔色うかがっていた元子供達へ

アリエスは『子供の誕生』という著書で、「子供」という概念は近代ヨーロッパ以後の産物であると述べている。それ以前に子供という概念は存在せず、ただの小さい人間というだけだった。大人とは、理性的な判断ができて社会に参加できる人間だけど、子供はそれができないから、親や社会が愛し保護し育まなければならない。今の人間はそう考えてると思うが、そんな考え方は実は普遍的ではない。近代以前は、貴族などの特権階級を除き、幼くてもすぐさま職業訓練を受けさっさと働いた。親が愛し保護する存在ではなく、社会人として生かされた。今でもアフガニスタンやウガンダで少年兵というのが問題になってるが、近代ヨーロッパの洗礼をあまり受けていない彼らの考え方としては、少年というただちょいとばかし小さいだけの「大人」が武器を持って戦うのは、極めて当たり前のことなのだ。

子供が無垢だ純粋だ、という考え方は幻想だ。それは自分の子供の頃を思い返せば分かるだろう。あなたは子供のとき嘘をつかなかったか? 親や先生の顔色をうかがっておもねらなかったか? 中学生の頃は親を口汚く罵倒しなかったか? そんな人間のどこが無垢で純粋なんだ? 年を経るとこの程度の自問自答さえ忘れてしまうのだろうか。子供(といわれる人間)は、無知ゆえに、価値判断が単純なだけだ。感情のコントロールも上手くないことが多いから、些細なことでも単純に喜んだり、単純に怒ったり、単純に悲しんだりする。それを大人が良いように誤解して、純粋だ無垢だとレッテルを貼ってしまう。巨大な勘違いだ。

単純な人間は、喜びを爆発的な身体表現で表さざるをえないから、嬉しいとぴょんぴょん飛び跳ねて駆け回ったりする。例が不適切かもしれないが、知的障害を負っている大人の方々が同様の身体表現をされているのをご覧になったこと、あるだろう? 当然怒りも同様で、かんしゃくを起こして周囲のものに八つ当たりしたりする。ある程度感情を抑制できるようになれば、「殺してやるっ!」なんて表現を人前で行うことは自然になくなる。子供は純粋なんじゃない、ただ脳味噌が単純なだけだ。

でも、いくらアリエスが相対化してくれたとはいえ、近代西欧の考え方が広まり、分業の徹底と技術の複雑化が進んでしまっている現在、大人と子供を分類してしまう考え方は、もう後戻りできないと思う。だから大人は考えなければならない。「殺してやるっ!」以外の「理性的な」感情表現をどう自分が身に付けたのか。どう感情を抑制すればいいのか。その殺してやりたい相手にどう自分の意図を伝えて妥協していけばいいのか。道徳や(一部の)哲学というのはこういうときに使える知識なんだ。日の丸や上っ面の親孝行ばかり教えてていいのか? それこそ国が滅ぶぞ。

例のネヴァダたん事件についてはりそりょ氏の物語的解説が卓出してると思う。

(43)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:25

エトナたそ

エトナたそ
魔界戦記ディスガイアのエトナたん。すごく久しぶりの版権モノだし、ラハールとかフロンも描きたいので、とりあえず暫定版てことでコウモリだけ描き足して置いときます。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:23

motivation

(インターネット上の不正コピーが横行している現状では)「音楽で生計を立てられる見通しが立たなくなる。そうしたら誰も音楽を作らなくなる」。RIAA(全米レコード協会)のお偉方が以前 NHK スペシャルの番組で語っていたことだ。俺はヤツに言ってやりたい。「日本のヲタクどもを見やがれ。絵で生計を立てられる見通しなんか立たなくたって、誰もが絵を描き続けているぞ」。

著作者を法律で保護すれば、著作者のやる気が出て表現活動を活発に行うようになり、ひいては文化が発展するというインセンティブ論は、一面の真実であるとは思うが、作り手はそれだけで動いているわけではない。金がなくても時間がなくても、命を削って描く人は描くし、作る人は作るんだ。作り手のモチベーションの少なからぬ部分は、インセンティブ論者や自然権論者が考えてないところから沸いている。そりゃ目の前に山があれば登りたくなるし、タブレットがあればなんか描いてみたくなるし、ピアノがあったら弾いてみたくなるんだ。

この情報時代、著作権法がどんどん改悪されてるのになぜ著作者はなぜ声を上げないのかっていう疑問が法律周りの人なんかから時々出てくるんだけど、この単純な創作欲みたいな感覚の分からない人なんて、作り手からみたら完全な異人種で、おそらくそいつは俺たちとは共通の言語も感覚も持ってない。はっきり言って、そいつらは金のことばかり考えてるように見える流通のやつらより、作り手からは遠いところにいる。レッシグを知ってる人が同人界にどれだけいる? そんな言葉の通じない人間を口説いてるヒマなんかあるかバカバカしい。それより次の描きたいもののことで頭がいっぱいなんで早く帰っていいですか? 作り手の発想とはそういうものだ。だから、社会システムを作ろうとする人たちは、そういう無茶苦茶ワガママで社会性がなかったり、社会のことに致命的に無知な人たちを守ろうとしてるんだという自覚を持たなければならない。全員に社会性を持たせようなんていう発想は上手くいきっこない。その手の試みは共産主義でコケた。

(44)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:26

raison d'etre

実は今年の 4 月から所属する組織が 1 つ増えたのだが、そしたら「なんでこういうオタクな絵を描くの?」っていう理由の精神的な面みたいなものを尋ねられることが多くなって、ちょっと困ってる。なんで描くって、喜んでくれる人がいるからとか、〆切があるからとか、イベントがあるからとか、そういう表向きで分かりやすい理由もあるし、また、作り手の数が増えれば増えるほど競争が盛んになるわけで、間接的にオタク層全員の技術アップ、ひいては文化振興にまで貢献することになるから、とかいう社会的理由をでっち上げることもできる。そういう時だけ口達者だから。でもなぁ、そういうのって、当たってもいるけどちょっと違うんだよなぁ。

なんで描くのかって、そりゃやっぱ単純に描きたいからでしょ。

ってこれで終わったら中学生でも書ける文章だから、もう少し考えてみよう。

俺がこういう絵を描き始めたのは高校くらいからなわけだが、ぶっちゃけオタクな絵を描くのってのは俺にとっては性欲の昇華だったんだろうなぁ。まあこれはフロイトっぽいというか、絶対に反証不能だけど一見理論ぽく見えるラカン大好き斉藤 環風のインチキ文になりそうだから、あまり長く書くは止めとこう。彼の胡散臭さを一発で看破した私の現在の恩師、ナイスです。閑話休題。まあつまり、俺の近くに、オタクなかわいい女の子の絵を描くって行動をしている人がいたわけなんですね。だから、俺はその人の「欲望のモデルを模倣」したわけだ。とジラールだかなんかのパクリっぽいことを言ってみよう。

でもまぁ、いい年してオタクな絵を描くっていう欲望のモデルはあんまないので、実は結構みんなビビりながら描いている。この手の世界のリーディングエイジは 40 過ぎくらいでしょうか。2ch にも将来を不安がる同人屋のスレとかあるわけだし、老後の話題は最大のタブーと断じる上に、ゲーム業界の方がもっと非道いと適切に指摘されるアニメ業界の中の人 もいたりして、他に職業持って片手間な人はまだマシだけれど(とはいっても出世街道からは確実に外れていて給料泥棒化することが多いわけだが)、同人とイラストとエロマンガとエロゲンガーとかを適当につまみ歩いて食おうとしてるような人達の未来は決して明るくないわけですが、それでも全然絵を止める気にならないのは、やっぱ楽しくてたまらないからなわけでしょう。10代の頃は、絵を描くという行為の土台に性欲があったとしても、段々歳を重ねてくれば自然に性欲は枯れてくるし、そのうち絵を描くこと自体が自己目的化して描くこと自体が純粋に楽しくなってくる。それに、いまさら他のこともできやしねーなんてことになったら、もう抜けられやしないのだろうよ。たとえ 30 過ぎて年収が 100 万台な生活でもね。

まあそういう実情を全然知らないで、絵を描くこととかを文化だなんだとむやみに礼賛したりするマスメディアとか似非評論家とか、著作権料のことしか言わない流通関係者なんかは氏ねとか思うわけだ。最後のはあんま関係ないな。直接は知らないけれど、音楽の世界も同じようなもんで、やっぱ食えないんだろうね。というわけで、ほとんどの人は 10 代か 20 代前半くらいでこういった世界を抜けていくわけだ。音楽や絵画といった文化っぽいもの(サブカルだけど)の製作に関われるチャンスが、親の庇護下にある時くらいしかないってのは、悲惨な自称「文化国家」だよねぇ、日本。

と、ここで終わるのもシニカルなだけなので、どうすればマシになるかってことを考えるわけだが、これがもう絶望的に手段がないんだよね。今日、散々騒がれた CD の輸入規制を認める著作権法改悪案は可決されたわけで、めでたく CD というメディアの滅亡に一役を担うだろう。なんかさぁ、後ろ向きだけど、もうちょっと「頭のおかしくなさそうな人」を国会議員にするしかないのかねぇ。自民だ民主だ共産だっていう枠組みを糞転がしみたいに戦前からズルズル引きずってなくて、クリエイタとかコンテンツとか表現の自由とか萌えとかロリとかに理解があって活動してくれるナイスなキチガイ、略してナイスガイな政治家モトム。絶対にある程度の支持は取れるけども、全国的に広く薄い支持になりそうだから、今の日本の選挙区のように地域ごとに分割されてると当選が難しい。まったく、既得権益のカタマリじゃなどこもかしこも。いっそ投票用紙に「金子 勇」とか「ぴろゆき」とでも書こうかなぁ。

(41)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 20:13:25


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