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エロ同人屋に読んで欲しい著作権の話

まあ実際のところ今の俺は、トップページに載っけるような絵を 1 枚描くのに、密度にもよるが大体半日から 1 日かかる。人物のカット(いわゆる立ち絵)をゼロからエロゲ / ギャルゲ塗りで仕上げるなら、せいぜい 1 日 5 枚くらいだろうか。ちなみにこここでいう「1 日」とは、8 時間労働の範囲ではなく、文字通りの「1 日」から生命維持に必要な食事や睡眠などを引いた時間と思っていただきたい。さて、1 日にいくらもらえれば嬉しい & 食っていけるだろうか。

正直なところ 1 万円くらいはお願いしたいわけである。時給で換算するとコンビニバイトにも劣るが、まあそれは俺の手が遅いししょっちゅう集中が切れるというのもあるからいいや。商業誌の原稿料もカラーでほどほどちゃんと描きこんであれば最低それくらいは出たし、同人の方も、ひっかき集めてショップに回したりすれば、なんとか採算ラインのボーダに乗ってる。だから続けられる。

なぜ著作権という仕組みがあるの? という疑問に対するものすごく単純で具体的でショボい回答例は、上記のようなものだ。自分の作ったものが金銭的にむくわれてやる気が出るから。勝手にコピーされると俺のところへ金が入らないから。こういうのを、著作権のインセンティブ論(やる気を起こすための仕組み)、と呼ぶ。そして、同人屋にしても漫画家にしてもエロゲンガーにしてもだ、一般的な作り手たちにとってこれは都合の悪い仕組みじゃないから、大体この辺で思考するのを止める。俺も止めていた。だって、そのままぼけっと描いてても食えないんだもん。描くために食うか、食うために描くかって、そりゃ食うためですよ。著作権? 便利な仕組みだよね。

でも、だ。あえて「でも」だ。日々食うために描くとしてもだよ、絵を描いたり何かを作ったりするそもそもの動機(インセンティブ)って、食うためではなかったんじゃないかね。あ、「理想論マズー」とか言って引くのは早いよ。そらね、お金は欲しいぞ。資本主義社会だもの、そら欲しいぞ。それに、有名になりたいとか上手くなりたいとかいう野望があって、そのために努力するというのもあると思う。でも、そういうのは別。そういうのはおいといて、だ。もっと単純な創作欲というのがあるでしょ。

急に何か言葉をつむいだり、絵を描いたり、歌を口ずさんだりしたくなること、あるでしょ。その動機というのは、金が欲しいとか、たまには卵かけご飯以外のも食いたいぞ、とかじゃなくて、もっと単純なものではなかっただろうか? 小学生の時、お金のために絵を描きたがった人なんているか? 描けるのが嬉しかっただけだろう? 初めて PC で絵を描いた時、純粋に嬉しかっただろう? でさ、その時の喜びや楽しさがなきゃ、絵、描き続けてなかったでしょ? こういう単純な「言いたい」、「作りたい」、「伝えたい」っていう気持ちは、単純で自然な表出欲というか創造欲というか、なんというか……そうそう、好きな人に好きだと伝えたくなる時の気持ちと同じなんだ。表現というアウトプットは、複雑なフィードバック機構を持つ人間の、本能の結実なんだ。

もっと分かりやすい例を出せば、コミケがあるから原稿を描くってのは事実だけど、もしコミケがなくなっても絵を止めたりはしないだろう? つまり、著作権の仕組みやお金は、根本的にはモチベートしてくれないんだよ。著作権の仕組み自体は、直接的には創作欲を守らない。今の著作権の仕組みが一義的に守っているのは、自分の作品を売る「作り手」と、他人の作品を買う「受け手」という、交換の枠組み だ。だからさ、著作権のシステムがインセンティブの付与のためにあるだなんて言わないでおくれ。現行の著作権は、価値の交換のために仕方なく取り入れられた一実装なんだから。あ、もちろん自然権(プロパティ理論)でもねーよ。強いて権利として考えるのなら創作権とでもいうようなもんで、それはつまり表現の自由だ。根本的に創作欲をモチベートする法的な仕組みというのは、表現の自由しかないんだ。

だから、特定少数の著作権がその他大勢の表現の自由をさまたげるようになっちゃつまらない。でも、それがもっとも特定少数が儲かるシステムだとしたら……どうする? そりゃあ、もう少しまともな実装に組み替えないとね。という辺りが『Free Culture』のスタート地点なんじゃないのかな、と。どうですかね、白田先生

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:19

若さ!!

夏コミありがとうございました。色んな人に会いましたよー。「台風ですら避けてとおる」といわれたこともあるコミケットですが、最近はなんどか雨降ってますね。涼しくて助かったけど。

今回は2晩ほど連続で徹夜して、47時間連続稼動時に会場着だったりしましたが、なんか、それほどやばくなかったですよ、午前中は。意識が切れてきたのは連続稼動が 53 時間になったあたりからだったし。10代の時は面白半分で徹夜できた。20代の今は緊張感のおかげで徹夜できてる。緊張感のコントロールが出来るようになってきたのかなぁ。嘘だな。

次は11月のコミティアです。出れたらね。と、珍しく日記らしい日記を3日遅れで書いてみる。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:20

メタメディア幻想

中学・高校の頃の俺は、ナケナシの現金を握り締めて、Too. や世界堂といった画材屋へ通っていたのよ。同人誌即売会の会場に行ってはデリータのスクリーントーンを眺めてもいた。安かったからね。で、そんな当時の最大の失敗としては、コピックという水性マーカ(まあフェルトペンのようなものだ)を購入してみたものの、どうしても綺麗に塗れずに惨敗したことだろうか。アレは痛かった。

なんでそんなものを買ったのかというと、それよりはるか前に、「鳥山 明が水性ペンを水溶きして色を塗っている」、「いや今はカラーインクらしいぞ」という噂が渦巻いたことがあった(カラーインクというのは、塗った直後の発色は抜群に綺麗だけどすぐ退色してしまう印刷原稿用の染料インクのこと)ようで、鳥山 明は抜群に絵が上手かったし彩色も上手かったから、多くの人がその「水溶き水性ペン」の手法を真似たそうな。俺がコピックを買って唸っていた頃というのは、そういったカラー技法を真似てた人達が「ファンロード」なんかで人気を博せるほどの実力を蓄えてきた頃でもある(水溶き水性ペンの起源が本当に鳥山 明なのかどうかは責任持ちません)。未谷 蛹さんとか K・春香さんとか。巣田祐里子さんなんかはもうプロでしたな。で、彼らは実に上手くコピックなんかを使いこなしていたわけだ。剣山に見えるくらいの数のコピックを持ち込んで同人誌即売会でスケブ描いてる姿なんてカッコイカッタのよ。

ぶっちゃけて言えば、当時のイタい俺は、画材を揃えば上手くなると思ってたフシがある。彼らと同じモノを手にすれば同じようにできるんじゃなかろうか、とね。まぁムリだったわけだ。今思えば、そのまま研鑽すりゃ人並みに出来るようになっただろうけど、厨房な俺には研鑽を続けるだけの金がなかった。高いんだ、コピック。それにコピックに合う紙も。またアルコールベースで乾燥が速いため、すぐかすれてくる。

さて。アラン・ケイはこんなことを言っている。「(コンピュータは)かつて見た事もない,そしていまだほとんど研究されていない,表現と描写の自由を持っている.それ以上に重要なのは,これは楽しいものであ」る。彼が考えてる「コンピュータを学ぶ」という概念は、今の日本で一般的に考えられるような「パソコンの使い方」というショボい意味とは違う。メタメディアたるコンピュータを使いこなすということは、ハードウェアの仕組みからプログラミング言語、アプリケーションを利用する技法に至るまで、コンピュータの面白くて新しい使い方を考える手立てを知るということだ。で、アラン・ケイとかテッド・ネルソンなんかは言うわけだ、みんながそうすれば世界は変わる、と。これからはみながそういう姿勢でコンピュータを学ばねば、と。

インターネットが一般に開かれた時、彼らの檄文のようなものを引用して IT がもたらすバラ色の未来を語る人は少なくなかった。ただそういう人達の前提は、みんなが適切にコンピュータを学び、存分に使いこなせるようになること、だったじゃない。決して、Word と Excel が使えることではなかった。でもさ、ムリだよね、世界中の人間が、表現の手法として主体的積極的にコンピュータに向かい、コンピュータやソフトウェアそのものを改善していけるような技術までを身に着けるなんて。

それはさ、「世界中の人間にコピックを持たせて必死に練習させれば、みんな鳥山 明くらいに絵がかけるようになるよ」、っていうくらいにむちゃなお題目なわけ。絵を描く意識のない人間が筆を取っても、絶対に絵は描けない。それに、意識を持っている人間ですら、向き不向きやコストの問題など、いろいろな障害に阻まれて先に進めないことがある。第一、こういう考え方って、実は全体主義のカタマリじゃん? 「全員まともなコンピュータリテラシをつけるべきだ」という主張に対しては、「技術決定論的な全体主義ウゼー」と一部の文系の人は反発するだろうにゃ。

ま、そんなわけで、90年代半ばくらいに夢想された 「真の IT 革命」みたいなのは、残念ながら絶対こないなぁ、というのが見えてきてる。コンピュータはメタメディアとして大きな可能性を秘めているとしても、メタメディアとしてコンピュータと向き合おうとする人間は、どうしても少数であって、で、さらに悪いことに、そういった人間は経済力も政治力も持っていなかったりする。

さて、コンピュータがメタメディアであることを理解している人間が取りえる次の有効なステップは、多分 3 つくらいあるぞ。

  1. 経済力と政治力をつけて愚民を洗脳する
  2. そういうのは 村井 純 御大あたりにまかせて傍観しておく
  3. むしろ積極的に諦めて自分の食い扶持増やすことだけ考える

うーん、2 かな。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:21


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