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絵師なら全員やってるペイフォワード

11月24日の日記を、「初心者と有識者で思いつく言葉が違うせいで初心者は有識者の知識に辿り着けず有識者は初心者の現状に辿り着けないという問題」Piroさん が一言でまとめてくださった。的確な要約に感謝します。ということでその続きを電波に展開する。

ウェブは、簡単にハイパーリンクをたどって別のリソースを参照できることを最大の特徴としている。自分の趣味以外のことであっても容易に知的探求をすることができる世界であった。ハズだ。今や死語となった「ネットサーフィン」という言葉は、そういう行動パターンを示していた。そして死語となったということは、みんなあまりそういう行動パターンを取らなくなったということでもあろう。

でも、だ。もし今そういった行動パターンを取らないのだとしたら、つまり、みんな自分の興味のあるところだけをツマミ読みするというウェブとの付き合い方しかしてないのだとしたら、その違いは何がもたらしたんだろう?

ウェブが増えすぎてるとか、フラット性だとか、編集者の必要性とか、メタデータの普及とか、色々説明はできるとは思う。でも、だ。ここにこそ啓蒙の余地があるんだと俺は思う。啓蒙というほどえらそうなものではなくていい。つまりさ、誰にでも分かりやすい文章書こうよ。誰にでも分かりやすいサイト作ろうよ。自分の言いたいことを、誰にでも分かる言葉で、世界中の人に向けてプレゼンテーションしようよ。そうすれば、偶然あなたのサイトに漂いついただけの人も、あなたのサイトを読んでくれるかもしれない。もし自分が他人より少しでも優れている部分があるのならば、それを少しでも分かりやすく伝える努力をしようよ。

別に文章でなくていい。(・∀・)イイ!絵を描いてもいいし、(・∀・)イイ!音楽を作ってもいいと思う。それで萌えたり感動したり気持ちよくなってくれる人がいれば、ウェブは少しずついい世界になるだろう。

これなら、ウェブサイトを持つ人全員ができることだし、やってるハズのことだ。だから、皆が放り出さない限りウェブはどんどん良くなってきた。ハズ。いまいちそうなってないところもあるのは、ウェブがどんどん消えてるからなんだけど、それはまた別の話。

(48)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2008-08-30 04:28:31

通学路と怖い猫

通学路と怖い猫

この猫のモデルはパックマンです。季節感ならありませんよ。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2010-05-22 03:09:23

交わらせろ

例えば、『ウェブページの BGM としてガンガン MIDI ファイルを鳴らしたい』という超糞な欲望を持ったが、具体的にどう xhtml でマークアップすればよいか分からない 、という問題があったとする。一般向けに翻訳すると、「ホームページに音楽付けるにはどうすればいいの」だろうか。

もし私が調べるのならば、例えば「xhtml midi マークアップ」とかでぐぐるが、普通は「ホームページ 音楽を付けたい」辺りになる(ここでビビってはいけない、普通の人の検索語はこんなもんだ)。「俺様はパソコンとか詳しいんだぜ」なんていうちょっとイタい厨房は、「タグ 書き方 音楽ファイル」辺りでぐぐるだろう。それぞれのキーワードで表示されるサイトを見比べて欲しい。おっそろしいレベルの違いがある。

俺の検索語では、DTDの解説サイトがトップに出る。俺はこれを望んでいるだろう。「ホームページ 音楽を付けたい」では、Microsoft Word での具体的な操作方法が出てくる。まあこれはコメントする気も萎える。「タグ 書き方 音楽ファイル」では、なにやら「タグ」とやらを誤解した解説したページが出てくる。

ただ、どの言葉で検索しても、一応の目先の問題に対する回答は得られそうである。俺が考えたいのは、専門的な言葉や概念を知らない素人は、そこから先どれほどの深い理解にまでたどり着けるか、というところだ。

はっきりいって、「xhtml midi マークアップ」といったキーワードで検索して出てきたウェブページを見る人と、「タグ 書き方 音楽ファイル」で出てきたページを見る人とは、一生交わらない可能性がある。ハイパーリンクをたどって知的探訪を行う場である、というのが初期のウェブが持っていた幻想であるわけだが、今現在「ホームページ 音楽を付けたい」といったキーワードで検索する人は、多分「マークアップ」という用語までたどり着くことはないと思う。そして、マークアップというキーワードを理解しない限り、xhtml 近辺のことは何も分からない。

この違いは、何も別に高尚なわけではなくて、普通の人が単に技術的に適切な言葉や概念を知らないだけというところにある。たったそれだけのことで、専門家とそれ以外とがものすごく乖離してしまうという、よくある問題でもある。だけど、ウェブのおかげで、普通の人が専門家に近づくべきチャンスとでもいうようなものが、逆説的に減ってきてしまってるかもしれない。

今の多くのウェブサイトには、「できない人を導いて、全体の質をより高める」とでもいうような、理想があるだろうか。まあ、あんまないだろーな。専門家は、専門家やその周辺に向けて自らの作業をまとめたり提案してればよく、そこには普通の人が入る余地はない。結局普通の人も含めて、近しい人同士のコミュニケーションのためにウェブを使っているんだ。別になにかを向上させる必要は無く、既存のツールを使ってコミュニケーションできていればそれでいい。「タコ」と呼ばれるような自助努力で頑張る健気な初心者は、ビットの彼方へ行ってしまったのだ。

専門家は象牙の塔的にゴニョゴニョ集まり、一般大衆は適当にみんなでガーッと集まって騒ぐっていうような二分化したあり方を批判するのはとても簡単なのよ。啓蒙が大事よとか言うのも簡単なのよ。後は、やろうとしてる人がどれだけいるかってことで、何をどれだけやれるかってことだ。押し寄せる虚無感と戦いながらそれでも毎日睡眠時間を削ってがんばっている友人を見て、そう思った。

(48)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:12

社会を斜めに斬ることまで斬りますから

社会や世相をばっさり斬った意見は、キモチイイ。「ヒキコモリが愛国者やっても、あなたたち国から嫌われてますから! 残念っ!」とか。「税金払ってないやつが国家とか言ってるぞ、気をつけろ!」なんてーの。こういう、ちょっとひねった視点に似せた悪口や揶揄を子気味よく感じてしまうのは、なかなか悪趣味だと思う。悪趣味自体は別に悪いことだとは思わんけど。でもこういう文脈の消費が好きな人は、どこかに頼りない優越感を持っていて、それをせっせと補強して欲しがっているとは思う。

まともな人によるまともな社会学は、別に優越感を煽るためのツールではなく、これといって面白くもないことをコツコツ調べることが大半で、現在がどんなにポストモダンの世界だなんだといっても、やっぱりその学問の究極的な目的は、快楽原則ではないとてもモダーンなところにある。つまり、「社会全体の幸せ」というような辺り。「より良くしていこう」っていう意識を常に持っているまともな人たちが読者の危機感や優越感を煽ったりするのは、あくまで、これといって面白くもない自分の調査や目的を、資本主義社会での「商品」として売るための手段だ。別に優越感のためにやってるわけではない。だから、普通の人に名が知られてて評価もそれなりの社会学者は、大体そういう売り方が上手くて、なおかつ背景の調査に手を抜かなかった人。普通の人に名が知られてて評価が DQN なのは、煽るだけの人ということになるね。

何らかの問題に対して「より良くしていこう」といったモダンな背景を抜きにした単なる毒舌は、ニヒリズムや優越感の補強をしてくれるだけの、悪趣味で品のない消費物だと思う。切腹!!

(47)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 19:45:51


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