この前大手ゲーム会社のN社の方とお話しする機会があった。俺は、ゲームっていうメディアがものすごい勢いでパチンコ化して、「どうやってバカを誑かしていかに金を巻き上げるかモード」になっていることを危惧していたりした。でも、それは杞憂だった。少なくともクリエイタたちは違った。俺は悪いプロデューサの形を見過ぎたのです。ごめんなさい。
ゲーム業界のクリエイタたちは、自分の表現というものを全然諦めてなかった。彼らにとっては、面白い何かを作り上げることが第一義であるようで、それはつまり、自分たちが面白い・楽しいと感じられた経験を抽象化・一般化して周りの人に伝達する方法を真剣に探した結果、ゲームというメディアを使っているに過ぎない、ということのようだった。熱かった。情熱があった。面白いものを作ってやろうという空気に満ち満ちていた。これは、最高の創造の空間ではないだろうか。仕事上で妥協させられることはあるにしろ、創造的な人々が作り出している熱気のようなものの漂う空間が維持されているということは、とてもすごいことだ。
クリエイタの創造への熱情を盛り上げ、なおかつ現実的な金銭の問題とを調整する役目がプロデューサには課せられていて、N社のプロデューサは皆、何よりもそれに重点を置かれていた。どこかで、プロデューサの仕事は、金、金、金で 3K だなどという冗談を聞いたことがあるが、そんなのはニヒリズムに酔っているだけの戯言のようである。つまり、何が言いたいかというと、とある独立行政法人の中の偉い人は、こういう意味でのコンテンツプロデューサの役目をどの程度理解されておられたのかと。
こっそり内部告発しよう。残念ながら、本郷三丁目にある組織のコンテンツ創造科学産学連携プログラムにおいて、そういった「場を作る能力」について問われることは、まずない。なぜなら、そんな能力を持った人間が教える側で常駐してはいないからだ。だからそういう能力の評価もできない。そもそも、そこまでの理解にたどり着いてる人がどれくらいいるやら。あのプログラムを存続させるには、誰か突発的な能力を持った受講生が出世して宣伝する以外にないのかしらねぇ。
著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-07 13:54:21