機会に恵まれたので、『多重人格探偵サイコ/新劇 雨宮和彦の消滅』を鑑賞。とてもメタメタした(メタレベルな)脚本。
ここのところ大塚は一貫して「物語る」という行為の意味を問うてきているが、それを「劇」という形へ昇華したのが本作と言えるだろうか。そもそも『サイコ』というマンガ作品が、口コミでのPRを意識した広報戦略をとってきた作品だったということを大塚は以前話していたが、物語が誰かの口の端に乗るという行為を問い直し、物語をつむぐという自らの作家としての立ち位置を、新劇という異なるメディアを通すことで問い直した作品であったようだ。
本劇の脚本の後書きで大塚は、ものすごい勢いで大衆へ流布していくオタク作品の性質を、過剰なまでの翻訳の容易さ、というように表現している。大衆消費芸術は時として、企業や国家による強力な広報活動を伴わなくとも、広く一般へ流布することがある。ただその条件は誰にも分からない。この新劇は、その不思議な境界線と長く戦い続けてきた大塚のひとつの解だろう。宮崎 勤事件など、彼のライフワークに絡むギャグもちょいといと挿入されていた。大塚英志の作品は多分、こういう屁理屈の塊のような脚本の方が面白い。のかも。新宿の紀伊国屋サザンシアターで、4月4日まで。
著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 22:22:31