なんかAmazonにレビュー投稿したんですが、割りといつまでも公開されないので自分のところでも出しときます。
本作の冒頭から衝撃だったのは、情報社会化の進んだディストピアがどうなるかを描くという作者の覚悟が、はっきり示されているところだ。
それは、みんなが「悪」だとみなした存在を、みんなが自主的に、そして多分、嬉々としてリンチする社会だ。逃亡する女の子をSNSからのリアルタイム情報で時々刻々マッピングして現在地を割り出すシーンは、中々に恐ろしかった。そんなSNSの名前は「キズナトピア」というのだ。もちろん2011年の漢字とされた「絆」が元ネタだろう。

図1. 里好『ディス魔トピア 1巻』 (2012) P.10 より
『1984』や『時計じかけのオレンジ』といった過去の著名なディストピア作品と違うのは、もはや我々とは遠く距離の離れてしまったソ連や共産主義の暗喩ではなく、現在のネット世界の皮膚感覚に圧倒的に近い表現になっているところだ。カバー裏面のあらすじにもあるように、それはそれは見事な「相互監視社会」なわけである。
そういう重苦しい社会を描いた本作だが、読後の我々にはある種の爽快感が残る(といってもまだまだ物語は序盤だが)。それは主役のかわいい女の子達の、他を圧倒する絶対的な暴力がもたらすキモチヨサの賜である。そして、どうもそれは「魔法」らしいのだ。
何ということだろう、この作品は、見事な二重構造になっているじゃないか。物語中で悪を打ち破ってくれるキモチイイ美少女達は、実世界には存在しないいわゆる「非実在青少年」なわけである。実世界に存在しないからこそ、この非実在の少女たちは「魔法」を担える存在であり「魔女(自称は「魔法少女」)」足り得るわけである。つまり、ディストピアを打ち破るこのキモチヨサ、この物語は詰まるところ全部「嘘」なのである。それを明示し強調するために、情報社会の現在が示す負の未来を組み込んで現実感を高めているわけ。そう、本作はちゃんと、『ビューティフル・ドリーマー』で押井守がオタクに売った喧嘩を内包しているのである。
みんなが嬉々としてリンチする相互監視社会は、幻想の中でしか壊れてくれないのだろうか。草薙素子が言うように、空想とともに「耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ」なんだろうか。それとも何か道があるのだろうか。多分、里好さんはそこまで描いちゃうんじゃね?
蛇足で作画面についてですが、キャラクターの描写については『うぃずりず』からの優れた実績があるので何も追記することはありません。本作でのShade+ハッチングテクスチャという背景のテクニックはとても良く画面をシメており、十全な効果を上げています。
里好さん、これはすごいです。心から尊敬します。
著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2012-08-14 03:54:16