ヒップホップとかラップとかストリートダンスとかの類って、「なんとなくカッコイイもの」と思ってる人が多いではないですか。で、そういう人達てのは、そういう活動をする理由として、よく「自己表現」や「自己実現」ってのを挙げるんですね。「自分のスタイルを表したい」とか「オレの生き方・考え方を<以下略>」とか。
で。世間的には全然カッコよくない文化に長いこと浸ってる私が言うのもなんですが、彼らってすげーダサく見えるわけですよ。痛いっつうか香ばしいっつうか。
何故かといえば。彼等は何かといえばすぐ「自己実現」を口にしますが、その実現の方法ってのは、既に誰かの与えてくれた手法なわけです、ダンスでもラップでも、全部既出で所与。それを適当に模倣してるだけ。本人は悩んでるつもりなんだろうけど。本来の「自己実現」とか芸術なんていうのは、そういう手法そのもの、新しいスタイルそのものを作らねばならない。あるいは、卓越した技術で既存のスタイルの完成度を劇的に高めるというのもアリだろう。でも、そういうことができない人は、全員「フォロワー(後追いでくっついてくる人)」でしかない。さらに痛いポイントとして、その全然オリジナリティのない自己実現を、「自分のスタイル」とか言い放っちゃう。もはや腹よじって笑うくらいに香ばしいわけです。手法から思想まで須らく誰かのパクリやんけ、と。リスペクト言ってみたいだけちゃうんか、と。流行に乗ってるという共時性の気持ちよさをカッコよさだと勘違いしてる。あー腹イテー。
まぁその香ばしい構図ってのは、ヲタ絵な世界もかなり相似を描いてるわけで、あんま人のことあざ笑ってると火の粉がバラバラ降ってくるんですが、でも1つ大きく違うのは、ヲタ絵師はあまり声高ではないことが多いので、「俺のスタイルが~」とか口走っちゃうこともそれほどない。なので、痛々しさや香ばしさは内側に向かうことが多く、あまり他人の目には触れずに済みます。時々その内輪っぷりが「キモッ」とか言われたりはしてますが、多額のプロモーション費用かけて全国に顔と恥を晒す音楽業界とは違うわけです。
でも、何をトチ狂ったか、そういう痛々しい「自己実現」宣言をするオタクも近頃は結構いたりして。ヲタがかっこいいと思ってる輩。ヲイヲイ、と。サブカルにもなれないヲタクカルチャーに属してる人間がそういうことを言っても痛さ 256 倍だって。自分がただのフォロワーだと気付いても、粛々とヲタ絵描き続けてていくような、そういうところなんすよ、ヲタ世界は。まぁ牛鮭定食でも食ってろと。確かに一部のマスコミとかは、時々「世界に誇る日本の漫画文化」みたいな煽りをくれるけどさ、そりゃただの煽りか、単に勘違いしてるだけだって。
著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 00:47:39