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中年のウェブへ

初めてウェブページを見た時のことを覚えているだろうか。この場合、Mosaic 以前以後や Netscape 以前以後での分類では、あまり意味を成さない気がする。Windows95C 以前以後辺りの分類の方が適切なのではないかなぁ。Windows95 以前のユーザは、サーバと共にウェブと接していたが、Windows95 以後の人間は、クライアントとして接しだしたからである。かつて、ウェブはフロンティアだった。未知の領域だった。誰もがそのメディアに参加すること、それ自体を楽しんだ。しかし、ある臨界点を超えた時から、ウェブは通常のメディアとなった。ウェブに参加すること自体を楽しむ人はほとんどいなくなった。現在新しくウェブに触れた人は、他のメディアに触れた時と全く同じように、メディアへの興奮は覚えず、コンテンツに対する感想しか持たないだろう。ウェブは老けたのだ。

ウェブというインターネットアプリケーションには多くの利点と欠点があるが、利用者側から見た大きな欠点を1つ上げるとすれば、コンテンツの永続性が異常に低いという性質がある。これは10年前から全く変わっていない。ウェブは非常に容易に改変されたり消されたり移動されたりする。比較的永続性があるかと思われた大学のサーバ上のコンテンツも、学生が卒業すると次々と消えた。コンテンツが、その作者の実生活(又は企業の経営状況など)と密接に連携しているというのも、ウェブの特長の1つだろう。他のメディアではコンテンツと作者との距離が大きく、生み出されたコンテンツは、作者の生活環境などとは切り離されて、それ自身が勝手に存在するようになる。過去の多くの有益な情報は、製作者の生活環境の変化によって、ウェブ上からほぼ永遠に失われた。

ウェブのフラット性は発明者が意図した通りだから好いとしても、こんなにコンテンツの永続性に欠けるものだとティム・リーは予想していただろうか。もともとは学術論文などの共有を狙ったシステムなのだが、一般人の情報の永続性に対する意識を甘く見ていたと思う。だが、自分のコンテンツを編集してまとめあげてくれる他のコンテンツディストリビュータとでもいうべき存在がいれば、コンテンツは長く生き残っていくことができるだろう。例えば GNU のソフトウェア群には、もはやネット上に存在しない人間からの過去の貢献が幾つもあろう。

ウェブは、誕生当初から常に誰か / 何かの編纂と保存を必要としてきた。手動登録によるウェブの階層化を行った Yahoo! は1つの解だったが、ウェブ上の情報量が爆発的に増加して変化のスピードが処理能力を上回ったため、すぐ破綻した。Windows ユーザなら、窓の杜の編集方針変更を覚えているかもしれない。あれと同じである。多少オープン性を打ち出した Open Directory も、根本的には何も変わっちゃいない。こういうアプローチではウェブに追いつけない。Google ランキングという、動的な仕組みをに任せるアプローチは非常に面白いと思うし、成功したとも思う。ただ、あれは編纂をされているとは言えないし、キャッシュではコンテンツの永続性を支えきれない。archive.org には編集能力が無いし、収集が恣意的だし、何しろ一元管理というのはインターネットの在りようとしては望ましくない。何か、コンテンツの永続性を支える技術、というか仕組みか、あるいは社会制度が必要だろうなぁ。

ただ、繰り返しになるが、図書館型のアプローチは確実に失敗する。以前某大学でそういうアプローチの研究している人がいたが、バカな人だなぁという印象を持ったのを思い出した。まあ結論としては P2P を使うしかあるまい。なんか考えてた割りに結論がつまらない。ブログが P2P の URI を指示できれば、やや俺の理想に近い気がする。セマンティックウェブがもう少しまとまってくれれば、何か変わるだろうか。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 00:23:26


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