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論理の写像、人の写像

MSBlastワームを駆除しようとするワームからの http アクセスがものすごい数になっています。日本中の Windows ノードに多数感染しているのでしょう。つないでるだけで感染するワームってのがついに一般人の元まで来たんだなーと、/var/log/ 以下を眺めながらしみじみ感慨に浸ってます。

自前のマシンを 24 時間 365 日つないでおくことが大衆にとって前提になる世界というのは、当分来ないどころかもしかしたら金輪際来ないかもしれいが、そうでなくても、マシンを 24 時間晒せる人と、自前じゃそんなことできない人との差は、いろいろな部分で付いている。自前でできる人が使えるサービス(サーバが提供するモノという意ね)と、そうじゃない人が使えるサービスには、否応なく差が付く。named や popd、smtpd を自由に動かせる・動かせないの違いは、利便性において結構な差だ。自宅鯖でこれらのサービスを動かせるとかなり便利だ。だけれども、誰でも気楽にそういったサービスを動かせるようにはなってない。インターネットという枠組みの中では誰にでも許されていることだし、実現可能なハードは行き渡っているのに。

何故できないのかといえば、それは「知識差」や「技能差」なわけで、その知識的な差異をビジネスチャンスと考えて、コンサルやシステム構築や教育などで稼ぐことを考えるというのが現状の在り方なのであろう。でもその方向性は本当に正しいのだろうか? 大体、普通の人はウェブしか使わない。というか、「ホームページ=インターネット」という糞のように情けない等式が成立している。この状態で、インターネットでは個人が勝手にサーバおっ立てて自由にサービスを開始できるんだと唱えてみたところで、その意味が伝わるわけがない。そういったことをやりたがる人、知識差や技能差を埋めたがる人そのものがグンと減ってしまうんじゃないかという気すらする。

例えば、現『伺か』は SSTP という面白そうなフレームを提供してくれた。だからそのフレームを利用して俺は簡易チャットツール作ったし、『SSTP Bottle』なんていうアイディアが生まれたりもしたわけだ。というか、HTTP だって、ティム・リーのアイディアが便利そうだったからみんな使ってみたに過ぎない。ちょっとしたアイディアを「hack」する力があれば新たな世界を切り開けるというインターネットの魅力、自由さというオプション価値が、「ホームページ=インターネット」の人たちに伝わることは、多分ない。インターネット本来の面白さというのは、自由さという夢ではなかったのか。この夢は、経済的な意味合いやコミュニケーション云々というレベルでの話ではないのだ、俺の中では。「白い紙とえんぴつさえあれば何でも描ける」というような、表現の自由、創造の自由だ。

そういった自由はやや失われつつあると思われる。インターネット自体がインフラとして定着してきているからなのだろう。でもインターネットは、進化の幅を減らしてしまっている。とても残念なことだ。絵やマンガを見たり読んだりするだけの消費者が大多数であるように、単に利用するだけのネットワーク消費者が大多数であることは別に構わない。だが、それなりの数の子どもは放っておいても絵を描きたがるけれども、今の子どもを放っておいたらプログラムをしたがるだろうか?

プログラムは、脳内の論理を写し取った記号の羅列だ。それに興味がもてない人が多いのだとしたら、つまり人は論理に興味が無いということに他ならない。ということは、論理の組み立てを必須とする学問に興味がもてる人も少数だということであろう。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 23:47:28


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