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絵描きの生き方

絵描きや音楽屋などの生きる方法ってのには、大きく分けて 2 つあると思う。1 つは、多くの人に見てもらって鑑賞料を頂く方法。原稿料という形であったり同人誌の売上だったり、色々なバリエーションはあれど、今の多くのフリーの絵師は大体こういう方法を取っている。もう 1 つは、特定の金持ちにウケるものを描いてその金持ちに養っていただく方法。鑑賞する人間は極めて少ない。昔の王族や貴族の下で絵を描いたり曲を作っていた画家や音楽家なんてのはこのパターンだ。

じゃあ現代において、企業に雇われている絵師やデザイナーってのはどっちなんだろう? 多くの人に見ていただかねばならないという点では前者だけれど、上司やクライアントに逆らえない点や、ある程度の生活は保障されている点などでは後者だ。2 つを折衷した現代資本主義社会的なあり方だと思う。

さて。結局現代の商業芸術においては、自分の作品を多くの人に見ていただかねばならないわけなのだ。マンガにしろイラストにしろ、3次元のフィギュアでさえも、あるいは音楽、映画、小説など、全ての商業芸術は、コピーされて広められることを前提として作られている。自分の作品がたっぷりコピーされて市場に出回ることが、まず何よりも作者の義務なのだ。そして作者に直接お金が入ってくればなおのこと良い。しかし実はそれは二の次だったりする。コピーが出回らないというのが実はもっとも恐ろしい。良い作品なら自然に売れる? そんなことは絶対にない。一度コミティアにでも来てみれば、技術と売上にはあまり相関性がなく、プロモーションと「売るための文脈」が大事であることが分かるだろう。多くの人がどういう作品かを知れば、誰かは金を出してくれる。誰にも知られなければ、誰も出さない。多くの人に罵られるリスクも伴うが、声高に罵るやつは金を出して作品を買ったやつなのだから、実は大切なお客様だ。この仕組みを分かっているから、音楽業界はプロモーションと称してラジオやテレビその他で音楽をかけまって劣化させたコピーをばらまく。そうすることで、少なからぬ人が純度の高いコピーを買うわけだ。

で。劣化コピーではなく純度の高い不正コピーが出回るってのが最近問題になっているわけだが、純度の高い不正コピーを取り締まるために、劣化コピーすら作れないコピーアットワンスなどの仕組みを導入するのは、商業的失敗につながるだろう。単純に見てくれる人の数が減るからだ。商業芸術ってのは嗜好品だ。普通の人は、そんなもんを日々チェキするほどヒマではない。劣化させたコピーをばらまくというプロモーション活動を満足に行わずに、純度の高いオフィシャルコピーが売れると考えているのなら、致命的に愚かだ。

純度の高い不正コピーが出回るのを止めたければ、音楽同様に劣化させたコピーをオフィシャルにばらまけ。しかも大量に。例えば、15 秒の予告編だけで 2 時間も続く映画を“買わせる”のは無茶だ。もう少し工夫して劣化コピーをばらまけ。そうすれば不正コピーはずっと減るだろう。そして純度の高いコピーにもっと付加価値を付けろ。音楽業界の構造は糞だと思っていたけど、これからやろうとしている地上波デジタルがもっと糞な構造を作るつもりだとは思わなかった。今のままではあまり芳しい未来は待っていないだろう。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-27 22:27:21


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