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IPv6がもたらすもの

IPv6 は、end-to-end の完全な双方向通信をインターネットにもたらすとされている。少なくとも推す側はそう宣伝している。本当だろうか。NAT や proxy がもたらした弊害は大きいけれど、NAT 抜きで生きて行ってもらうには、ユーザの啓蒙が必要だ。でも、現在は NAT どころかアプリケーションゲートウェイのレベルでしか外につながらないような組織の方がほとんどだ。しかもたちが悪いことに、みんなこの状態が当たり前だと思ってる。いやもっと悪いな。http 以外使えなくても何の疑問も不便もない人の方が多い。そういう意識の人たちに IPv6 の理想を理解させるのは、ハードやソフトを置き換えるより莫大なコストが必要になりそうだ。

もちろん IPv6 を推してる人も、俺が数分間妄想しただけで思いつく程度のことは承知している。ぐぐってみたら、IPv6 は、「end-to-endの原則の瓦解を市場原理として受け入れるか、それとも、さらなるインターネットの自己革新を信じて end-to-end の原則を堅持するのかという選択」なのだという指摘がすぐ見つかった。

俺がどちらに付くのかといえば、当然 IPv6 を推す方に付く。end-to-end の崩壊を当然と受け入れるのは辛い。でも、もしかしたらそれがただの理想主義か、あるいは古き良き v4 時代へのノスタルジーなのかもしれないと、ちょっとだけ思っている。だって、みんな企業内部のネットワークでその原則が瓦解しているのは当然だと諦めてるじゃないか。この諦めの期間が長ければ長いほど、v6 の導入は難しくなっていくだろう。技術的にではなく、意識の問題として。頼むよ村井 純、希望は灯し続けてくれ。いや、下さい。さあ愚民を誑かせ我らが村井 純!

だから、今後の end-to-end 通信や IPv6 について漠然と危惧しているのは、IPv6 と v4 のネットワークは、使用するデバイス、ソフトウェアの違いやユーザの技術力などを反映して、住み分けが進んでしまうんじゃないかなぁという点だ。緩やかな移行じゃなくて。今後 20 年くらい v4 は現役かもしれない。それも一般人向けの主役として。その住み分けが、ある種のデジタルデバイドを産まないことを祈る。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:14


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