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レッシグは偉大だが全てのレッシグ支持者は偉大ではない

このままじゃ、クリエイティブコモンズは、一部のインテリとそのフォロワのオナニーで終わると俺は思う。GPL がある程度成功しているのは、ソースを書く「クリエイタ」は大体インテリでもあるという、2 層が一致する極めて珍しいケースだったからだ。現行の著作権法だって満足に浸透してないし、GPL をちゃんと理解してる人だって多くはない。そんな状態で、クリエイタに多くのリテラシを求めすぎ。クリエイタにとっては、そんなメンドイこと考えるよりなんか創る方が大事ではなかろうか。中間搾取してるだけにしか見えないレコード会社だって、クリエイタを雑務から切り離して創作に専念できる状態を作るってことも、やって来てるんだよ(でも、みんなクリエイタって存在にドリーム見過ぎ。実際は泥臭い非創造的作業も少なくない)。そうはいっても、そうやってクリエイタを「保護」してあげよう的な考え方って、コモンズが求める世界とは逆になるわけじゃん。クリエイタには、要するに自立が必要なわけよね。自立っていうとカッコイイけど、じゃあ、みんな会社や学校辞めて自分の腕だけで食っていく覚悟ができる? もともと身分の不安定な多くのクリエイタにとって、編纂業務を行っている企業というのは、数少ない拠り所の 1 つなんだ。それを切り捨てろというのは酷だ。というわけで、状況がもっと切迫しない限り、CC なんてムリではなかろうか。

……と俺は漠然と考えるわけだ。もし今のまま CC が広まったとしたら、CC層 と 非 CC層 の分化が起こるような気がする。おお、一転してアカデミックな表現だ。んで、それは、如実にリテラシの差を反映してしまうのではないか。クリエイタとしての技量なんかは関係なく。だってさ、『コモンズ』って、気楽に読める本ではないじゃん。これちゃんと読んでちゃんと理解してるのってどういう人達? 少なくとも貧乏クリエイタ層じゃないよね。で、そういう理解できる人ってどういう社会的レイヤにいるの? 利益が非明示的で啓蒙が必要な変革! オワットル。つまりさ、そういう形での「変革」って多分ムリなワケよ。まあ、そういうのを信じて実行するのがインテリの責務なんだって言われれば、そうなのかもしれない。でもこのパターンでは歴史上に失敗例が豊富だから俺は全く期待できない。

110年前に作られた曲『ハッピーバースデイ』さえ自由に歌えない ような現状に変革を起こしうるとしたら、とてつもない能力と影響力を持ってるクリエイタが、多数のファンと共に、「変えちまえ」と唱えた時くらいだろう。だからさ、どうせ啓蒙ならもっとそういう方向で動いて切り崩す方が早いんよ多分。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:59:00


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