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無意味の痛み

心理学には、強制承諾という、面白い考え方がある。認知的不協和理論という理論の一部なのだが、はしょって説明すると、辛い経験をした人に「自分の経験は全然辛いものではなかった、いやむしろ楽しかったよ」と嘘を吐かせると、本当に楽しかったと信じるようになる、というものだ。

これは有名な実験だから聞いたことのある人も多いと思うが、あるつまらない単純作業をさせられた被験者に「この実験は楽しかったと他人に言え!」と金で強要する。この時、1ドルで強要された被験者と、20ドルを渡された被験者とでは、どちらがより「あの単純作業は楽しかった」と思うようになるだろうか。

答えは、1ドルを渡された被験者である。

20ドルもらった被験者は、つまらない作業をさせられてしかもそれが面白かったと他人に嘘を吐いたけど、まぁ20ドルもらえたからいいか、と自分を納得させることができる。でも、1ドルを渡された被験者は、つまらない作業をさせられ、しか嘘を吐かされたのに報酬はほとんどゼロである。とても理不尽だ。

だから、1ドル組は「あの実験は無意味じゃなかった! 楽しかったんだ!」と自分の認識を変えてしまうことで鬱屈する不満を解消しようとする。さらにとてつもなく厄介なことに、自分が認識をゆがめてしまったことに全くの無自覚である。人間て、自然に「ポジティブシンキング」やるんですよ。

例えば、レベル積み立て型のネトゲは、プレイヤーの爆発的な労力を必要とする。だから、ひとたびその労力をかけてしまった人間は、そのゲームがどんなに糞であってもなかなか否定することができず、楽しい楽しいと繰り返し周囲に主張することになったりして、そのうち本当にそう信じられるようになったりする。

さて。「野球部の練習は大変だったけど、今となってはあれだけしごかれたのもいい思い出だ」、「あのプログラムの仕事は大変だったけど、今となってはあれだけ残業させられたのもいい思い出だ」、「アニメーターの仕事は大変だったけど、今となってはあれだけ低賃金<以下略>」、「ベトナム戦争は大変だったけど、今となっては<略>」、「太平洋戦争<略>」。過去の辛い経験を美化しだしたヤツの言うことには要注意である。

このレオン・フェスティンガーの理論を自分に当てはめるのはムチャクチャにイタいので、丁寧に考えていくと鬱になる。

あなたの辛い経験は、全くの無意味かもしれない。人間は、無意味という痛みに耐えられない。そして、信じたいものを信じる。もしその時信じたいものがなければ、自分で作ってしまう。現状を変えるより、その方がずっと楽だからだ。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:50


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