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七夕妄想解釈

織姫は、その名のとおり機織を生業としていた女性であったのだろう。牽牛も字のとおり、牛を飼っていたに違いない。牧畜なのか農業なのかは分からないが。つか、これまともな名前じゃねーな。むしろ職業名か称号みたいなもん? 記憶を振り絞って七夕の伝説を思い返せば、“働き者だった 2 人が結婚したところ、いかがわしい 18 禁な行為にばかり勤しんでいるので、その熱愛ぶりに嫉妬した 怠惰に激怒したエラい人だか神様だかが天の川の両岸に 2 人を引き裂き、年に1度の逢瀬のみ許した”、というものだったと思う。

さて、このお話がいつ生まれたものなのかは知らないが、暗示されている教訓を抜き出すのは簡単だ。

  • 男は外で仕事しろ
  • 女は家で働け
  • 昼間っからやりまくってんじゃねぇ
  • がんばってればたまにご褒美あるんだから、なまけるな

これらから、この物語の聞き手として想定しているのがどういう人達なのか妄想してみよう。

まず、男女の理想像が描かれそれぞれの社会での性的な役割(ジェンダーね)が固定しているということは、職業が専門化し分業が行われる社会になっているということだ。社会が複雑化し高度化し様式化していなければ、この物語は通用しない。また、「やりまくるな」という教訓が含まれてるということは、逆に言えばそれなりに遊びでセックスするくらいの社会的な余裕はあるということでもあろう。現代の日本において、「ひきこもるな」と社会がメッセージを発するということは、ひきこもりが存在するだけの社会的な余裕があることを意味しているのと同じだ。それに、もし戦乱などで人的リソースの損耗が著しい場合は、産めよ殖やせよ的スローガンになるはずだから、爆発的な人口の増大を求めない、安定して平穏な社会であることがうかがえるだろう。ちゃんとご褒美を毎年用意できるというところからも、社会の安定がうかがえる。

なんか、これってこの前までの日本の姿に似てるような気がしない? 高度経済成長期を知っている大人がその子供に聞かせるのには、なかなか悪くない題材なわけだ。だから、我々はこの物語を知っているんじゃないのかな。

こういった物語は、時代によって細かい部分が変わっていく。それは、社会がそうあることを求めるからだ。今発刊されている絵本の桃太郎は、鬼を殺さなくなっているという。かちかち山の狸も死なないみたいだ。子供のときからそういう話ばかり聞いていれば、昔はどういう話だったのかなんて誰も気にとめない。そういえば、数年前には『本当は恐ろしいグリム童話』なんて本が売れたよなぁ。グリム童話だって、社会の求める姿にだんだん変形していった。もともとディズニーのような脳内お花畑満開のアメリカ的ハッピーな物語というわけではなかった。というわけで、すっかりおなじみの七夕の物語も、歴史と共に変わってきた部分があるんじゃないかなぁ。もし大きく変わってないとしたら、受け入れられなかった時期や地域というのが存在しているんじゃないだろうか。

今のところ詳しく調べてみる気はない。まあでも、誰か調べてそうだなぁ。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:23


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