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無関心でいるために関心をもつ

俺は政治的な活動ってのはでぇっ嫌いだ。自分に好意を持っているかどうかもわからない上に理解力の足りない人に自分の意思を的確に伝えてなんらかの行動を起こしてもらうなんて全然好きじゃない。まあオタクだしそんなもんだろ。しかし世の中は広い。そういうのが好きな人もいるらしい。一種の征服欲が満たされる喜びを求めてるのかもしれないし、信念が達成される満足感なのかもしれない。いずれにしろよく分からない。

そんな俺でも、政治的な部分に無関心でい続けるのは難しい。青少年健全育成基本法で表現規制とか児童ポルノ法での絵の規制とかさ、ああいうオタクの首を絞めたがるのって、行政側が何らかの悪意を持ってしかけてくるように見えるじゃない、ヲタの身としては。でも最近、そういう行政とかの意思決定できるようになる人たちとかをわりと近くで見てると、思うんだ。こいつら、悪意なんて別にないんだろうなぁ、って。

なんでって、オタクじゃない人はオタクを全然知らないから。考えてみてくれよ、非オタクたちは、あの東浩紀の『動物化するポストモダン』を読むくらいしか、オタクやその行動様式を知る術がないんだぜ (それ以前は大塚英志の『物語消費論』だよ。自分の作品の売り込みのために考えたことを取りまとめたあの本)。ああいうのを読んだら、いまのオタク達が目指すべき目標や価値観というようなものを失っていて、即物的に楽しんでいるだけっていう風に解釈されるだろうし、さらにタチの悪いことにそれはオタクの一面の分析としては極めて分かりやすい形で現状を説明している……いや、もってまわった言い方を止めれば、正しい分析だと思う(細かい間違いは多いけどな)。明確な目標を持って生きていくことが当たり前のエリートたちやハイソサイエティにとって、そういう生き方ってどう映ると思う?

「社会のためになる正しい道を与えてやる」になるか、「バカは遊ばせておいてガンガンむしりとってやる」の二択になると思わん? だからさ、むしろ青少年健全育成なんてのを目指してる方はまだオタクにとってマシなのかもしれないよ? 彼らの多くは、純粋に善意でオタクを更正させようとしてくれてるのではないかと思う。そして、それがいかに勘違いであるかを指摘してくれる人は誰も周囲にいない。オタクで大きな声を上げてるのは、政治闘争そのものが大好きで日々「粉砕」とか「勝利」とかしてそうな左翼系で、ちょっとヘンで、関わりたくもない人たちばっかりだったりするし。

「社会のためになる正しい道を与えてやる」ってのは、テレビとか映画とかの比較的メジャーなメディアで目指されていると思われる。この手のメディア戦略が有効なのはいまさらいうまでもなかろう。たとえば、NHKスペシャル の『映像の世紀』には、第一次大戦時に戦時国債売り込みをやっているチャップリンが映っているし、エイゼンシュタインリーフェンシュタール 辺りは有名どころだから、傍証は十分だ。今だってマスメディアはやってんだろうけど、最近はちょっと視聴者も知恵つけちゃってるんだよね。

一方「バカは遊ばせておいてむしりとる」ってのは主に商売人の発想だから、国策としては取りにくかったと思う。でもさ、国もいわゆるポストモダン状態だったら、国としての理念なんてものを重要視するより、商売人の発想を優先することもありえるよね。そもそも、産業を維持するってのは国のためになるわけだし。そして最近、行政がオタク関係の生産側の方へ色々と首を突っ込もうとしてる。色々なことを知らないままに。大体、東の本なんかに目を通してるのはまだ勉強している方で、大体は日経とかが宮崎や押井煽ったのを真に受けてるだけだろう。

まぁ、山形浩生が危惧していたようなことが現実に起こらんようできるだけくちばしをつっこむってのが、せいいっぱいの俺の良心だろうな。

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2006-09-26 17:58:17


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