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「情報モラル教育」の正体をよく考える

悩ましく胡散臭い「情報モラル教育」

「情報モラル教育」というのは、小学生やら中学生やら高校生やらに、インターネットや携帯(なんでこういう風に二分するのかは不可解だが)の社会的に適切な使い方を教えて、青少年がネット上で犯罪を起こしたり巻き込まれたりしないようにしましょうってことなんだと説明すると、何となく「そうかなぁ」と納得する人も多いかもしれない。

しかし、青少年ネット規制法という悪法を一番初めに取り上げてしまった因果で、情報モラル教育だの情報リテラシー教育だのというのに関わってみた一年だったが、どうも「情報モラル教育」というのを口にする人達は、「インターネットは匿名だから犯罪が多い」だとか、「携帯電話を使うといじめが流行る」だとか、何だか胡散臭いことを言う人達がいっぱいいることが分かった。

彼らにとっての「情報モラル教育」ってのは、インターネットや携帯電話を自由に使わせないことであったり、どこかの大企業が管理している商売気たっぷりのサイトだけを見せようとすることであったりする。その場合の「情報モラル教育」ってのはつまり、「『インターネットの利用』という装飾を用いて、一部の人のエゴやイデオロギーを押し付けたり、上手に商売したりすること」に他ならない。

そういう押し付けと「情報モラル教育」がどう違うのかという問いに、歯切れの良い答えを出せる人は、この1年で出合ったことが無い。俺が出合った真面目な人、信頼できる人達は、みんな悩んでいた。

「情報モラル教育」と「モラル教育」の違い

そもそもの前提として、インターネットはただの技術の寄せ集めに過ぎない。まあしかし、「技術は完全に中立だ!」というつもりはない。インターネットというIPの網にしても、あるいはそれを利用するメールなりウェブなりのアプリケーションにしても、あるいはウェブなりメールなりといったアプリケーションを利用するコミュニケーション(つまりは「2ちゃんねる」なり“mixi”なりのことだ)にしても、それらの仕組みが人間の善意なり害意なりを増幅させるということは確かにあるだろう。

では、「技術に善悪はあるのか」という中々結論の出せない高尚な議論を小中学生にもさせることが「情報モラル教育」なんだろうか。

俺は違うと思う。ネットいじめだのなんだのとマスコミが取り上げるような事件のベースにあるのは、子供同士の悪意のぶつかりあいだ。子供同士の悪意や害意というものは、技術そのものの善悪云々という抽象的な問題とは異なり、抜き差しならない日常生活として、彼らを取り巻いている。ネットがなくなっても、いじめがなくなりはしないのだ。

だから、技術に良し悪しがあるといったことを教える前に、まず「人間は、他人に強烈な悪意を向けることもあるが、社会で生きるならその悪意を制御しなければならない」ということを真っ先に教えるべきだと俺は考える。これが、本来の「モラル教育」、つまり「道徳教育」として何よりも先にやっておくべきことだ。

「情報モラル教育」というなんだかよく分からない言葉は、本来人間が持っている悪意や害意について教えるという、公教育や地域社会や親などが果たすべき、基本的な道徳教育の責任を、「インターネット」という仕組みに、転嫁してしまいがちだ。つまり、「インターネットという自由で匿名の空間があるから犯罪が起きる論」だ。それは大嘘で、他人への悪意や害意をドカンと発露させる人間は大勢いるし、アナタ自身がそうしたくなることもあるだろう。そこにたまたまインターネットがあり、掲示板があり、ブログがあった。モノの順番としては、そういうことだ。

だが、その順番は混乱しており、「情報モラル教育」というよく分からない言葉は、

  1. ① 人間の持つ悪意や害意を教えるということ
  2. ② 技術を通して表面化する悪意や害意を教えるということ
という2つの側面をごっちゃにしてしまっている。

「技術」を教えれば解決するのか

上記の①が「モラル教育」として広く行われるべきなのは、まあ異論の無いところだと思う。では、「情報モラル教育」というのは、まず①のような「モラル教育」を行った上で、そこにプラスしてインターネットやら何やらの技術的な部分を教えることなんだろうか。

でも残念ながら、技術を通して発露する悪意や害意は、触りだけの技術を学ばせることによって解決するわけではないのだ。文系のみならず理系の先生にも、ほとんど触りだけしか教えられないというのが実態だから、その程度を知ったところで、2ちゃんねるで時々ほとばしっている人間の悪意や害意から来る攻撃を抑止できるわけでもないし(っていうか、社会的な悪意は技術的にはあまり防御できない)、そもそもその悪意が消えて無くなるるわけでもない。せいぜい、悪意の発現パターンを知ることができるだけだ。でもその発現パターンは、様々な要因で日々刻々と変化し、新たな発露パターンが次々生まれていく。だから、対策は場当たり的にならざるを得ない。

例えば以下のようなことを子供達に教えようとしても、教える側の違和感はぬぐえないし、異論も噴出する。

  • 「インターネットで住所氏名を書いてはいけません」
    • →じゃあ通販とか銀行のサイトとかどうするんだ?
  • 「ブログなどで個人名を特定できるようにしてはいけません」
    • →俺は個人名特定されまくりだがその方がメリットあると思うよ?
  • 「怪しいサイトで本名を書いてはいけません」
    • →怪しいかどうかは誰が決めるの? 国? 親? 先生? 俺はこのサイトで名前を晒すのは平気だが、スパム投げまくりのショッピングサイトで本名やメールアドレス書くのには抵抗あるよ?

まあ、「気安く住所氏名などを晒すな」ってのは今の日本においては蓋然的には正しい教え方だけど、10年ちょっと遡れば、みんなニューズグループやMLで顔も本名も晒してどつき合いのようなコミュニケーションをしてたのだし、現在だって日本以外の地域ではどうだか分からない。少なくとも、長く教え続けられる真理では無いだろう。

「犯罪自慢をしてはいけません」なんてのも確かにその通りだけど、っていうか犯罪するなってことだけど、でも2ちゃんねるの管理人ひろゆき氏は、長いこと 「実録!交通違反の揉み消し方」 なんてタイトルでそういうサイトをやってたんだぜ? Download板やVIP板は、著作権違反をある種自慢しているような部分もあるし。犯罪自慢をしてバッシングされるってのも、必ずではないんだよね。

この手の教育とやらが、「べからず集」、「○○してはいけません」の繰り返しになることの問題は、そういう場当たり性以外にもある。

例えば「掲示板でいじめをしてはいけません」、「メールで悪口を書いてはいけません」、「プロフに自分の顔写真載せてはいけません」その他諸々。でもさ、いじめにしても、悪口にしても、自分の裸をプロフィールに載せるのも、良し悪しはともかくとして、子供達はやりたくてやっているんだよね。ネット上でのいじめを止めさせても、誰かをいじめたいという黒い感情が消えるわけじゃないし、裸の写真を取り締まっても、注目を浴びたいという欲求が消えるわけでもない。ここには、子供達のプリミティブな欲望と、社会のルールとの間に大いに齟齬がある。そして、この齟齬を矯正してしまう強制力こそが、近代の国民国家における教育というものでもあろう。

ここまでをまとめよう。「技術を通して表面化する悪意や害意を教える」というのは、場当たり的になりがちだし、しかもその教えは子供のプリミティブな欲望に反していることが多いので、押さえ込むための強い力が必要になる。

よくやってしまう良くない教え方

そこで、だ。国家レベルで効果のある「情報モラル教育」は、どういう形態を取ることになるんだろうか。一番確実で手っ取り早いのは、子供達が反社会的な行動を取った時ペナルティがあることを示して脅すことだ。近代国家の教育は一種の洗脳であって、恐怖というのは洗脳のための有効な手法だということを踏まえて考えると、インターネットが、巨大で精緻な監視機構なのだと子供に教え込むのがもっとも手っ取り早いことが分かる。

つまり、悪事をした場合は、通信キャリア、ISP、アプリケーションなどの各レイヤでのログですぐ分かるんだぞ、そして警察はそれらを統合的に手に入れることができるんだぞ、ということで、さらに言えば、インターネットは警察が管理できるんだぞと脅しつけることが一番手っ取り早く子供を「教育」することができる。「犯罪予告をすると捕まりますよ」と脅すのは、そういう意味だ。

これはしかし、インターネットの「自律・分散・協調」という理想を学んできた技術者にしたら、屈辱的な話ではないか?

単に監視されているという恐怖で子供を脅してしまうのならば、中国やイスラム国家のように、政府がインターネットを監視し言論統制をしている環境と何も変わらない。これがインターネット時代の「情報モラル教育」としてあるべき姿だとは、とても考えられない。いや、考えたくない。そんなのは真っ平だ。たとえ、少なからぬ代議士がそうやりたがっているとしてもだ。

やるべきことは、やっぱりこういうことだ

インターネットを真に活用しようと思うためには、それが自由のためのアーキテクチャであるということを教えなければならない。つまり、「無責任な発言が自由にできるからインターネットが素晴らしい」のではなく、「自由な発言を許すことも許さないことも、どちらでも好きなように設計できる通信環境であるから守るべき価値がある」ということを教えなければならない。どんなにハードルが高くても、これを教えなければならない。これを踏まえた上でようやく、そういう場を維持するための「モラル」として何が必要なのかを考えることができる。インターネットとして何を守るべきなのかを分からないまま、見失ったまま、「情報モラル教育」をしてはいけないんだ。

それは、今のインターネットの寿命を縮める行為なんだ。

「犯罪予告をすると捕まるよ」と「犯罪予告をするとネットが窮屈になるよ」とは、少しだけ違う。この少しの違いにきっと光明があるんだと信じたい。

もうちょっとわかりやすく。

俺は、子供を脅すこと自体は、教育のメソッドとしてとても重要だと考えている。でも、「インターネットは怖いんだよぉ、だから気をつけようねぇ」っていうのは間違いだ。「この世には怖い人もいるから、インターネットでは気をつけようね」ってのは、嘘じゃない。この少しの違いが、致命的に重要なんだと思うんだよね。 (2009/05/14 12:31追記)

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著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-05-15 12:02:46


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