全文検索(S)

エロゲー規制派・児童ポルノ規制派の考え方の恐ろしさ

要約

公開したらいきなり「なげーよ」って言われたので、要約を付けておく。(2009/06/25 03:18追記)

  1. メディア(コンテンツ)はもちろん人間の行動に影響あるよ
  2. でも「悪」影響があるとはいえないよ
  3. エロゲとか児ポ規制派とかはそんなこと気にせず言いたいこと言ってるよ
  4. オマエラもっと怒れ

はじめに

先日livedoorで「レイプレイ事件」のコラムを書いたけど、あれで言い足りなかった(ていうか編集が入ってよく分からなくなったところがある)ので、長文だが俺の言いたいことを書いておく。

児童ポルノ法の審議入りも近い。エロゲー規制に加えてどこまで与党案が盛り込まれるのか、大変憂慮している。だが、規制反対派にはヒステリックな反応をして欲しくない。そのために、できるだけ分かりやすく「メディア害悪論」と「ポルノ規制論」についての俯瞰を提供したいと思う。

メディア(コンテンツ)は人間に影響を与えるのか?

メディア(コンテンツ)は人間に影響を与えるのかといえば、もちろん与えるに決まっている。メディアを利用して流布するコンテンツ、つまりは一定の情報が人間の思考や行動に影響を与えるか? という命題は、紛れも無く真だ。

コンテンツは人間を一定程度コントロールするから、「プロパガンダ」という概念がある。結局イラクに大量破壊兵器は無かったじゃないか。でも、「ある」という情報を流し込まれれば、人間はその情報に基づいて一定の判断をし、行動を起こす。情報が人をコントロールするのは紛れも無い事実だから、「情報戦」という概念もある。もっと単純に考えても好い。「明日は100%雨が降る」という天気予報だってコンテンツだ。アナタの行動に影響を与えないわけが無い。

より卑近な話になるが、オタクなアナタはエロマンガでオナニーしてるんでしょ? エロゲーで抜いてるんでしょ? 別に恥ずかしがることもない、クリエイタは、アナタがそういう用途に使ってくれるよう、血を吐きながら創っているんだから。それはつまり、エロマンガやエロゲーがあるお陰で、アナタのリアルワールドでの行動は変化しているってことだ。そもそも、その作品を消費するために、他の趣味なり仕事なりの時間を削るわけじゃん。引きこもってる人だって、ゲームに熱中して飯を食い忘れたりなんてことがあるだろう。つまり「機会損失」を出しているわけだ。こういうのをひっくるめれば、「コンテンツは人間に影響を与える」って言うしかない。エロゲー規制児童ポルノ規制反対の人も、まずこれは認めよう。

既存のメディアについての学術的な研究をものすごく大まかにまとめれば、

  1. 人間はメディアに言われた通りに動くぜ(強力効果説)
  2. おいおい、人間はそんなバカじゃねぇよ(限定効果説)
  3. いやいや、やっぱり結構影響あるでしょ(議題設定機能説等)
という歴史的な変遷を辿っている。詳しく知りたい人は、吉見俊哉の『メディア文化論』辺りを読むと良い。優れた入門書だ。

現在一般的な考え方は、「結構影響がある」が基本だ。しかしここで注意して欲しいのは、「影響がある=悪影響がある」ではないことだ。

コンテンツが「悪」影響を与えるという考えが正しくないわけ

メディア(コンテンツ)が人間に影響を与えるのは確かだが、「コンテンツが人間や社会に悪影響を与えるか?」という問いになると、急にどっちとも言えなくなるのだ。何故なら、①「悪」という価値判断をしているのは誰か、②ある人間がどれくらい「悪」なのかを誰がどうやって判断するのか、という2点の極めて難しい問題を孕むことになるからだ。

まず、「悪」という判断が、例えば為政者であったり、特定の利害関係者の価値に基づくものだとしたら、その判断はフェアとは言えない。例えば、中国が共産党に反対する言論を「悪」とすることや、キリスト教徒がイスラム教徒の価値観を「悪」とすることがフェアからほど遠いことは、容易に理解されよう。

もう1つの難しい問題は、その曖昧なる「悪」影響とやらが「どれくらい」「どのように」高まるのかをちゃんと測定できるのか? という点だ。

例えばワールドベースクラシックスのテレビ中継を見た後に、イチローの真似してバットを振り回したくなった中学生を考えて見よう。これは悪だろうか? あるいは、映画『スターウォーズ』を見た後にライトセーバーを振り回したくなったとしよう。それってその人間が暴力的になったのだろうか? そうだと言えばそうも言えるし、否定することもできる。教室や街中でいきなり金属バットのフルスイングを始めれば周囲を恐怖のドン底に叩き込めるだろうが、野球場でやってる限り誰からも文句は出ない。そして、1週間もしたらその子は違う遊びをしているだろう。こういうのは極めて短期的な影響であって、スターウォーズマニアも、恒常的に刀で人を襲うようになったりはしない。斯様に、「悪」影響というのは満足に定義もできないし、その影響を計測することも難しい。

2D格闘ゲームがブームの頃ぐらいから、「暴力的で残酷なゲームは悪い」という主張は繰り返し聞かされたものだ。「暴力性が悪い」というのは、その通りじゃないかと言う人もいるかもしれない。だが、これだってよく考えると曖昧な話だ。「暴力性」や「残酷さ」は誰の基準でどう測るのか? という問題が必ず付いて回る。

以上のようにややこしい問題を抱えているため、コンテンツには確かに影響力があるけど、「悪」と言うのはいかがなものか、という風に学者は考えるわけだ。

学者は何をやっているのか?

「悪」影響とは何なのか、どう計測するのかという問いに満足に答えることが難しい中で、メディアの影響を探るとする科学者の研究は色々進められている。しかし、当然ながらその研究結果は、割れている。

よく心理学の学生などが行ってしまいがちなダメな研究の例としては、被験者を密室に閉じ込めて2時間ほど格ゲーやシューティングなんかをやらせて、「イライラしましたか?」などと質問したりする類のものだ。この手の実験は、

  1. 慣れない環境や長時間の拘束などゲーム以外の要因でイライラしている可能性を排除できないという問題
  2. 短時間イライラすることはその人間が「暴力的」なこととイコールなのかという問題
などが解決されないまま、「ゲームは暴力性を高める」あるいは「あまり影響が無い」などの結論に結び付けられがちだ。慣れないコントローラでつまらんゲームを衆人環視の中2時間もプレイさせられたら、それだけで十分イライラできると思うが、それはコンテンツのせいではないし、そのイライラのせいで、今まで穏便だった人が急に暴力的な人間に変化するわけではない。あるいは、ゲームを冷静にプレイしたからといってその人が暴力を振るわない保障など、どこにあるというのだろうか。

当然まじめな学者達は、この辺を何とか定量化しようとがんばることになる。研究室に閉じ込めて行う心理実験などのようなのも含めて、科学者は色々な限定条件をつけて、「ある特定の場合ならどうにか計測できるんじゃないか」という仮説の実証を、延々試みているのだ。限定した条件の下での限定した影響については、量として示すことを可能にしよう、と試しているわけ。

そうするとどうなるかというと、絶対に一般化することができない特殊ケースについての実験や調査、統計が蓄積されていくことになるのだ。だから、この手の議論はあっちのケースではこうで、こっちのケースではこうで、という話ばかりが積み上がり、尽きることがないのである。

適当に紹介しよう。例えば、David Phillipsは、“Natural experiments on the effects of mass media violence on fatal aggression: strengths and weaknesses of a new approach.”(Advances in Experimental Social Psychology, Volume 19, 1986, p.207-250)という論文で、「全国ネットで放映されるプロボクシングヘビー級チャンピオン決定戦から4日以内に何の罪も無いアメリカ市民が少なくとも11人冷酷に殺される」と唱えている。これは、ボクシングのチャンピオンが全国規模のメディアで尊敬すべき人物として讃えられるため、その悪影響が出るのだという主張だと思われる。ポイントは、被験者を研究室に閉じ込めたりせず、犯罪の数字を使ったことだ。しかしこの主張はやや疑わしい。1980年代のアメリカの年間の殺人事件発生数は、年間約2万件だ。1日辺り50件を大きく越える。ボクシングの試合放映から4日間、1日2人~3人程度殺人事件の被害者が増えるという計算になるが、果たしてこれは本当に有意な数字なんだろうか?

今度は逆のケースを紹介しよう。Josephson, W. L.は、“Television violence and children's aggression: Testing the priming, social script, and disinhibition predictions”(Journal of Personality and Social Psychology, 535, 1987 p.882-890)という論文で、暴力的番組の視聴率が高いほど、暴力犯罪の発生率が低いという結論の論文を発表している。これは、396人の2年生と3年生の男の子に暴力的な番組と暴力的でない番組を見せ、その後ホッケーの試合をさせて暴力性を測定しようとしたものだ。問診票のチェックで元々暴力性が低いと判断された子供たちは、暴力的番組を見せたところ攻撃性が下がったという。この研究についても、例えば問診票で測れるナニカを「暴力性」とする、と定義しているだけであって、その人間がどれくらい他人に暴力を振るうかなどを測っているわけではないこととか、同様にホッケーの試合が荒っぽいことでその人間を「暴力的」だと評価するのってどうよとか、色々突っ込みどころがある。

まあ、以上のように紹介すると、学者ってのがバカの集まりに見えるかもしれないが、まじめなアカデミシャンは、自分達がやっているのが特殊ケースであって、コンテンツそのものやメディアという仕組みそのものに、善悪を押し付けられないことくらい、実はとっくの昔に分かっている。

ものすごく古い論文を紹介しよう。Schramm, Lyle, & Parker は、“Television in the lives of our children.”(Schramm, W., Lyle, J., & Parker, E. B. Television in the lives of our children, Stanford University Press. 1961)という論文の冒頭で、

ある子供が、ある条件下におかれた場合、いくらかのテレビ番組は有害だ。しかし他の子供たちが同じ条件下におかれた場合、あるいは同じ子供たちが別の条件下におかれた場合には、そのテレビ番組は有益となる。そして、ほとんどの子供にとって、ほとんどの場合テレビ番組は特に有害でも有益でも無い (俺訳)
と述べている。もはや1960年代の段階で、コンテンツ害悪論についてはほぼ結論が出ていると言える。ある子供にはあるコンテンツは有害であり、ある子供には同じコンテンツが有益であったりする。

例えば、『はだしのゲン』は今のところ有益なコンテンツということになってるだろうけど、アレは本当に有益なんだろうか? 反戦意識を高める人から良いということになってんだろうが、そもそもアレで反戦意識とやらは高まるのだろうか。で、それを高めるのは誰にとって良いことなのか。それに暴力やグロさがトラウマになる人もいるし、特高警察の拷問方法を熟読するガキだっているだろう。つまりは、コンテンツそのものが客体として善悪を帯びるわけじゃあないのだ。

ここまでのまとめ。コンテンツに影響力があるのは事実だが、常に「悪」影響があるなんてことはない。コンテンツ単体が善悪を帯びるわけでもない。影響の善悪や程度は場合によりけりで、あるコンテンツがどういう影響力を持つかは、研究者が設定した特定環境下以外では、よく分からん。

エロゲー害悪論の立脚点は何か

コンテンツそのものに害がある論ってのにムリがあることは、まともな学者なら分かっている。では、エロゲー害悪論、準児童ポルノ害悪論の立脚点は一体何なのか。江口聡は、『ポルノグラフィに対する言語行為論アプローチ』という論文で、ポルノを批判する文脈を次の5つに整理している。

  1. ①性暴力アプローチ
  2. ②名誉毀損アプローチ
  3. ③搾取アプローチ
  4. ④モノ化アプローチ
  5. ⑤言語行為論アプローチ

このうち、①~④については、生身の女性についての話なのでほぼ関係が無い。エロゲー害悪論、準児童ポルノ害悪論の立脚点は、⑤あるいはそれに類する発想だ。簡単に説明すると、ポルノってのは、女性を従属させるという男性の行為そのものだから、ダメなんだそうな。何でポルノが女性を従属させる行為そのものになるのかというと、そういう風に考えることも可能だから、っていうか、ラングトンっていう人が思いついたからという、理由だか何だか判断のできないものが理由になっている。

『レイプレイ』事件で大いに力を発揮したEquality Nowが、

『レイプレイ』のようなコンピューター・ゲームは、性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプを許容するものであり、これは女性に対する暴力を維持する(日本語訳より
という声明を出している背景には、こういう発想がある。女性をレイプするという表現そのものが、女性抑圧行為なのだという論理だ。どうだ、すげぇだろう? じゃあ、黒人差別を描いた物語は黒人抑圧の行為なんだろうかね?

しみじみ感心するのは、エロゲーやエロマンガが、実社会にどれくらい「害悪」をもたらすかどうか等々について、Equality Nowとか日本ユニセフとかは、計測する気なんか無いってところだ。まあ、さっきまで言っていたように、コンテンツはそのものに善悪が無いってことは分かりきってるから、いっそ計測しようともしないというのは、かなり潔いアプローチだと評価することもできる。ただ、このあまりに無茶苦茶な論法が、それなりに社会に通るところが恐ろしい。

江口氏の論文でも、「女性に対する暴力を『祝福・促進・許可・合法化する』ことが、女性に対する直接の『危害』であるかどうかは議論の余地があるかもしれないことはラングトンも認めている」って言ってるのに、表現=抑圧っていう等式を錦の御旗にしているんだよね。どうだ、オタク共、我々は恐ろしい連中を相手にしているだろう? 論理が通じない相手ほど怖いものは無いぞ。そして、どうもそれが多数派らしいんだ。

俺は何にムカついているか

もし、幼女を犯すマンガを読んだとしても、「よーし、今日は近所の小学校に幼女犯しに行こうっと!」となるバカなど、まずいないのだ。我々は、妄想そのままの行動を取るのではなく、理性や社会性などによってその妄想をコントロールしながら生きていて、先のLivedoorのコラムでも書いたけど、理性の箍が外れて犯罪者となる人間は、日本では本当に少ないんだよね。そして、エロゲー害悪論者、準児童ポルノ規制派達は、本当に子供を守ろうとしているわけではなくて、自分達の価値観を押し広げたいだけなんだよ。

俺が一番ムカつくのは、規制派が理性を信じていない、つまりは日本国民をバカだと思っているところだ。自分の主張を、客観的な証拠と論理を用いて広げるのではなく、感情にアピールする形でプロパガンダを撒けば世論の支持が得られると思っているところだ。我々を、論理的にモノの考えられないアホと考えているからこそ取り得る手法だ。要するに、バカにされているわけだ。バカにされたら怒って文句を言わないといけない。

Livedoorでははっきり書かなかったけど、マスコミがそういう変な団体の主張をそのまんま伝えようとしていたら、毎日新聞が変態記事を載せたときのように、どんどん文句を言わなきゃいけない。電凸? スポンサー下ろし? やるなよ!? やるなよ!?

追記

どういう本を読めば良いのかということで、上記を書く上で参考になった一般書を挙げる。 (2009/06/25 08:55追記)

プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く
プロパガンダ
アンソニー プラトカニス エリ…
A・プラトカニス、E・アロンソン著の『プロパガンダ』はかなり面白い。 『影響力の武器』とも似ている。論文のポインタ集としてはかなり便利だ。ただし、「コンテンツが影響を与える」のが前提になっているので、例えば、D・フィリップスについては無批判だ。著者達のプロパガンダへの世代による反応の違いというのが興味深い。第二次大戦を経験している著者の1人はメディアを妄信していたが、ベトナム戦争世代のもう1人は、メディアが嘘を流すことを直感的に分かっていた、という。そして今の世代は、メディアが嘘を流していることを承知で、しかもそれに無関心なのだそうだ。恐ろしい話だ。


ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より
ゲームと犯罪と子どもたち
ハーバード大学医学部 ローレン…
L・カトナー、C・K・オルソン著の『ゲームと犯罪と子どもたち』。メタアナリシスと、多数のインタビュー調査で構成されている。ばっさり要約すると、子供からゲームを奪うと、子供は子供社会でハブられて、却ってロクでもないことになる、って話だ。メディア批判の歴史がコンパクトにまとめられているのも良い。19世紀は小説害悪論、20世紀になって映画害悪論、後半はテレビ害悪論、そしてゲーム害悪論、ネット害悪論と、この手のメディア害悪論が延々続けられてきたことがよくわかる。


青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会
青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会
ジュディス・レヴァイン
ジュディス・レヴァイン著の『青少年に有害!』は、さまざまな出版妨害に合いながらも刊行された奇跡の書だ。児童ポルノを排除しようとすることは「臭い物にフタ」の行為でしかなく、子供たちが苦しむ本当の原因は貧困であったり無教育であることであって、小学生がキスをしたからといって「セックス依存症では!?」と騒ぎ立てたり、オムツの赤ん坊の写真をポルノだと取り締まっても、本当に何の価値も無い。貧困や教育に取り組み、きんちとした性知識を持たせることこそが本当に子供を救うことだというビジョンをちゃんと示している。ついでに言えば、日本の児童ポルノ法の最大の問題は、この表紙の写真も児童ポルノになりえる定義の曖昧さを内包していることだ。(2009/06/29 21:44追記)

さらに追記

よく分かってない人のために、打ち合わせ中なんだけど、こっそり内職で追記しよう。(2009/06/25 12:00追記)

理性の弱い、もろに影響を受ける人もいるんだ

それって、Equality Nowとかのプロパガンダにあっさりだまされる人って意味? じゃないんだろうね。以下と一緒に答えよう。

「黒人を差別する事を主眼に描かれた物語」は黒人抑圧の行為になると思うけどな。

違うよ、どうしてそう考えるんだ? その物語は黒人を差別するという欲望の発露でしかない。ある日物語に足が生えてKKKと一緒に黒人殺しに行くわけじゃないだろ。抑圧は、物語から影響を受けた極一部の人が行うんだよ。で、それは、黒人差別を悲惨に描こうが、果敢に戦う様を描こうが、絶対に発生するんだよ。ナチズムについての肯定的言説が一切禁止されているドイツで、何故ネオナチに惹かれる人達が途切れないのか、考えたことがあるかい? 完全にナチズムを切るためには、ナチズムを肯定・否定する全ての言説を、丸ごと消す以外にない。でもそれは紛れも無い愚民化政策だ。

エロゲーやそのオタクは確かに気持ち悪いが~

これこそ差別だよね。外見差別イクナイ。個人的に誰かを気持ち悪いと思うことは思想信条の自由というやつで、いくらでも勝手にキモがれば良いし、俺だって「キモッ」と言うことはあるけれど、だからといってそいつらを社会から封殺する政策を取ったら、それは差別以外の何物でもなかろう。

そういや、俺が『レイプレイ』を擁護していると思っている人がいるようだが、どこにそう書いてあるのか指摘してみ? 俺は擁護に相当する文言を一言も書いて無いだろう。文章の趣旨は冒頭に要約したよね。俺が何を言っているのか分かるかな? (2009/07/21 00:26追記)

そういえばこのひとは実作者でありながらさらにアカデミックに対抗できる人物か

いや、一応俺アカデミシャンだぜ? 後、まともなアカデミズムは大体味方だぞ。規制大賛成派の首都大学の前田雅英氏なんか、学者からはあまり相手されて無いもん。

で、俺達は具体的に何をどうすれば何とかなるんですか?というか何とかなる方法はないんですか?

散々書いてるんだから読み取ってくれ。

“電凸? スポンサー下ろし? やるなよ!? やるなよ!?” やらない方がいいですよねー(棒

つまりそういうことだ。論理的かつ冷静にな。

「物語から影響を受けた極一部の人が行う」影響うけるんじゃん。上で自分の言ったこと自分で否定しているし。

ついに冒頭の4行の要約すら読めない人間まで出たか。影響はあるって一番初めに言ってんだろうが。ここまで書いても「あるコンテンツからの影響を一律に『悪』と言うことはできない」っていう話が分からんのかぁ。一応これ学部生のレベルで読めるように書いたつもりなんだけどな。

顔出しでエロゲ擁護できる人いなさそうだしねぇ

お前さんは俺の顔も本名も知らんでここ読んどるんかえ? ぐぐるといいよ

(899)

著作者 : 未識 魚
最終更新日 : 2009-07-21 00:26:24


<TOP>

[ Copyright 1996-2016 Mishiki Sakana. Some Rights Reserved. ]